石の橋
1
僕の昔住んでいた家の近くには、川があったんだ。その川には、色鮮やかな錦鯉がたくさん泳いでいて、小学生の僕はよく釣りにでかけたものだったよ。川にはウナギもいたし、小さなエビがたくさんいた。大きな亀もときどき見かけた。六月灯という神社の祭で五百円で買われた、掌に乗るような小さなミドリガメが、川に捨てられてしまった後も、一生懸命に生きて、大きく育ったものだと当時の僕は思っていた。もちろん、そういった亀もいるだろうと今でも思っているよ。
亀の話のついでに、鶴の話もしておこう。その川では、鶴が羽を休めているのを見ることができる季節があるんだ。シベリアの厳しい冬を避けて、暖かい所にやってくるんだ。本当は、もっと別の場所でのんびりと過ごすはずだったのが、うっかりしてその場所を通り過ぎて、その川まで来てしまったんだろうね。
君のお父さんやお母さんは、助手席に乗った君に、算数の宿題はちゃんとやったのとか、そんな小言を言うことに夢中になって、スーパーに入るために左折する道を、通り過ぎてしまったことはなかったかい?
そうかい。じゃあ、君のお母さんみたいな鶴が、その川に来ているということだよ。
話を戻すね。年中川沿いを散歩する人だったら、鶴や亀を見るのは、珍しくないと思う。だけど僕は、鶴と亀が川の真ん中にできた小さな砂浜で、一緒に日光浴をしているのを見たことがあるんだ。鶴は千年、亀は万年という言葉を聞いたことがあると思うけど、とても縁起のいい事なんだよ。本当だよ?確かに信じがたい話かも知れないけれど、仲良く一緒に昼寝をしていたんだよ。
信じてくれてないみたいだね。まあいいさ。まあ、そんな川には、石橋が架かっていたんだ。
橋と言えば、鉄の骨組みで作られたものや、ワイヤーで吊り上げられたものを君は想像するかもしれないね。石橋は、全部が石で作られている橋なんだ。
それは申し訳ない。石橋っていう名前なんだから、石で出来ている橋というのは当然のことだね。君の言うとおりだ。君はとても素直な賢い子だ。
その石橋は、自動車でも通れる丈夫な橋だったんだよ。大きな洪水のあと、僕の家からは遠いところへ移設されてしまって、その後の姿は見ていないけれど、四つのアーチのある立派な橋だった。
その橋はね、歩いて渡ることも出来る橋だったけど、学校の先生から、子供は上流側の歩道は通って良いけれど、下流側の歩道を通って橋を渡ってはいけないと教えられるんだ。その川からも、その橋からも遠い、はっきり言ってしまえば、その橋とは無関係としか思えないような子もクラスにいるのに、集団下校の日には必ず、先生がホームルームで、地図でその橋の場所を説明しながら、その規則のことを注意するんだ。
学校の図書館から借りた本は、二週間以内に返却しなさい?期日をしっかりと守って本を返していたのに、本を借りる度に、そう言われてたのかい。
そうだね、あの先生にとっては、その橋のことを注意するのは、君の図書の先生と同じように事務的なことだったのかも知れない。
それにしても、放課後も塾で忙しかった君にとって、その江戸川乱歩を読むのに、二週間は短かくなかったかい?怪人二十面相のトリックがどうしても気になるっていうなら、一週間くらいは遅れてもかまわないと思ってそのまま読めばよかったのに。図書の先生も、一回くらいなら笑って許してくれたと思うよ。
話が逸れてしまったね。その橋には、さっき話したみたいな、一休さんの頓知話をつまらなくしたような規則があったんだ。その規則を徹底するために、登下校の時間帯は、PTAの保護者が交代で、ランドセルを背負った子供の絵が描いてある旗を持って立っていたんだよ。子供がそこを通らないようにするためにね。
学校の正門の近くの横断歩道で、赤信号で子供が渡らないように、教頭先生が見張っているのと同じようにね。
2
僕の家の近所には、同じクラスの女の子がいたんだ。その子は個性的な趣味を持った子だった。彼女は、ヒエログリフ、昔のエジプトで使われていた文字だね、それが大好きだった。彼女は、音楽ノートの五線譜のところに、ヒエログリフを書き写して、その下の欄に翻訳した平仮名を書いていた。色鉛筆で、その五線譜に書いたヒエログリフに色を付けるということもやっていた。
どうやって平仮名に?それは僕にも分からない。なにかの法則に従って変換していたかも知れないし、適当にやっていただけかも知れない。
彼女に頼んで、僕の名前をヒエログリフで書いてもらったことがある。彼女は、五線譜ノートにカラフルな色付きでヒエログリフを書いて、それを几帳面にハサミで切って僕にくれたよ。確か、鳥みたいな文字が何個か僕の名前に出てきたと思うけれど、それ以外は思い出せないな。もらった紙も、筆箱の中に入れていたんだけど、いつの間にか無くしてしまったよ。
僕は、そんな彼女の隣になるように、席替えの時も気を配った。くじ引きで席が決まるんだけど、先生に見つからないように、隣になった子とくじを交換してもらっていた。
好きだったのかって?君もそういうお年頃だったんだね。
白状しよう。僕は牛乳が好きだった。そして彼女は牛乳が嫌いだった。クラスで休みの子がいると、牛乳は余るけど、それは取り合いになったし、休みの子が毎日いるってわけじゃない。まぁ、僕は牛乳目当てだったわけだ。彼女のおかげで、毎日、僕は二パックの牛乳を飲むことができたわけだ。
そんな彼女とは、同じクラスで席も隣だったし、家も近所だから、一緒に下校することが多かった。おませな君に先に言っておくけど、二人っきりで手を握って下校したというわけじゃないよ。一緒に帰ったとは言っても、学校を出るときは、四、五人のグループで帰るんだ。僕と彼女の家が一番遠かったから、最終的には、その子と僕だけになるってことが多かったけれどね。
そんなある日の下校時だった。その日もみんなと別れ、僕と彼女二人だけになって家路についていた。そして、石橋を渡るってところで、下流側をいつも通行止めにしている交通整理の保護者がいないことに気がついた。
どうしてその日だけ、保護者がいなかったのか?当番の日だということを、保護者の誰かが忘れてしまっていたとか、そんなところじゃないかな。これはあくまで僕の推測だけどね。
そして、上流側へと渡る信号も運が悪いことに赤だった。ちょっと詳しく地理関係を説明をしておくと、僕とその彼女の家は、その川を渡って少し下流に行った所にあったんだ。つまり、その石橋の下流側が渡れないせいで、下校の時は、上流側の通路に行くために横断歩道を渡る必要があったし、橋を渡ったあとは、下流側に行くために、また横断歩道を渡る必要があったんだ。しかもタイミングの悪い時差式信号機で、どちらかの信号で必ず待つ羽目になった。タイミングによっては、両方の信号で待たなければならなかった。
それって、面倒だと思わないかい?
寝坊してしまって、学校に急いでいかなければならいって日には、特にそうだと思ったよ。
僕は、彼女に、近道する?と聞いた。彼女は首を横に振った。引っ込みが付かない僕は、彼女を置いて一人で下流側を渡ることになった。
僕は、普段見ることのできない下流側の景色を見ながら橋を渡った。橋からの景色って、上流を眺めるのと、下流を眺めるのとでは、趣が異なるからね。
そして、橋の三分の二くらいまで来たとき、歌が聴こえてきたんだ。聴いたことのない歌で、歌詞も何を言っているのか分からなかった。僕は、彼女がヒエログリフを、僕の知らない歌に替え歌をして、歌っているんだと思った。澄んだ声だった。音楽の授業でも、彼女の歌声なんて聴いたことがなかったしね。僕は、彼女が反対側の歩道のどの辺りを歩いているのかと橋の反対側を見た。しかし、彼女の姿は見えなかったんだ。彼女の姿だけじゃない、車道にも、車が一台もなかった。空もいつの間にか曇っていた。橋の上には、僕しかいなかった。
僕は、これはおかしい、と思った。そして来た道を引き返した。もちろん走ってね。全速力で走って戻ったよ。アマゾン川のような川でもないし、河口の近くってわけでもないから川幅はそんなに無いはずなのに、長い時間走ったような記憶が残っているよ。
走っている内に、急に刺されるようなまぶしさを感じた。それが太陽の光だと気づいたのは、彼女の姿を見つけてからだったよ。彼女は横断歩道の前にいた。手には、音楽ノートを持ってね。彼女は、信号が変わるのをただ待っていただけかも知れないし、僕が戻ってくるのを、待っていてくれたのかも知れない。
僕が、彼女と再び合流してすぐ、信号は青になった。僕等は横断歩道を渡り、上流側の歩道を通って、川を渡った。
めでたし、めでたし。これで僕の自己紹介は終わりだ。僕は、中途半端だったかも知れないけれど、そんな経験をしたんだ。
たぶんこの経験が、君の姿を見ることも出来るし、君の声も聞くことができる理由だと思う。