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騎士と姫君  作者: ももてん
第一章 ひとが空に祈るとき
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プロローグ

 薄暗い一室から、彼は窓の外を眺めていた。


 外はすでに日が傾き始めていた。

 めくられたカーテンの間から美しい夕日の光が差し込み、ひっそりとたたずむ少年の姿を紅く浮かびあがらせる。少年は腰下までまっすぐと伸びた髪に、質のいい布で仕立てられた長衣。そして胸元には大振りの石が着いた首飾りという出で立ちだった。

 少女めいたその容貌というのも相まって、遠目から見てそれが少年であるとすぐに気づく者は、この国には数えるほどもいない。

 その色のない瞳には、城のすぐ隣に建てられた闘技場が映り込んでいた。

 屋根のないその建物には数えきれないほどの人々が押し掛けており、まもなく日も暮れるというのに闘技場の周囲で騒がしく歓声を上げているのが窓越しにも感じられた。

 その人々の注目の先には、二人の人物が対峙している。ちょうど双方の剣が儀礼的に組み交わされ、決勝試合が開始されたところだった。


「――殿下」


 ふいに後ろのほうから声をかけられ、少年は弾かれたように振り返る。その動きに合わせて、彼のゆったりとした淡い色調の服が揺れた。

「……イリス」

 どこか、安堵したような声だった。

「まだ、お戻りになられなくともよろしいのですか?」

 その言葉を聞いて少年は忌々しげに舌打ちをすると、部屋の入り口に立つ人物へと向きなおった。

 視線の先にいたのは、一人の男だった。

 どこか異国めいた容貌に黒い髪と瞳。そして着込むその服までもが同じ色の男は、今は少年と同じく紅に染まっている。

「気配を消すなと、先ほども言っただろう」少年は男を睨みつけた。「ジャスティーナはどうした。彼女を守るのがお前の仕事ではなかったのか」

 言いながら、イリスと呼んだ男に歩み寄る。

 少年は男の目前で立ち止まると、冷笑を浮かべながらその顔を見上げた。


「それとも、お前まで『俺の護衛』になったのか?」


 だが、男はなんら動じることなく「いいえ。ジャスティーナ様に様子を見るよう命じられましたので」と淡々と述べた。そんな男の様子に少年は口元の笑みを消し、興ざめだといわんばかりに窓の外へと目を移した。

 先ほどあれだけ騒いでいた民衆の声が、どういうわけか聞こえない。試合に見入っているのだろうか、それとも、と少年はぼんやりと考えた。

「……俺がここにいたことは、誰にも言うな」

「もちろんです」男は先ほどと同じように抑揚のない声で答えた。

 部屋の中に沈黙が漂う。

 意識していなければ、この部屋に自分以外の人間がいるのだということを少年は忘れてしまいそうだった。

 少年はこの男ほど寡黙なやつを知らなかった。いっそ、「なぜここにいるんだ」と前置きなく怒鳴り散らしてくれれば面白かったのにと、少年は夕日を眺めながら思う。




 最期ぐらい、なにか変わったものが見たいものだ。




 ふいに男が口を開いた。

「先ほど、泣いておられました」

 誰が、と一瞬迷い、すぐに「ああ」と少年は腑に落ちた返事をした。

 この男の主人のことだ。こいつは相変わらず言葉が足りないのだ。少年は、一刻ほど前に自分に向かって泣きわめいていた少女の姿を思い浮べた。


 ――なぜ諦めるのですか! お逃げになろうとなさらないのですか?


 少女は、彼の袖を強くつかみながら言った。少年はそれには何も答えず、彼女の護衛役のこの男に、貴賓室へ連れて行くよう命じたのだった。

「それがどうした。だから慰めに行けとでも言うのか? ……笑わせるな」

 少年が男に向けて笑うと彼は困惑したように眉根を寄せた。それを見て、言いようがなく暗く淀んだ何かが少年の胸に湧きあがる。

「俺は神ではない。貴様らの思惑に動かされるのは、もううんざりだ!」

 少年が声を荒げると、長くまっすぐとした髪が体にまとわりつくように揺れた。そんな些細な事実が、無性に心を波立てた。

「殿下、姫はそのようなことを望んだわけではありません」

「わかっている……ッ」

 この男の言いたいことが“泣いた少女を慰める”ことではないのは、少年にも分かっていた。だが、そう言わずにはいられなかった。


 ――逃げられるものなら、とうに逃げ出している。


 先ほどこの男の主人にそう怒鳴らなかっただけ、褒めてほしいものだ。この長い髪に、布が絡んで動きにくい衣服。少年は己をつくるすべてが憎かった。

 行動を限られ、監視の目が常に彼を追う日々。

 逃げ出そうとしても、自分の兄のように剣が扱えるわけでも逃げ切れるだけの体力があるわけでもない。普通に暮らしていれば誰もが知っている、一人で生きるための知恵すら彼にはない。

 すべてが憎かった。

 だが少年自身わかっていた。牙を折られた獣になろうと何度でも逃げ出せばよかったのだ。逃げられない、と少年を縛り続けていたのは、他ならぬ彼自身だった。

 神に愛されし国、ヴァレリオル。月の神子といわれる自分がこれほどにも世界を憎んでいることを知ったなら、人々はどう思うのだろうか。

 今ここで窓を開け放ち、獣のように吠えてしまいたい。


 ――光は誰しもに平等に降り注ぐものですよ。


 神子としての自分が口にするたびに、心がえぐられた言葉。ぎりと唇を噛む。

 光など、降り注ぐものか。

 背にした窓から押し寄せる歓声が聞こえ、少年ははっと我に返った。そして力なくその場に体を折った。涙は出ない、いや、泣いてしまいたくない。

「……我が命はすでに三日後だ。今さらなにをしようという気はない」

 こうしている今も外では試合が進み、少年の残された時間が削られていく。数日後の儀の執行人が決まろうとしていた。

「憐れむのなら、いまここでお前が片をつけるか?」

 この男なら無駄に苦しませるようなこともなく、少年の願いを叶えるだろう。そうして『やつら』の思惑を裏切ってやるのも一興かもしれない、と彼は思った。

「あなたが、本当にそれを望まれるのであれば」

 その言葉に少年の瞳がわずかに揺らぐ。

 わかっている。自分から言い出しておきながら、逃げようとしなかった自分にはそれを決行する勇気などないことを。

「……もういい。下がれ」少年は目を閉じたまま言い放った。

「殿下」

「下がれと言ったんだ。彼女に何を言われたのか知らないが、もう俺に構うな」

 一人になりたかった。

 誰かがそばにいれば、それだけ醜い自分に直面することになる。『彼女』の愛した『美しい姫君』として、最期までいたかった。


 ――助けてさしあげますよ、姫君。


 ふいに、幼いころ誰かが少年に言った言葉が思いだされた。

(俺のことを『姫君』などと……、忌々しい)

 あれはいったい誰だったのか、もう顔も忘れてしまっていた。あの時に差し出された手を取っていれば、こんなふうに何かを恐れることもなかったのだろうか。

 だが、いまとなっては遅い。ここにその姿がないということは、彼もまた少年を裏切ったということなのだから。


「……御意」


 ふいに扉の閉まる音だけが小さく聞こえ、顔をあげた。

 部屋の中には少年以外に誰もいなかった。どうやら少女の護衛役は、最後まで“気配を消すな”という命令を守るつもりはないらしい。忠誠を受けたの覚えはないので一向に構わないが。

 少年は険を深めたまま外を見やる。

 闘技場の中央で、先ほどの剣士が人々に見えるよう剣を掲げている様子が見えた。瞬間、観衆が一斉に沸き立つ。少年はその光景を冷ややかな目で見つめていた。

 表情こそ見えないが、あの剣士はいま笑っているに違いない。


 これから何が始まるのか、まるで知らないままに。


 少年は胸元の首飾りへと目を落とす。

 鎖の先端に揺れる石が夕日を受けて輝くさまを、まるで血の塊のようだと思いながら、少年はそれを強く握りしめた。

「光がみなに等しく降り注がんことを。……『滅ぼす者』に神の裁きを」

 誰に言うでもなくそう言い放つと、淡い月明かりのような光が一瞬はじけた。それを見届けた少年は静かにその瞳を閉じた。




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