19 失った名前
ルナーレ神に愛されし国、ヴァレリオル。
月の神の娘といわれる白金の神子が、実は男だったという新事実に、クリスはしばし言葉を失っていた。
どうみても、神子は“見た感じ”は清らかで美しい少女である。歴代の神子のなかでも相当な美人だという噂は違えることはなかったが、いや、でも神子は少年なのであって。
衝撃すぎて茫然とするクリスを我に返したのは、神子の私室へと訪れた年配の修道女だった。彼女は神子の前に軽くひざまずくと、「神子様、そろそろお支度を」と告げた。
「ああ、頼む」
神子は慣れたように返すと、立ち尽くすクリスへと振りかえった。
「いつまで突っ立っているんだ、馬鹿騎士。その阿呆面をひっこめて、さっさと部屋から出ろ」
「へ、あ、はいっ」
クリスはあわてて姿勢を正しかけた。
「神子様。護衛役さまにも、着付けのやり方を覚えていただかないと困りますゆえ……」
そう言った修道女の言葉に、神子は思案気に、かつ面倒くさそうに腕を組んだ。
「ならばルイネ、この馬鹿に神子服の着付けを教えてやれ。……おい、馬鹿騎士。特別に俺の体に触れることを許可してやろう。ただし着付けの所作は一度で覚えろ」
「はい、……わかりました」
うなずかないと面倒なことになりそうだった。
クリスは苦い顔で、ルイネと呼ばれた修道女のもとへ歩みよった。敬虔そうなこの女性は、ひっつめた髪を灰色の分厚いヴェールで覆い、そして全身も同じように灰色の法衣で包んでいる。シェリフ教の修道服だった。
「護衛役さま」
ルイネは青緑色のするどい瞳で彼女を見やった。
「あなたには祭典中の、神子様の付き人としての役目も担っていただきます。神子様のご衣装の乱れは、国の平和の乱れでございます。今この時間で、あなたは神子様への祭服の着せ方を覚えてくださいますよう」
「はあ」
神子の衣装の乱れは平和の乱れって……す、すごい言い方。
クリスは若干引き笑いを浮かべつつ、本当に自分は神子の護衛役になってしまったのだなあと感慨深く思うのであった。
そして半刻後、そこには燦爛たる装いに身を包んだ、美しき神子の姿があった。
彼は薄く向こう側が透けて見えるヴェールをかぶり、その上から神子の位をあらわす冠を抱いている。そして首もとから下は全て分厚い布地に包まれており、ほとんど顔しか生身の彼は見えない状態だった。順番に、それぞれ外套、法衣、下衣、肘のうえまで覆った手袋、赤い石のついた首飾り、あと色々なんとかかんとか……。
覚えるのも馬鹿らしくなるほど重ね着を極めた神子だったが、そのどこかしこにも、細い金糸で刺繍が施され、揺れるとシャラシャラと鳴る金属の板が縫いつけられていた。
見る分には神々しくて良いのだが、当然重い。
クリスが驚くべきは、このどうしようもなく装飾過多で重たい衣装を、当の神子が平然としてまとっていることだった。
ほとんど根性で着ているのか、神子の動きは必然的にゆったりとならざるを得なかったようだが、それがまた『神子はこうあるべき』という印象にかさなって違和感がなかった。クリスのように体を鍛えているわけでもないのに、さすがは本物の神子である。
思わず見惚れてしまったクリスに、ルイネが淡々と「では次回からは小半刻で同じ着せ方ができるようになさってください」と言ったものだから、彼女はうっとのけぞった。
「無理ですよ、無理!」
「あら。過去にはものの数分で祭服を着せた者もおりましたよ」
まるで化け物の域である。
この大聖堂は意外とおそろしい場所なのだな、とクリスは思った。
「ですが、護衛役さまは、飲み込みが早くていらっしゃいますね」
「……そうですか?」
うろんな表情になったクリスだったが、ルイネはそんな彼女を見てくすりと微笑んだ。
「神子様がなにも仰らないでしょう? これは、あなたの着せ方が及第点であったという意味でございます」
なるほど、確かに先ほどから神子はだんまりを決めこんでいる。
クリスの目には、神子はむしろ服の重さに耐えて超必死になっているように見えていたのだが、さすがは神子、常人には分からないお考えをお持ちのよう――
「き、きさまらァ……! さっさと椅子を持ってこいッ、いつまで立たせておくのだ!」
ぷるぷると震える足で、神子は絞り出すように言った。
「重そうですが」
歩けないんじゃなかろうか。
「式典の際は座っていることが多いので大丈夫でございます」と、ルイネ。
式典の合間にちょっと歩く機会はあるのだが、そこはがんばってもらう、ということらしい。
神子の体は細くて小さい。おまけに、大聖堂の内部は段差が多かった。絶対転びそうな予感がしたが、そのときは護衛役のクリスが手をさしのべ、そっと支えてやれば良いのだと言われた。……護衛役の“護衛”って、そういう意味かい!
自前の剣を失ったクリスが出来ることといえば、まあそれぐらいなのかもしれない。クリスの新しい長剣は、式典で護衛役の任命式のときに渡されると聞いていた。
式典の流れをざっと頭に思い起こしていると、
「き……きさまら、椅子をもてと言っているだろう!?」
「あ、は、はいっ」
すでに生まれたての小鹿のようになっている神子に、クリスは椅子を差し出すべく部屋のなかを見わたした。
そこで困った問題に直面する。
どう見ても、部屋のなかにはあの“神子人形”が座る椅子しか、まともな椅子がなかったのである。
「…………あの人形、どけてもいいです?」
「構いませんよ」
神子をどけて小鹿の神子を座らせる。なかなかシュールな絵面だった。
「あの、ルイネ様……なぜ猊下はこんな人形を作ったのですか……」
「護衛役さま。わたくしめのことは、どうぞルイネ、と」
「ああ、はい、ルイネさん」
「それは神子様が、身代わり用にとお作りになられた人形でございます」
ルイネが言うには、クリスが神子の私室に入ってきたときに本物と間違えた人形は、彼が体調不良を起こしたときや我がまま、身勝手さ、自分勝手に式典を抜け出すときに、代替として置くものだということだった。つまり、相当式典が嫌いなのだな。
クリスが精巧なそっくり人形をベッドに横たえる間に、本物の神子は息も絶え絶えになって椅子に座りこんだ。
「猊下、その調子では祭典は無理なのでは……。せめて装飾を減らしてはいかがですか」
途中で息絶えてしまいそうな神子を見かねたクリスがそう言うと、彼は「駄目だ」ときっぱり言った。
「これは祭服だと言ったであろう? 貴様のような馬鹿騎士風情には理解できぬやもしれんが、この装飾ひとつひとつには意味があるのだ。どれひとつ外すことはできん!」
「しかしそれでは」
「それでもだ」
わりと強情だった。
クリスは小さくため息をつくと、「では失礼ながら」と彼の前にひざまずき手を取った。
吹きすさぶ光よ、我が力をもって命じる。
我が主の盾となりその身を助けよ。
クリスはそう詠唱すると、そのまま神子の片手に手袋ごしにくちづけた。一瞬だけ淡い緑の光がはじけるのを見届け、顔をあげる。
「どうでしょう、これで少しは体が軽く……」
クリスはそこで言葉を切った。
他でもない、神子が悪鬼のような顔で彼女を見おろしていたからだ。思わず目を瞬くクリスだったが、神子は小さく何かを呟いたかと思うと、
「俺の許可なく、俺に触れるな……!」
その怒りを落としたのだった。
「運がいいな、新入り。猊下に触れて厳罰にされなかったのは、お前が初めてだぞ!」
「ええっ? そ、それ最初に言ってくださいよ!」
その後、大聖堂の控室という場所に移動した一行だったが、クリスは傍らに立っていた近衛騎士のひとりにそう小声で言われた。
許可なく触れたという理由で、過去に何人もの騎士たちを闇に葬ってきたという――ただの冗談だと思いたい――神子だったが、ここまで堂々とくちづけたクリスが単に怒鳴られただけで済んだというのは奇跡だと、騎士の男は絶賛した。
「まあ、新人りの通る道というやつだ」
「殺す気ですかッ」
うんうん、とうなずく騎士の男は、それから「じゃ、護衛は任せたぞ」と明るい調子で部屋の外へと出て行ってしまった。
「え、二人きり……?」
聖堂横に造られた控室は神子の私室と比べると狭い部屋だったが、しんと静まり返った室内に二人というのは、なかなかキツいものがあった。つい先ほど怒鳴られてしまった分、神子に話しかけられる雰囲気でもなかった。
(神子のことについて聞こうと思ったけど……)
クリスはちらと神子を見やった。
口を引き結んで黙って座っている彼は、頬杖をついて窓の外をながめていた。陽光に透けた布の向こうで、その柔らかそうな金髪がきらきらと輝いている。槍窓の向こうには、よく晴れ渡った空と、セン・ルナーレ大聖堂の鐘楼が見えていた。
月光祭を行うには申し分のない日であった。
まるで皮肉だ、と思うクリスは、先ほど神子の私室で彼がつぶやいた言葉が気になっていた。
――あの時と同じか…。
神子はそう言っていたのだ。
昨日初めて合ったのだから、あの時もなにも無いだろうと彼女は思うが、もしやどこかで会ったことがあるのかもしれない。人形の件といい、彼は式典を抜け出すことが多かったようだから。
記憶力はいいほうだと自負するクリスだったが、思い起こした記憶にはこんな美少年はとうてい出てきはしなかった。
「おい馬鹿騎士」
先に沈黙を破ったのは、意外なことに神子のほうだった。すっかり“馬鹿騎士”という呼び名が定着してしまったが、ちゃんと名前で呼べと彼に言うのは少し酷な気がしていた。
「なんでしょう、猊下」
「おまえ、俺の名が分かるか」
「え?」
クリスは目を瞬いた。
唐突な質問だった。
シェリフィーネではなく、彼の本当の名前のことを指していることは分かるが、クリスは昨日、彼が自分の名前を言えなかったことを思い出す。
それでなくとも、神子を継承した姫君は王族から席を抹消される。神子はあくまでも神の娘であって、人ではないということらしい。王族しか見られないという禁書には、彼の名前ぐらいは載っているのかもしれないが……継承に名を贄にした以上、本当に読める状態なのかは定かではなかった。
なんともいえない気分になり、クリスはやっとのことで「……申し訳ありませんが、猊下のお名前は存じ上げておりません」と、言った。
「そうか」
そう言って再び窓へと視線を戻した神子は、どこか寂しそうな顔をしていた。
気持ちが分からなくもなかった。名前を捨てたということは、それまでの彼自身の人生を捨てたも同じことなのだから。
シーヴ夫妻に拾われたクリスも、クリスティナという名前のほかに本来の名前があったのだろうが、その頃の記憶はとても曖昧だ。いまは全く思い出せなかった。
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少し修正。




