2 昇格の好機(2)
★改稿しています★修正前に読んでくれた方、ごめんなさいです。
「――というわけで、剣技大会に参加したいのですが」
「駄目だ。却下」
即答された。
「えー! そりゃないですよ副長!」
不満そうにリュオが言った。
ときは翌日。いつも通りに終わった鍛錬の後で、クリスとリュオはそろって副長の執務室に押し掛けていた。隊長のデュランではなく副長の部屋というあたり、二人には思うところがあった。
「アシル、頼むよ!」
「すんませんアシルさん、幼なじみのこいつに免じてお願いします!」
「お前ら……勤務中はオービエ副長と呼べ!」
オービエ副長、もといアシル・オービエは歯をむいて怒鳴った。
第七小隊の副長はなにを隠そう、クリスと同郷だった。しかもお隣さんという身近っぷりである。彼より数年遅れて従騎士を卒業したクリスは、まさか彼の小隊に配属されるとは……と驚いたものだ。
「そこをなんとか、オービエ副隊長様」手を合わせるクリス。
「そうだな、俺に勝ったら考えてやってもいいぞ?」
思案気に顎をなでていたアシルは、からかうようにクリスを見やった。
「うわなにその条件。副長ぉ、出させる気ないでしょ?」
「当然」
アシルはそう言い切ると、どん、と書類の山をクリスにおしつけた。
「わ、わ」
「そんなんで楽に昇格しようなんざ、お前らには十年早い!」
「「そんな!」」
「そんなもこんなもない。分かったら、さっさとそれを隊長の部屋に届けるんだ」
聞く耳も持たないとはこのことである。
「副長、せめてクリスだけでも出させてやれませんか?」見かねたリュオがアシルに詰め寄った。「こいつ、昇格の機会がないだけで実力は結構なものですよ? もしかしたら、中隊以上かも……」
「ほう。クリスが俺と同等だと言いたいのか、リュオ?」
「いや、それはぁ……」
騎士小隊の隊長、副隊長は、騎士中隊と同等の地位であった。
「おい、こっちに振るなよ……アシルには昔から敵わないんだから」
「そういうわけだ。お前たちはさっさと宿舎に帰って寝ろ」
「「…………」」
お互いの顔を見合わせたクリスとリュオは、不満げながらも引き下がった。
なんなのあの朴念仁
いやいや仕方ないだろあれ怒らせると後が恐い……
ていうかお前あんなに盛り上がっておきながらあっさり身を引きすぎだろう
いやいやいやああ見えてデュラン隊長より強いって噂だし俺死にたくないし
そりゃ僕だって死にたくないけど
目線だけでそんな会話をしつつ、騎士小隊の二人はとぼとぼと部屋を後に――
「アシルのばぁぁか」
――しながら、クリスは幼なじみに向けて『あっかんべえ』をお見舞いした。
「おい、そこの悪態ついたやつ。ちょっとこっちこい!」
「頑張れー、クリス」
「あ、お、おい置いてくな! ていうかこれもってって書類、書類!」
◆・◆・◆
「……なに、お説教?」
「なに怒ってるんだ」
しぶしぶ執務室に引き戻ったクリスは、ふてくされた顔で抗議した。あっさりと流したアシルは机の中から一通の手紙を取りだし、クリスに投げてよこした。
「受け取れ、シーヴ夫妻から手紙だ」
「……ああ」
実家からの手紙だった。
嬉しくないわけではないが、複雑な顔になったクリスである。
「たまには帰ってやったらどうだ? 王都に出てきてから、まだ一度も休暇を取ってないじゃないか。大会なんかに出る暇あったら帰郷でもしろ」
「アシルに言われたくないね。そっちだって、オービエ師匠に顔も見せてないくせに」
「俺は副長だから城を空けられないんだ。それに俺は男だ」
「……何が言いたいの?」
アシルの言葉に顔をこわばらせたクリスは、睨みつけるように目を細めた。
一番言われたくない言葉だった。
「いままで俺が黙っていたのは、お前のままごとに付き合っていたからだ。お前の正体が知られれば、罰則ごときでは済まないぞ。俺はいっそ退役して村に戻ればいいと思っている」
「アシル、おまえ」
クリスは悔しさに歯がみした。
クリスティナ・シーヴ、それが『彼女』の本当の名前だった。
女であることを隠し、この王国騎士団に騎士として所属して数年。クリスにとってアシルの隊に入ってしまったのは、喜ぶべきことではなく大きな誤算でしかなかった。
いままでアシルが何も言わなかったのは、彼女を黙認していたのではなく、追い返す機会を狙っていたからだったのだ。それはクリスとて分かっていた。
「いくら強くなろうが、お前は俺たちとは違うんだ。シーヴ夫妻の気持ちも考えてみろ。アネットとだって、ずっと喧嘩別れしたままなんだろう?」
「放っといてよ。“オービエ第七副騎士団長閣下”には関係ないだろ」
「お前がここまで昇格にこだわるのは、妹の治療費のためか?」
クリスは答えなかった。
「それなら、俺が援助すると言ってるだろう? たまには俺を頼ってくれ。せっかく副長になったんだ」
こんなとき、この青年はずるいとクリスは思う。
アシルは優しい青年だ、それは故郷の誰もがそう思っていた。だが護られるだけの存在であることがどれだけ辛いことなのか、彼は分かっていない。
「そうはいかない。これは私の家の問題だから」
「お前は」
「――まあ、大会ぐらい許してもよかろう」
場の空気を破ったのは、一人の男の声だった。
聞かれたか、と弾かれたようにクリスは振り返り、そして目を見開くことになった。
「だ、大隊長」
執務室の扉に寄りかかるようにして立っていたのは信じられないことに、このヴァレリオル王立騎士団の大隊長、漆黒の騎士ヴィルヘルム・ユグ・レイオッドその人であった。彼の黒髪に黒の瞳、そして漆黒の外套という出で立ちは、彼が稀に見る大男ということを抜きにしても妙な威圧感があった。
「隊長、いつから……!」
焦ったようにアシルが立ち上がった。
クリスは青ざめていた。
騎士団は女人禁制だ。会話を聞かれていたのであればクリスだけではなく、アシルの首も飛ぶ羽目になるだろう。相当まずい事態だった。
「先ほど部屋の外から呼んだんだが、気づいてもらえなかったものでな」
対するレイオッドは自身の顎ひげをなでつけながら、悠々とした様子で言った。
「貴殿は確かクリス・シーヴと申したな。悪いが邪魔をする」
「はっ」
クリスは冷や汗をかきながらも、片手を胸にあて騎士の礼をとった。
耳元で脈が波打つ音が聞こえた。名前まで知られているとは予想外のことだった。騎士団に所属する騎士たちは相当な数だが、もしやこの男は全騎士を把握しているのではなかろうか。
「楽にせよ、シーヴ」
クリスの心配をよそに、レイオッドは穏やかな表情で怒り心頭になるような様子はない。彼女は内心ほっと胸をなでおろした。
「先ほどエイセルに会ったが、シーヴ、貴殿は剣技大会に出るのだそうだな?」
リュオめ余計なことを口走りやがって。
安堵した矢先に、まずい顔になるクリスである。エイセルはリュオの家名だった。宿舎にもどったら問い詰めてやる、とクリスは思ったが、この大隊長に呼び止められたら彼女だってどうでもいいことを口走ってしまいそうだ。
「はい、そう思っています、が……」
「なんだよ?」
クリスがちらりとアシルを見やると、嫌な顔をされた。
「この通り、副長から許可をいただけないので諦めるところでした」
生真面目に言い切ったクリスだったが、内心ざまーみろと思っていた。直属の上司の前では何も言い出せないアシルであった。その様子を見たレイオッドは愉快そうに笑い声をあげた。
「オービエはよほど『幼馴染み』が心配らしい」
彼らが同郷という事実は、レイオッドも既知のことだった。
「そういうわけでは……ただ、身をわきまえろと説教しただけです。大会で出世しようなどとは、騎士の思想としてあってはならないことです」
「ふむ。では、国王陛下の御意向は間違っているのだと言いたいのかね」
「え、あ、いや……」
たじろぐアシルに、またレイオッドは笑った。豪快に笑う大男の様子に、からかわれているのだと理解したアシルは、ものも言えず頭をかかえこんだ。
「冗談だ、貴殿は相変わらず生真面目であるな。よい、私が許可しよう。どのみちこのままでは参加者が足りないと宰相殿に泣きつかれる予定なのだ。大会出場者はシーヴとエイセルの二人。それで異論はないな?」
「ほ、本当ですか!?」
クリスはぱっと顔を輝かせた。
「え、ちょっと大隊長! それは」
「何か都合の悪いことでもあるのか?」
アシルは何も言えなかった。それが決定打だった。
「感謝します、大隊長」
クリスは一礼すると、大急ぎで騎士宿舎へと走り去った。
「やれ、相変わらず興味深い騎士であるな」
クリスが去った後、部屋に残された二人は静かに目線を合わせた。
「納得いかない、という顔だな」
「……」
もともと近場に用があって来訪していたレイオッドであったが、こんなにも面白い場面に遭遇できるとは運がいい。漆黒の大隊長はそのようなことを考えていた。
「お前も罪悪感ぐらいは覚えたのではないか? いい加減、あいつを認めてやってはどうだ」
レイオッドはにやりと黒い笑いをこぼした。
「泣ける話ではないか。妹のために剣を取り、男くさい集団に紛れて傷だらけになる‘女’騎士。小劇にしたら売れに売れるであろうな」
「あいつは女です。そもそも騎士団に居ることからしておかしい」
アシルは拳を握った。
クリスの存在が許せないのではない。心から彼女を心配するがゆえの言葉だった。昔から彼女は無理ばかりをしているのだ。
「だから、今まで昇格させなかったのだと?」
言い返せなかった。
「毎回、時期になると彼女の昇格に反対するのは決まって貴殿であったな」
意味ありげにレイオッドは顎ひげをなでつける。
母方の叔父とは言え、この威圧感は身内とはとても思えないアシルである。この人にクリスのことを話したのは間違いだったかもしれない。なんせ彼は『おもしろい』ことが大好きなのだ、その見た目にも関わらず。
「小隊は従騎士あがりの者も多い。多少は誤魔化しも効くであろうな」
心配性の幼馴染みは大変だな、とレイオッドはにやりと笑った。アシルは気まずい心境で幼馴染みを想った。
今年十七を迎えたクリスは、鍛錬ばかりしているせいか年頃の少女たちと比べて成長が遅いほうだった。だが、やがて体はまるみを帯び女性らしくなってゆくだろう。
屈強な男たちに紛れて、騎士など務まるはずがない。クリスが出世をすれば、その風当りはさらに強くなる。アシルの手の届かない場所では手出しのしようがないのだ。
彼女には良い縁談にめぐまれ、幸せになってほしかった。
アシルのような、戦いとは、無縁の。
「後悔するぐらいなら、騎士になどにならせなければよかったのだ」
「俺が反対して聞くやつだと思いますか?」
「思わんな。昨今、あいつほど“騎士らしい”騎士はいない」
「ええ……」
クリスは素直すぎる、とアシルは思っていた。
彼女は自然豊かな村で麦のようにまっすぐと育ち、疑うということを知らない。ただ夢に向かって走り続けるさまが、アシルにはときどき眩しく思えた。
「卒業試験のときのあやつの様子、貴殿にも見せてやりたかったほどだ。今でも騎士団の上層部では語り草だ」
「従騎士の分際でシャルレ隊長に食ってかかるなんて、あいつも大それたことをします」
彼女が従騎士学校を卒業するとき、その場に招かれていたシャルレ近衛隊長に噛みついたというのは、一部の間では有名な話である。
「あの時は、文字通り『首が飛んだ』と思いました。あいつはいつも突拍子もないことをします」
それには理由があったようだが、彼女は多くは語らない。シャルレ自身もその無礼を不問に処したことで、上からの厳罰もなかったという。
ただ、教官たちの強い意向で、従騎士学校創立以来の優等生は、輝かしい未来ではなく第七小隊という出世の希望もかけらもない部隊に送られることになった。
「心配するな、あやつとて立派な騎士だ」
「だから、心配なんですよ……」
アシルはそう呟いて、窓の外を仰ぎ見た。月が静かに輝いていた。
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