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騎士と姫君  作者: ももてん
第一章 ひとが空に祈るとき
7/24

5 五年前、卒業試験のあの日

★追加になったお話です★

 ときは五年前。


『シーヴ先輩! 卒業試験の内容、決まったんですか?』

 学校総出での討伐実習がめずらしく行われてから、十日ほどが経っていた。

 図書室のすみで魔法書を広げていたクリスは自分の名前をよばれて顔をあげた。こちらのほうに従騎士の生徒が一人、走ってくるのが見えた。

『エイセル』

 ぽつりと口にする。

 先日、学外実習のときにクリスが助けた下級生だ。彼は栗色の髪と暗緑色の瞳をした、どこにでもいそうな少年だった。彼とは同じ歳だったクリスだが、三年飛び級をしたためクリスは最終学年の五年として在籍していた。

『前も言ったと思いますが、図書室では静かにしてもらえますか』

『あ、すいません』

 あまり友人のいなかったクリスは、どう対応して良いか分からず思わず注意の言葉を口にした。

 クリスの前にたどり着く頃には、少年は息があがっていた。いったいどこから走ってきたのだろうかと、クリスは胡乱な顔で彼を見た。

『きみ、授業はどうしたんですか?』

『いまは、自習、です。……それよりッ、試験の内容決まったんですよね?』

『はい。でもあなたが知ってどうするんですか? 三年後に同じ試験内容とは限りませんけど』

 最初、クリスは彼が、自分に試験のアドバイスをもらいに来たのだと思った。

 これまでにも似たようなことがあったのだ。この少年だけではなく、学校首席にぜひ教えてほしいと剣技、学問をとわず訪れる者は少なくなかった。

『いえ、俺はそういうわけじゃなくって』

 少年――リュオ・エイセルはどこか照れたように言った。

『試験、応援してます。先輩ならきっと真っ先に合格します』

『え、ああ……ありがとう』

『へへ』

 お礼を言うと、なぜかエイセルは顔の位置まで右手をあげた。

 右手?

 その仕草の意味が分からなかったクリスは、首をかしげて少年の顔をみた。するとなぜかため息をつかれてしまう。

『駄目だな先輩。こういうときは先輩も右手出して、俺と手をたたき合わせるもんでしょ。これ流行ってるの知らないんすか?』

『知らないけど』

 即答すると、ますます深いため息をつかれた。

 やれこういう情報だけはうといだとか、やれ老成しすぎじゃねだとか、少年はそんな愚痴っぽい言葉をぶつぶつつぶやいた後で姿勢を正した。

『まあいいです。じゃ、今度こそ――先輩、試験優勝!』

『優勝とか無いでしょ』

 手をたたき合わせながら、思わず笑ってしまったクリスだった。

 ずいぶん懐かれてしまったと、少しだけ戸惑う気持ちも隠せなかった。






『それでは試験開始前に、もう一度内容を説明します』

 試験会場となる森の手前で、従騎士五年目になる同期たちに並び、クリスは静かに試験開始のときを待っていた。

 従騎士の制服を着こんだクリスは、持ってきた装備品を念入りに確かめていた。彼らに与えられたものは簡易的な胸甲板ブレストプレイトと、鉄製の小手ガンドレット、そして入学時に大隊長より賜った長剣だった。


『あなた達は今から三つの班に分かれ、イスフィリの森に生息する魔物を討伐してもらいます。班分けは先日告知した通りです。それから――』


 授業で修得した魔法、魔法具の使用を認めること。

 薬草などの使用は認めること。

 討伐した魔物は本体またはその一部を必ず持ち帰ること。それが試験の概要だった。


 ――先輩、試験優勝!


 クリスはふと右手に目を落とし、ぎゅっと握りしめた。家族の反対を押し切って入学し、これまでがむしゃらに走り続けた彼女に、そんなことを言ってくれた者は初めてだった。

(これは不合格にはなれないな……)


 クリスが配属された班は五人。

 班長になった少年が、くじ引きの紙を見ながら指定された魔物について話した。

『俺たちの班は、エウレウスだな。生息場所は西のほうか』

 エウレウスというのは魔物学の授業で習う、巨大な植物型の魔物だった。

 地に根を張り動かなくなっている分、従騎士たちも距離が取りやすい。エウレウスの歌声に注意すれば比較的に楽に倒せる相手だ。

『よっし、まあまあ当たりだな。じゃ、さっさと行こうぜ』

『あ、ちょ、ちょっと待ちなよ。みんな魔道具の準備は大丈夫なの? もし忘れでもしたら大変だよ』

 一人先走ろうとした従騎士をみて、別の一人が慌てた口調で言った。

『念のため確認しておくか』

 班長の少年が、それぞれの胸に小型の魔道具が付けられているかを確認してまわった。

 普段はそれほど問題にならないことだが、今回ばかりは話が違った。イスフィリの森は、別名迷いの森。磁場が働くこの地では、位置探査の魔道具なしには二度と戻ってはこられないという恐ろしい場所であった。

 それぞれが魔道具を所持していることを確認した班員は、やや緊張した面持ちで森の中へと足を踏み入れた。




 ◇・◇・◇




『意外とあっさりいけたな』

『だね』

 予定よりも早くに指定の魔物を討伐し終えたクリスの班は、早々と森を引き返そうとしていた。

 軽い負傷はしたが、五人とも無事だ。そもそも卒業試験なのだから、達成困難な課題であるはずがないのであった。

『おっし、魔物の一部も切り取ったし……みんな帰るかあ』

『なんか緊張だけで疲れた感じ』

『でもこれで本当に、僕らも騎士になるんだね。なんか実感わかないや』

 張りつめた空気が解け、和やかな雰囲気で帰路につく。そのとき、班の一人がふいに辺りを見まわし立ち止まった。

『どうした?』

『あれ、なんか聞こえない?』

『なんかって、なにが――』


『――――ッ!!』


 その場に居た全員がはっと固まった。誰かの悲鳴を聞いたのだ。

『ちょ、ちょっとなに』

『他の班のやつらかな。誰かヘマやらかしたんじゃねえの?』

『いや、そんな声には聞こえませんでしたが……』

 クリスは悲鳴が聞こえた方角を見た。

『南のほうからですね』

『南……いちばん奥っていうと、一班か。あいつらただの狼獣ウルフ討伐じゃなかったか?』

 ウルフは指定された魔物の中では最も弱い種族だった。だが、先ほど聞いた声が異常であることは誰もが理解していた。

『……行ってみましょう』

 誰もが動けなかった状況下で、クリスだけはそう言った。これまで上位を走ってきた彼女である、魔物を倒すことにはある程度の自信があった。

 後に彼女は、この時そう言ってしまったことを後悔することになる。






 五人が駆け付けたとき、辺りは異様な雰囲気に包まれていた。

『ひどい……』

 誰かがつぶやくように言った。

 日が差し込む森の奥にウルフが生息するという洞窟が見えたが、その手前には誰かが流した血の海が広がっていた。人の気配がない。

『魔物の血、ですよね』

『…………』

 自分たちに言い聞かせるような言葉に、クリスは答えることができなかった。

 その血だまりを指に取りにおいを確認するが、魔物特有の臭気が感じられない。もしかしたら、と最悪の展開がクリスの脳裏をよぎった。

 そして、



 だれ、だ



『な、なにか喋っ……』

『しっ、落ち着いて。みんな下がって』

 低く腹の底から響くような声音が聞こえた。人間のそれではない声は、洞窟の奥のほうから聞こえていた。

(なんだ、あの声は……)

 クリスは口を引き結んだ。

 人語を介する魔物だとしたら、それは彼らの手に負えるものではなかった。場違いなほどに冷たい風が彼女の頬をなでていった。




 ◆・◆・◆




『逃げよう』

 班長が言った言葉に、クリスは無言でうなずいた。

 この場所に留まるのは危険すぎた。困惑している彼らは互いに顔をみあわせたが、やがて一人があることに気付いた。

『おい、あれって誰かの足じゃねえか?』

 洞穴のほうを指差す。

『え?』

『ほら、あそこ――』

 洞窟の奥はほの暗くあまりよく見えなかったが、クリスの目にも確かに入り口に誰かが倒れている姿が見えた。従騎士の制服に、革靴。その足首にはヒモのようなものが結ばれていた。

『あっ、あれアロルドじゃねえのか!?』

 いきなり叫んだ一人だったが、その彼の足首にも似たようなヒモが巻かれていた。細い革ひもを編んだ装飾は、彼らの学年で流行っていた幸運のお守りらしかった。

 友人を見つけた彼は、他の班員の静止も聞かずまっすぐに駆けだした。

『おい、やめろ危険だ!』

 その言葉は届いたのだろうか。

 洞穴に近づいた少年がかがみこんだ正にそのとき、背中から血しぶきをあげて倒れ込んだ。

 叫ぶ時間もなかった。

 彼の背中を切り裂いたのが、大きな獣の爪ということに従騎士たちが気付いたのは、その次の瞬間だった。彼らの身長の倍はあろうかという巨大な獣が、洞窟の外へと躍り出た。


『…………怪狼ハティ……』


 神話の魔物の名を誰かが消えいる声でつぶやいた。従騎士たちに残された生きる本能が逃げろと叫び、早鐘のように心臓を打つ。

(まずい――!)


 背を向けてはいけない――。


 そのことを知らせようとクリスは叫ぶが、すでに遅かった。

 彼女が肩越しに振り返ったときには、すでに誰も立っていなかった。言葉を失ったクリスに、返り血で真っ赤に染まる怪狼が向き直る。

 喉の奥から、ひゅうという音がした。それがクリスの声にならない悲鳴だったことには気づかず、彼女は後ずさった。

 戦うことを、はじめて恐いと思った。

 彼女が足元の小石を踏んだ拍子に、かちりと金属音が耳をついた。

 長剣。

 従騎士になって初めて手にした、自分の分身のような鉄製の剣。


『あ、あ……ぅわああああああ――――ッ!』


 咆哮し、クリスは剣を引き抜いた。

 淡い緑色の光が、彼女の腕そして剣身にかけて帯びていた。平民出の彼女が唯一得意としていた魔法、白緑の魔剣だった。彼女はあかく染まった獣めがけて地を蹴った。

 体が熱い。

 クリスは獣のように咆えた。叫ぶことを止めてしまえば、自分がどこにいるのかさえ見失ってしまいそうだった。

 大ぶりの太刀筋は怪狼にひらりとかわされ、そして彼女はまた振りかぶる。



 娘よ、なにを嘆く



 問う声がして、気が付くとクリスの頬にひとすじの涙が流れていた。

『うるさい化け物ッ! よくも』


 貴様も感じていたのではないか、己が他と違うことを


『違う! わたしはそんなこと思ってない』


 違うものか。貴様も、我とおなじである


『わたしは、わたしは……』




『――――わたしは、魔物なんかじゃない!』




 振り下ろした剣が、甲高い音を立てて硬いなにかに遮られた。

『!?』

『そこまでです、×××』

 目を見ひらいたクリスが見たのは、白銀の髪を持つ美しい男の後ろ姿だった。男が片手で持った剣で制され、クリスの剣は行き場を失ってカラカラと地に落ちた。

 腰を抜かして座り込んでしまった彼女は、白銀の男が左手に何かを持ち、怪狼の動きを封じていることを知った。魔道具の一種のようだった。

 やがて怪狼の肢体がきしみ、そして低く地を這うようなうなり声をクリスは聴いた。

『……』

 気付いたときには、巨大な獣の姿はどこかに消えていた。

 その場には動かなくなったかつての同期たちと、クリス、そして白銀の騎士だけが残された。生々しい血のにおいだけが、これが現実にあったことなのだとクリスに思い知らせていた。

『遅かったようですね』

 パチリと小さな音を立てながら、彼は懐に魔道具をしまいこんだ。クリスは茫然としながら、差し伸べられた手を取って立ち上がる。

『……どういう、ことですか』

 ようやく口にした言葉は震えていた。

『あなたは従騎士学校の生徒ですね。どこか怪我は?』

 男は淡々とした様子でクリスに問いかける。

『どういう、ことですかッ』

 見あげた男の目は、ひどく冷めた翠色だった。

『詳しくはお話できかねますが、洞窟の魔法印が解かれてしまったのです。まさか従騎士の卒業試験の日に重なるとは運がない』

『運が、ない?』

『森を出ますよ。いつまでもこうしているわけにはいかない』

『それだけですか?』

 クリスは目の前の男をにらみつけた。

『わたしの仲間は、みな、死にました。あなたが言うことはそれだけ? それだけなんですか』

『冷静になりなさい。ここで倒れるような騎士はいずれ似たような形で命を落とすものです』

『だからって、見捨てるべきだったと言うのですか……!』

『もちろん。今のあなた達では話になりません』

 あまりに淡々としすぎる男の様子に、クリスは自分の立場をわすれた。


 運がない?

 仕方のないことだったというの?


 確かにあまり親しいと呼べる同期ではなかったが、それでも数年間苦楽をともにした仲間でもあったのだ。それを、そんな一言で。

 森の入り口のほうへと歩き出した男を見て、クリスは強く拳をにぎった。向こうのほうからガシャガシャと金属がぶつかり合う音がして、おそらく駆けつけたらしい騎士の集団が姿を現わした。

『……彼らは仲間だった』

 こうして駆けつけた彼の部下たちのように。それは掛け替えのないものであるはずだ。

『騎士が、仲間を見捨てろというの!?』

 振り返った男の顔は、ひどく冷めた表情をしていた。

『うぬぼれるな、騎士見習い。おまえの目指す場所はそんなものか』

 クリスは駆けた。

 地に取り落してしまった自分の剣をつかむ。

 憎しみのこもった目でクリスは白銀の男、近衛騎士長の姿をにらみつけた。そして剣を構える。


『僕はあなたのような騎士にはならない、――セシリス・ロゼ・シャルレ!』




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