6 黒服の男(1)
――シーヴ、貴様よくもやってくれたな!
教官室に呼び出されたクリスは、つばをまきちらす勢いで怒鳴った教官を見て、ひどく冷めた自分がいることに気付いていた。
――先生、あなたには関係のないことです。これは僕と近衛騎士長の合意のことだった。あなたに言われる筋合いなどどこにもありません。
――なん……だと、なんだその口の聞き方はッ!
部屋の中央に立たされながら、クリスは不遜な目つきで教官たちを一瞥した。格好はぼろぼろで、擦り傷、切り傷どころか、右腕は折られて包帯に吊られていた。
白銀のシャルレに挑み、そして負けた。仲間を失い心をボロボロに引き裂かれながらも、その悔しさだけがクリスの藍色の瞳に光をやどしていた。
従騎士にとって教官は上司であり、絶対の存在だ。首席の従騎士が教官に背いたという噂が広がったのは、それから間もなくのことだった。
そして彼は数日後、第七騎士小隊への配属が決まったことを告げられた。
「……夢、」
見慣れた天井をぼんやりと見つめながら、クリスはつぶやいた。
いつも見る夢ではなかった。久しぶりに見る、いっそ忘れたい過去の夢のほう。
あれから約五年が経つ。クリスは未だにどうしてあのような真似が出来たのか、自分を責めたい気持ちになることがあった。自分の能力を超えた相手に、挑むほうがどうかしている。今ならそう思えるが、当時の彼女にはそれは分からなかった。
学校創立以来の優等生。
そんな言葉に当時のクリスは知らず思い上がっていたのだ。傲慢で、世間知らずの従騎士。
――うぬぼれるな、騎士見習い。おまえの目指す場所はそんなものか。
「さて、起きよっと」
チチチ、とすぐ傍の窓辺で小鳥がさえずる声が聞こえてくる。ひと月前と比べてひんやりと冷えた室内が、秋が深まる気配を感じさせる。
今日も、良い朝だ。
がばりとベッドから起き上った拍子に、クリスの体の上から誰かの体が押しのけられた。
「え、リュオ。なんでこんなところ、に……」
そこまで言って、クリスは言葉をなくした。
一言で言うなら戦場だった。
辺りには酒の空き瓶や木のさかずき、誰かが露店商から買い占めてきた揚げ物の肉料理に魚料理、加工果物の菓子などなど。そしていびきを立てながらそこかしこに寝っころがる同僚騎士たちの姿があった。
「…………」
蔓延した酒のにおいに、すでにクリスの鼻は馬鹿になっているようだ。
ひどいあり様に引きながら、クリスは立ち上がった。
「うわ」
その拍子に小瓶を蹴ってしまい、口を開けたまま眠る同僚の顔へと当たった。だが起きない。なんとか足の踏み場を探し、部屋の入口にたどり着く。
一回だけ誰かの足を踏んでしまったが、それでもぴくりとも動かない様子に、彼らがそうとう深く酒を飲み交わしたことを思わせた。酔ったふりをしてさっさと寝たクリスは正解であった。
「ちょっとお前ら。起きろよ。おーい」
傍にいた同僚の顔を何回かはたくと、うめき声をあげながら覚醒した。
「あだまいでえ……」
「ちょっとしっかりしなよ。隊長に見られるまえに片さないと」
「う……、ぞうだな」
墓場を彷徨う死人のような顔で、同僚はのそのそと他の同僚を起こしにかかった。みな一様に青白い顔で起き上り、頭を抱え込む様子が情けない。
「あ、おはようクリス」
比較的無事そうな同僚のひとりが、クリスに向かって手をあげた。
「おはようルカ。ルカは結構平気そうだね」
「僕もさっさと寝たクチだからね。しかし、こりゃひどいな」
「まだ大祭の二日目なのにね」
「ああ、今日は完全に勤務時間に遅刻だな。隊長のゲンコツがうなりそうだなあ」
「え?」
きょとんとクリスは目を瞬いた。
「いま何時なの?」
「ええと、九時すぎかな」
そしてクリスも真っ青になった。
◆・◆・◆
「あ、なんだ間に合ったのか」
「なんとかね」
剣技大会、二日目。
昼ごろのんきそうにやって来たリュオは、まだ白い顔をしていた。クリスはその後ろに見慣れない騎士の姿を認めた。端整な顔立ちの、いかにも女にもてそうな青年だった。
「その人は?」
「ああ、こいつが……」
「初めまして、自分はエリク・ルド・ランドルフです。シーヴさん、あなたの噂は第六小隊にも届いていますよ」
青年は右手をさしだし、クリスと握手をかわした。
どうやら彼が、噂の第六小隊のイケメン騎士のようだった。
貴族の出にも関わらず、意外ときさくな印象だ。
あいつなかなか良いヤツだったよ、と言った昨日のリュオが思い出される。同僚たちが噂していた内容とは似ても似つかぬ様子に、クリスは苦笑をもらした。
「経験上、それってろくな噂じゃなさそうですね。クリス・シーヴです、どうぞよろしく」
冗談っぽくクリスは言った。
すでに何戦かを終えたクリスは、剣士控室で長剣の手入れをしているところだった。月光祭や剣技大会の予定は、朝の遅い貴族たちに合わせて午後からがメインになっていた。お蔭で間に合ったクリスである。
「ここに来て剣の手入れとか、おまえ落ち着いてるなあ」
「なんか落ち着くんだよね」
あきれ顔のリュオを横目に、石の床にあぐらをかいて座ったクリスはすらりと伸びた剣身をかかげ見た。
何度も相手の剣を受け止めたためか、欠けてはいないものの光が曇っている。彼女は柔らかい布でその刃面をぬぐい、そしてやすりにかけていく。従騎士の叙任式で賜ってから、いつもこの剣とともに戦ってきた。
もう一人の自分のような、そんな大切な剣だった。
「リュオは西区の警備だって?」
「そう。めんどくせえ……」
リュオもランドルフも、小隊の制服を着こんでいた。
「ランドルフさんも今日は都内の巡回ですか」
「ええ。昨日負けてしまったので……」
一日目に負けが決まったため、彼らは他の小隊と同様に王都内の警備にまわされていた。
労う間もなくこき使われてしまう辺りが、小隊の悲しいところだ。昼休憩に抜け出してきた彼らは、もうすぐ持ち場に戻らねばならなかった。
「まさかなぁ、お前が最後まで残るとは思わなかったよ」
感慨深そうにリュオが言う。
クリスは準決勝で勝利をおさめ、残すは決勝試合というところまできていた。どうしたわけか、昨日よりも体が軽く、最高に調子がいいと感じていた彼女であった。
最初に剣技大会の話をもちかけてきたリュオは、『従騎士学校首席』の実力がここまでとは、正直思っていなかった。左遷のような形だったとはいえ、よくぞ今まで第七小隊におさまっていたものだと内心驚いていたのだが、当の本人は知る由もない。
「リュオもそう思う? 僕もそう思ってるとこなんだ」
「自分で思ってどうするんだよ」
クリスの横に腰をおとし、肩肘をついてリュオが言った。
「おまえも惜しかったなあ、ランドルフ」
リュオにとっては直接負けた相手である、試合の動向が気になっていたのだろう。そんな彼の言葉を受け、なぜかランドルフは表情を暗くした。
「いえ、あれは惜しいなんてものではありませんでした」
「ん?」
「……ランドルフさん?」
首をかしげるクリス。
「シーヴさん、よく聞いてください。あなたの決勝の相手は、僕が昨日戦った相手です」
思いつめたような声音に、クリスは剣の手入れの作業をやめてランドルフに向き直った。
「なるほど、僕に助言を残そうと、わざわざ来てくださったんですね」
「はい。……言いにくいですが、次の試合、あなたは早々に降伏すべきだ。あれは普通の剣士ではありません。それよりももっと残酷で、残虐な……あれは人を幾人もほふってきた者の顔をしています」
強張った顔でランドルフが目を向けたのは、控室の窓の外だった。そこには回廊が続いており、クリスは壁に寄り掛かる形でたたずむ男の姿を認めた。
遠すぎてあまりよく分からなかったが、足元まで覆う黒の外套を羽織った男は、さらに黒い髪という出で立ちだったせいか、周りの明るく騒がしい雰囲気から逸していた。
「決勝の相手はあいつか」
リュオがぽつりと言った。
「なんか、さすが決勝って感じだよな? あいつだけ今までの出場者と雰囲気が違う」
クリスは何も言わず、黒服の男を見つめた。
言われてみると確かに普通の剣士には見えなかった。どこか陽のあたる世界とは別の、暗く深い場所で生きるそんな人間のようにも見える。
「黒服の男……」
あいつと戦うのか。
これまでのように『手を抜いて良い』相手には見えなかった。クリスは喉を鳴らしてつばをのみこんだ。
――うぬぼれるな、騎士見習い。おまえの目指す場所はそんなものか。
今朝の夢の言葉を思い出し、クリスは知らず拳をにぎった。
騎士という存在はいつもクリスを試そうとする。黒服の男の姿が、どうしたわけかあの怪狼と重なって見えた。
――貴様も我と同じである。
(違う、わたしは魔物なんかじゃない)
だが、キレてしまったなら終わりだ。
自分が自分でなくなる感覚というのはそうそうに体験するものではなく、クリスはそんな不安定な自分が恐かった。やがて力を抑えて剣を取るようになり、だから得意だった魔法ですら騎士になってからは使わないできた。
五年が経った。
いまなら、ただ真っ直ぐなだけの彼女はいない。それでも、彼女のなかの獣を飼い馴らせる自信など無いに等しかった。
本気で相手を倒そうとしたとき、自分はどうなってしまうのだろう。
「まあ上には上がいるってことか。クリスあまり無茶はするなよ。いざとなったら降伏しとけ」
「そうだね」
ぼんやりと言ったクリスは、心ここにあらずであった。そんな彼女の様子に、リュオはため息をついた。
「決勝前ってのに硬いぜえクリス。そうだ、おまえに魔法の言葉をやるよ」
「え?」
「――センパイ、試合優勝!」
右手をあげてにっと笑った騎士の言葉にクリスは目を瞬いた。懐かしい言葉だ。
クリスは苦笑し、その手を叩いた。ぱしりと小気味いい音が聞こえ、その頃には不安な気持ちは影をひそめていた。
「勝つよ」
「その意気だな」
やがて男はクリスたちの視線に気づいたのか、こちらを一瞥したかと思うと、どこかへと去って行った。
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黒ばっかりね。