ヴーアミタドレス山
時が経つのは早い物。
既にクロードは1歳になり、成長が速いのか、必死で歩こうと頑張ったからか、既に歩くことも出来るようになっていた。
頭が重いからか、下手に歩くと転んでしまうのだが。
既に自分の周辺の事もだいぶ分かってきて、自分に父親らしき人物が居ないことも大体分かってきていた。
強いて言うなら、隣の家に住んでいるらしいケイが父親代わりのようなものだ。
まぁ、ケイは女性なのだが、豪放磊落な姉御肌と言うか、そう言う人柄なので父性のようなものを感じさせるのだ。
「ふわぁ~あ……ねみぃな、おい」
「ねむい」
今日、クロードとケイ、そしてカレンは近場の草原に来ていた。
天気がいいからピクニックに行こう、と言うケイの唐突な提案でこうしているのだ。
既にお昼御飯も済ませた後で、春の陽気に包まれ、誰もが心地よい気分で居た。
「ケイさんケイさん、おはなししてください」
そして、クロードがそばに居るケイの服の袖を掴んで催促する。
ケイ、彼女は冒険者である。既に引退しているかどうかクロードには分からないが、大冒険を繰り広げてきた冒険者であるらしい。
まぁ、それも嘘か真かわからないが、ケイの語る冒険の話には夢があるのだ。
男の子なら冒険とかに憧れる。少なくともクロードはそう信じているし、その通りに冒険に憧れていた。
だから彼女に冒険の話をせがむのが習慣のようにもなっていた。
「またか? じゃあ、今日はメチャシコ話をしてやろう。興奮して眠れなくなっても知らんぞ?」
子供に何話すつもりだよこいつは……と思いつつも、とりあえずクロードは神妙に頷いた。
このどこかぶっ飛んでいる姉ちゃんならば、字面から連想できるほど猥褻な話ではないかもしれないと。
「これはオレが処女切った時の話だ」
処女切ったと言う表現にクロードは果てしなく嫌な予感を覚えた。
どっちの意味とも取れるだけに次の言葉が予想できない。
どっちであるにしても、1歳の幼子に話す内容でないだろうことは確かだが。
「オレがまだ冒険者になる以前の話だ。オレは復讐に燃え滾っていた。復讐がくだらないって言う奴もいるが、オレはそうは思わないね。復讐ってのぁ最高にスカッとするもんだぜ? でだ、オレはそいつの目玉をえぐり……」
もうだめだ。おしまいだ。クロードは悟った。
明らかにメチャシコの意味合いが自分の思っていたそれと違う。
「ねえ、ケイさん。メチャシコってどういう意味なんですか?」
「うん? 知らんのか? メチャシコと言うのはメチャクチャ死んだり殺したりすると言う意味だ」
僕の知ってるメチャシコと違う。クロードはそう思いつつも口には出さなかった。
「ケイさん? そう言うクロードの教育に悪いお話は控えてくださいね?」
そしてカレンがケイに釘を刺す。
冒険の話はまだいいが、幼子に殺人を犯した話などするものではない。
と言うか、嬉々とした声音で話し出したケイはどっかおかしい。
「むぅ……分かった。じゃあ、オレがとある異次元で、エルフとライカンスロープに逢った話だ」
「うんうん」
「その時、ある国同士が戦争をしていてな。国同士の戦争に冒険者っていうのは傭兵として雇われることがあるんだ。それでオレは傭兵として、一方の国に雇われていた――――」
ケイが語る冒険の話は多彩だ。
一体何年間冒険者をやっていたのかは知らないが、各地でお宝を探し求めた話や、大海原で海賊と戦った話、異種族と戦いを繰り広げた話。そんな話がいくらでも飛び出してくる。
中には、本当の話なのか眉唾な話もある。1人でドラゴン倒したとか、1万人の敵兵を薙ぎ倒したとか。
それでも、夢にあふれたそんな話にクロードは魅了された。
「――――それでオレは元の次元に帰ってこれたってわけさ。とは言え、世の中はそう簡単にいかない。元の次元に帰って来れたはいいが、帰ってくる場所を間違えちまったらしい。その話はまたの機会だな」
今回の話も世界1つを焼き尽くしたとか、山よりも巨大な狼と戦ったとか、なんか眉唾な話がたくさんあった
それでも、そこにある冒険譚はクロードを魅了してやまない。
「僕、おおきくなったらぼうけんしゃになる!」
「お前、オレが話すたびにそれ言ってるよな」
「なる!」
「そうかそうか。頑張れよー」
おざなりな調子だが、ケイの声にはそれなりに期待している雰囲気があった。
元々、人間は周囲を知覚するうち83パーセントが視覚だ。
その視覚が完全に閉ざされている事で聴覚が研ぎ澄まされ、声に含まれる調子でそこに伴う感情が読み取れるようになっていたのだ。
「まぁ、お前の魔力は途轍もなく強いからな。魔法使いになれば将来有望だろう」
「まほうつかいに?」
この世界には魔法がある。実際、ケイが度々炎の魔法を使うところを見ている。
その使い道が、竈に火を入れたりとか、暖炉に火を入れたりとかの生活に根差したものなのが少々アレだが。
自分も学びたいと思っていただけに、強い魔力を持っていると言うのはクロードにとって朗報だった。
「どれくらい? どれくらいあるのかな?」
「どれくらいと言われても困るな……比較対象がない」
「ケイさんと比べてどれくらい?」
「オレの100分の1以下」
「かみはしんだ」
「勝手に殺すんじゃねーよ。数々の冒険を潜り抜けたオレとお前じゃ土台が違うんだよ。お前だってオレと同じくらい冒険を潜り抜けりゃ、たぶんオレよりずっと強い魔力になるぜ」
つまり魔力は後天的に育つ事の証左でもある。
そして同じだけの冒険を潜り抜ければクロードがケイより強い魔力の持ち主になると言う事は、始めケイはクロードに劣る魔力しか持っていなかった事の証明にもなる。
それを思えば、ケイと比較して少なく見える魔力も、将来的には世界最高峰と言えるくらいになるはずだ。
「じゃあ、僕はまほうつかいになる!」
「魔法使いなんかより剣士になったらどうだ? オレが剣おしえてやるぞ」
魔法使いを勧めたのに、その直後に剣士になる事を勧めるのはどういう理屈なのか。
そう思いつつも、クロードがちょっと悩む。
考えてみれば、ケイも魔法が使えるが口ぶりからして剣も使えるのだ。
と言う事は、魔法使いは剣でも戦える事の証明でもある。
まぁ、現実的に考えて魔法使いだから剣は持てません、なんて理屈がありえるわけもないし。
もしかもすれば、筋骨隆々の魔法使いだっているのかもしれない。
物理ガンドとか言って石を投げたり、物理エアカッターとか言って剣で切りかかったりするのかもしれない。
「なにニヤニヤしてんだお前?」
物理ガンドと物理エアカッターの妄想がツボに入り掛けてニヤニヤ笑っていたクロードにケイの声がかかる。
それで慌ててクロードが顔を引き締める。
「じゃあ、僕はけんしになります! まほうつかいにもなる!」
「おお、欲張りだな。だがそれがいい。欲張りじゃなきゃ冒険者にはなれんからな」
まぁ、欲をかきすぎると死ぬが、と怖い事をボソリと呟くケイ。
そして、ニコニコと笑っていたカレンが表情を変えずに言う。
「クロードが冒険者になりたいならそれでもいいけれど、危ない事はしちゃだめよ?」
冒険ごっこをする子供を諭すような口調だ。声音もマジメではあるが、本気で冒険者になると思っている様子はない。
きっと、子供はみんな冒険者になる、なんて言うものだからカレンもマジメに捉えては居ないのだろう。
ケイがそれなりにマジメに捉えているのは、冒険者だったと言う経験からなのだろうか。
「まえむきにぜんしょします!」
「それならいいわ」
言外に断ると言う色がアリアリな事を言うが、そんな概念はこの世界にはない。
唯一ケイが声に含まれた意図を感じ取ったのか、呆れたような雰囲気を出しているが。
「まぁ、剣の練習は少なくとも3歳になってから、だな」
「そうですね……それくらいになったら、クロードの眼帯も取って大丈夫でしょうから」
3歳になったらクロードの眼帯は外していいらしい。
当然と言えば当然の話だが、眼帯をしながら剣術の練習なんかできるわけもない。
どこぞの心眼が使える剣士なら眼帯をしながらでも練習できるのかもしれないが、クロードにそんなものの心得はない。
「魔法も眼帯が取れて、大丈夫なようなら、だな。それまでは危なっかしくてできたもんじゃねえ」
「そう、ですね……クロード、大変だけどもうちょっとの辛抱だからね。それまで頑張れば大丈夫だから」
一体なにが? とは聞き返せなくて、硬く抱きしめてくるカレンの腕にクロードはされるがままだった。
とりあえず、どうやらこの眼帯には何かしらの深い意味があると言う事がクロードには分かった。
そして、それが何らかの危険が伴う事も。
再び時は流れ、クロードは2歳半になっていた。
そのクロードは、今日もケイの膝の上に座って冒険譚をせがんでいた。
ケイの冒険譚は中々尽きる事がなく、1度として同じ話をしたことが無いのに毎度違う話をしてくれる。
本当に自分の体験談なのか怪しいものだが、大人の配慮と言う奴でクロードは口には出していなかった。
そして、何とはなしに今まで1度も聞いたことが無かった事をクロードは尋ねる。
「ケイさんは」
「なんだ?」
「お仕事してないんですか?」
「してねーよ。悪かったな」
別に悪いとは言ってないのだが、なぜかケイはふて腐れたように答える。
「いいんだよ、金は若いころに一生分稼いだ」
「?」
不思議に思ってクロードがケイの顔をぺたぺたと触る。
この2歳半になる今までの間に身に着けた、手で相手の顔だちを判別する技術だった。
「ケイさん美人ですよ。いまも若いです」
目鼻立ちのはっきりとした美人だ。皺なんか1つも無いし、髪も長い。たぶん腰くらいまであるだろう。
眼の色や髪の色は分からないが、触覚で色を判断するのは到底無理だ。出来る人が居ないわけではないらしいが。
「当たり前だろ? オレは若いんだ」
じゃあなんで若いころってわざわざ言ったんだろうか。女心は分からないとクロードが困惑する。
一般的な女性からはだいぶ外れた性格をしているケイだが、それでもやはり女性なのだろう。
ちなみにクロードはケイに年齢を聞いたことが無い。聞いたら拙いだろうと言うことくらいは分かる。
少なくとも20歳は超えているようだが。
「ケイさんがお仕事をしてないのは、わかいころにたくさんお金を稼いだからなんですよね」
「そうだよ」
「母さんはどうしてお仕事してないのにお金もってるんでしょうか?」
今まで不思議に思った事を尋ねる。
たびたびケイにクロードを預けて外出するカレンだが、それは買い物に行くときだけだ。それ以外に出かける事は殆どない。
どこから生活費を捻出しているのか全く不明なのだ。夫が出稼ぎに出ていて、お金を届けてくれる人が居る、と言うわけではないらしいし。
「知らん。オレに聞くな」
どうやらケイも知らないらしく、疑問を交えた声で答える。
「まぁ、なんとなく予想はつかんでも無いが……」
「貴族のお手付きになったとか」
「お前どこでそう言うの覚えてくるんだ?」
苦笑交じりにケイが言う。同意する雰囲気があるので、ケイの予想もそう言ったものらしい。
「元メイドだったやつが孕んじまって、手切れ金を渡して追い出す……なんてのは割とある話だからな。その時の手切れ金で暮らしてるのかもしれん」
どう考えても子供相手に言うべき事ではないが、ケイは気にせずに言う。
そう言う事に気が回らないのか、あるいはクロードなら話しても平気だと思ったのか定かではないが。
「もしくは、実はカレンもオレと同じ元冒険者で子供産んで引退して、今はその時の貯蓄で生活してるとか」
言われてみればありえなくはない話なのかもしれない。
クロードは抱き抱えられたりして、カレンが体格的にあまり秀でている人物でないことは分かっている。
だが、魔法使いならば体格はさほど関係ないのではないか。
それを考えれば、カレンが元冒険者で、その時の蓄えで今は暮らしていると考える事も出来なくはない。
「あとは、貴族のお手付きになったわけじゃなく、実はカレンこそが貴族だったとか。平民の男と子供作って駆け落ちして、その途中で旦那は死んだ。そして今は家から持ち出した財産で細々と」
「ケイさん、おもしろそうな展開をてきとうにいってない?」
「面白そうな展開をクソ真面目に言ってる」
いずれにしろ面白半分で言っているのは変わらないらしい。
しかし、全くありえない話ではないと言うところが小憎たらしい。
「まぁ、暮らせてるんだからいいだろ? それにお前がもうちょい歳行けば新しく収入も出来るさ」
「あたらしい収入?」
「ああ」
「なに?」
「教えてやらねー」
なんでそんないじわるするんだ、と言う気持ちを込めてクロードが上目づかいでケイを見上げる。
しかし眼帯をつけているのでいまいち分からない。
「下手に教えたらあぶねーんだよ。たぶん」
「なんでですか?」
「とにかくいろいろあるんだよ。カレンは3歳になったらって言ってたろ? ならオレも3歳までは教えられねーな。お前だってバカじゃねえんだ、そんくらい分かるだろ?」
カレンが決めた事を、他人のケイが勝手に破る事は出来ない。そう言う事だ。
家族同然……と言うか、最近は殆どカレンとクロードの家に住んでいるケイだが、そこらへんの線引きはある。
親しき仲にも礼儀あり、と言う奴だ。
「ところで、露出狂ってやっぱり騎士なのかね? 露出卿的な……」
「騎士のひとたちに100万回あやまって?」
唐突に変な事を言い出したケイにクロードが謝罪を要求する。
それと同時に、微妙な空気になったところを無理やりバカ話に持って行ってくれたケイに心の中で礼を言った。
ケイは不思議とクロードを子ども扱いしない。年齢相応の扱いはするが、一個人として向き合っている。
だからこそクロードとケイ、2人は年齢は全く離れていたが、互いにきちんとした線引きをした上で仲の良い友人として関係を築いていた。
「そもそも、露出狂が騎士だったら偏執狂とかも騎士になっちゃいますよ?」
「一部の騎士は偏執狂でもいいんじゃね」
なんてとんでもないことを言うのだろうか。騎士に何か恨みでもあるのか。
その後、騎士に何か恨みでもあるのか? と尋ねたところ、特に無いとの返事を貰えたが本当かどうか怪しいものだった。
クロードはカレンと共に散歩をしていた。
ケイは居ない。ケイだって年がら年中クロードたちと一緒にいるわけではないのだ。
まぁ、クロードたちと一緒にいない場合、家で飲んだくれているか、酒場で食事をとっているか、村にやって来た冒険者に喧嘩を売っているか、の3択なのでロクでもないが。
「いいお天気だね、クロード」
「はい、母さん」
眼帯で覆われている目では天気など見えないが、肌で太陽の温かさを感じる事が出来る。
それに、布の眼帯なので、明暗くらいは感じ取る事が出来るのだ。
「もうすぐ、クロードの3歳の誕生日だね」
「その日になったら、この眼帯を外してもいいんでしょう?」
「もちろん。でも、眼帯を外してダメだったら、また眼帯をつけるのよ?」
「……わかりました」
少々承服しかねる事ではあったが、何かが理由があるのならば従わざるを得まい。
それに、またつけるにしても理由の説明くらいはしてもらえるだろう。
今まで聞いてこなかったのだから、その時に聞いたって許されるはずだ。
「もしも大丈夫だったら」
「大丈夫だったら?」
「……ううん、なんでもないの」
どこか悲しげな声の響きにクロードが立ち止まる。
彼の手を引いて歩いていたカレンもおのずと立ち止まる事になる。
「そのとき、僕は母さんとお別れになるのですか?」
カレンの声に含まれていた感情の色は、悲しさと、淋しさ。
誰かとお別れになってしまう。そんな感情の響きがあった。
だから、カレンと最も関係の深い自分が、カレンから引き離されるのではないか。そう考えて尋ねたのだ。
「……そんなことないよ。ずっと一緒だよ。だって私はクロードのお母さんなんだから」
そう言うが、その声に含まれた感情の色は隠せていない。
本人は隠していても、クロードの発達した聴覚はそれを聞き取り、カレンの心情を如実に読み取っていた。
声に含まれていたのは驚愕と、少しの確信。
なぜわかってしまったのだろうと言う思いと、クロードにはバレてしまうだろう、と言う2つの感情が読み取れていた。
クロードが眼帯を取った時に、何が起こるかはわからない。
だが、その何かが起きて、誰かが期待している通りの事があれば。
その時、クロードはカレンとお別れになるのだ。
ふと、前にケイと話したカレンの素性の事を思いだす。
もしもカレンが貴族のお手付きとなってクロードを生んだのならば。
クロードが眼帯を外して問題ないとなれば、その貴族の元へと行ってしまう事になるのだろうか。そしてその時、カレンは何らかの理由でクロードから引き離されるのだ。
「(嫌だな……そんなの、冗談じゃない。顔
も見た事ないやつを親なんて思えないよ)」
それを言ったらカレンの顔も見た事が無いのだが言ってはいけないことなのだろう。
今までに築き上げてきた関係が親子と言う血で繋がった流れを創る。
たとえ血が繋がっていようと憎み合う事があり、血が繋がっていなかろうとも血を分けた親兄弟より深く信頼できる相手が居る事もある。
もしもクロードの思った通りに、その貴族とやらの元に行くことになったならば。
きっと、相手を親と思う事なんかできないし、思う事も無いだろう。
「(眼帯を外した時、何が起きるか、だな……僕はその時、どうなるんだろう?)」
深い煩悶に答えは出ない。
ただ今は、この穏やかな陽気の中で、母の温かい手を握ってやさしさに浸っていたかった。