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友情と愛情

 空を見上げると太陽の光が燦々と照りつける、というほど良い天気でもない日曜日の昼過ぎ。

 家の近所にある小さな公園のベンチに私は座っている。何年か前から行われている危険遊具撤廃はこんな小さな公園にまで手が伸びているらしく、ジャングルジムなどほとんどの遊具に黄色いテープが巻かれて使用禁止となっている。高校生にもなって遊具を使うつもりもないので別に文句があるわけではないけど、遊び場を奪っておいて外で遊べなんて勝手なものだと思う。生まれたからには生きろ、と同じくらい勝手だ。

 そんな遊具事情も関係しているのかは分からないけれど、公園内に私以外は誰もいない。そういえば、入り口付近に公園の取り壊しがどうとか書いた張り紙があった気がする。もしかしたら、それも関係あるのかも。

 まぁ、どうでもいっか。とベンチに手を着いて、再度空を見上げる。

 七月に入ったせいか暑さも一段と増してきた今日この頃だけど、今日は曇り時々晴れという予報が的中して、なかなか過ごしやすい天気だ。風も涼しい。好きな天気と聞かれたら雨と答えるけど、やっぱり遊びに行くときくらいは降らないで欲しい。

 今日は珍しく二標君と二人で遊びに行くことになっている。珍しく、というか初めてかもしれない。うん。初めてだ。仁木谷さんや寺前君、独り身グループ(命名私)の皆は驚くかもしれないけど、初めてだ。

 高校生になって三ヶ月ほど経ち、そろそろ学校にも慣れてきたから彼女でも作ろうかという魂胆……ならどれほどいいか。二標君に限ってそれは有り得ないから、私の心の中は疑惑でいっぱいだ。一体、二標君は何が目的で私を誘ったのだろう。

 私の疑心を更に増長させたのは、この公園を待ち合わせ場所に指定したこと。

 これまで独り身グループ(最近はメンバーが減りつつあるせいか、残り者グループと呼ばれるようになってきた)の友達と遊びに行くときは家の場所もバラバラだったので駅などを待ち合わせ場所にしていたが、こんな家の近所を待ち合わせ場所にするならウチに来ればいいと思う。私も暑い中で待つのは嫌だったのでそう提案してみたけど却下された。理由を聞いたら、私の親と顔を合わせるのが恥ずかしいからと言っていたけれど、百パーセント嘘。二標君に恥らいという感情があるのかさえ疑わしいものだ。

 つまり、何か起こるとしたら、まずはこの公園が怪しい。とはいえ、誰もいない昼間の公園で何が起こるというのだろう。まさか私一人を狙って爆弾を仕掛けているはずもあるまい。

 まぁ、どうでもいっか。再びそれで思考を終えて、私は空を見上げるのを止める。

 その時、視界の隅に誰かが見えた。公園の入り口付近だったので、五分遅刻して二標君が来たのかと思い顔を向けると、そこには予想外の人物がいた。



「生原。お前、クロセって奴とあれから会ってないのか?」

 二標君にそう聞かれたのは、一ヶ月くらい前、私がプチ失踪事件(少し可愛らしく言ってみる)を起こした帰り――両手首を傷が思ったより深く、流石にそのまま自転車を漕がせるわけにはいかないということで、二標君の荷台に乗せてもらっている時のことだった。

 血まみれの手で二標君にしがみつくわけにもいかないから、背中合わせに座っている。逆向き二人乗りは初めてだったけど、思っていたほど怖くなかった。

 人生初二人乗りは、二標君が口にした『クロセ』さんとだった。中学一年生の頃、理由は忘れたけど急いでいて、クロセさんが漕ぐ自転車の後ろに乗った。ちょっと怖かったけど平気なフリをした記憶がある。

 少し懐かしいことを思い出してから、私は質問に答える。

「会ってないよ」

 それまではほぼ毎日一緒に登下校していたけど、入試の日以来それもなくなり、中学校では話どころか顔も合わせなくなった。お互い避けていたところもある。私はこのあたりでは珍しく中学の頃から携帯を持たされていたから、クロセさんは私の電話番号を知っているけど連絡も一切無し。

「一回会ってみたらどうだ? 案外気にしてるかもしれないぞ?」

 答えが分かっているくせに質問をする二標君は少し性格が悪い。

 会うわけがない。気にしているかもしれなくても、会って、謝られてしまえば、どうしようもない。仲直りするしかない。

 それは死ねない理由を増やすことになる。だから会わない。

 でも、私を死なせまいとしている二標君にそんなことを言えるはずもない。こんな夜に探させてしまったことに罪悪感を覚えていないわけでもないし。

 私が黙っていると、二標君は「ま、いいけどな」と言った。本当にどうでもよさそうな口調だった。

 手首に当てている元うぐいす色のハンカチは血が染み込んで少し気持ち悪い感触になっている。でも、これ以外にハンカチやタオルは持っていないし我慢だ。

 帰ったらすぐ洗濯しなくちゃ。前みたいに長い間放置していると、今度こそ完全に色が変わっちゃうから。



 公園の入り口で少し戸惑うように片足を前後に動かしてから、クロセさんは結局公園の中に足を踏み入れた。帰ると思ったから、少し意外だった。

 公園内にはベンチが四つあり、私の座っているところと、その隣にもう一台。そして対角に二台ある。

 対角にあるベンチに腰掛けたクロセさんをチラリと見てみる。

 中学に入って、入試の時のような友達が出来てからは似合わないギャル風メイクをしていたクロセさんだけど、今日は随分と薄化粧だった。高校に入ってイメチェンしたのかな。服装も無駄に露出度が高いものじゃなくて、清楚な感じ。他の人と違ってクロセさんは素材がいいから、こっちの方が可愛いと思った。

 こんなところに来るなんて、クロセさんも誰かと待ち合わせかな、と考えたところで、嫌な想像が頭をよぎった。

 まさか二標君の仕業かな。あれ以来、クロセさんについては何も言ってこなかったけど……。

 人の不幸を喜ぶサディストのような笑みを思い出して、思わずしかめ面になってしまう。

 噂をしたわけじゃいけど、二標君が公園に来たのは、ちょうどそんな事を考えていたタイミングだった。

 ただし、一人ではなく、友達……あ、入試の時に二標君と一緒にいた人だ。名前は知らないけど、その人と一緒にいた。

 そしてその友人さんは、クロセさんに声を掛けた。二標君はそれを見てから私を見て手招きする。

 その顔は、普段はなかなか見せない笑みを浮かべていた。

 意地悪そうな、サディストの。

 仕方なく腰を上げて、横に置いていた手提げ鞄を手にとって三人のもとへ向かう。

 二標君の服装はTシャツの上に薄手のパーカーを着ていて、下はジーンズを履いている。夏服の二標君を見るのは初めてだったけど――私も人の服装をどうこう言えるようなセンスの持ち主ではないけれど、と前置きした上で――意外とまともな格好だ。

 友人さんは七分袖のTシャツに少し大きめのカーゴパンツと、少しやんちゃ気のある服装。清楚系のクロセさんに話しかけている光景はナンパにも見える。

 でも、クロセさんの安心した表情を見るに、二人は知り合いみたいだ。過去に一度だけ二標君と、友人さんの話をした時に、私達が通っている高校の入試は落ちて、滑り止めというか本命の私立に行ったと言っていたから、もしかしたら二人は同じ学校なのかもしれない。

「よ、生原。一昨日ぶり」

「うん。一昨日ぶり」

 それで、これはどういうことなの? そんな意味を込めて視線を送ったけど、二標君は挨拶だけすると踵を返してしまった。

「二標、こっちが俺の言ってた黒瀬な。こいつ、二標」

 友人さんは、クロセさんと二標君を順番に指差しながら、それぞれの紹介をする。

「あぁ。初めまして。谷坂の知り合いの二標です」

「親友の間違いだろう?」

「知り合いの二標です」

 繰り返された言葉にショックを受けた表情をする友人――谷坂さんを見て、クロセさんは小さく笑みを浮かべた。

「谷坂君と同じクラスの黒瀬です。初めまして」

「友達の間違いだろう?」

「えっと、同じクラスの黒瀬です」

 再びショックを受ける谷坂君を見て笑う二人。取り残されている私。

 それにしても、クロセさんが二標君や谷坂君の事を覚えていないのは分かるとして、その逆はあるのだろうか。二標君の話ぶりからして、谷坂君も私達の事を見ていたはず。確かに、入試の時と比べると化粧の仕方で大分雰囲気が変わっているけど……。

 そうだ。それに、二標君はクロセという名前を盗み聞きで知っていた。谷坂君から事前に聞いていたのかもしれないけど、何も反応しない時点でスゴく怪しい。

「それで、そっちの人が二標の言ってた生原さんだろ?」

 ガクンとうなだれていた谷坂君が顔を上げて私を見ながら二標君に問う。

「あぁ。友達の生原」

「同じクラスの生原です」

 お辞儀をして顔を上げると、二標君がしかめ面をしていた。いい気味だ。

「俺と二標は中学の頃からの友達なんだけど、さっきそこで偶然会ったんだよ」

 谷坂君が少し子供っぽい笑みを浮かべながら言う。偶然。怪しいものだ。

「それで、お互いに人は少ないし、一緒に遊ばないかって話になったんだけど、どう?」

 思わず顔をしかめてしまったかもしれない。ううん、こちらをチラッと見た二標君がつまらなそうな表情をしたから多分大丈夫。

 谷坂君は私とクロセさんを交互に見た後、クロセさんに視線を止めた。

「え、あ、うん。私はいいよ」

 しっかり考えた答えじゃないことは丸分かりだけど、谷坂君は満足そうに笑みを浮かべて頷く。二標君と違って、素直な笑顔だった。

「生原さんもいい?」

 そう聞かれては断りようがない。私は基本的にイエスマン、ううん、イエスウーマンだから。二標君の思い通りに進んでいるようで、少し悔しいけど。

 私が頷くと、谷坂君は再び笑顔を浮かべた。




 谷坂君グループも、二標君も、そしてもちろん私も、遊びに行くのに誰一人として行き先を決めていなかったらしく、結局、私の意見で本屋に行くことになった。

 目的のものがあるわけではなく、面白そうな本があったら買おう、程度の考えなので近所にある小さな書店でもよかったのだけど、『どうせなら大きい本屋に行こう』という二標君の言葉で、県内では多分一番大きな書店に向かうため電車に乗ることになった。

 今は駅までの道を歩いているところなんだけど、二標君と谷坂君が並んで歩いて、私と黒瀬さんがその後ろに付いていく形になっているせいで少し気まずい。

 たまに谷坂君が後ろを向いて話し掛けてくれるけど、私や黒瀬さんが口を開くのはその時くらいだ。

 二標君は全然後ろを向かないけど、気まずい雰囲気になっている私達を見て、内心ほくそ笑んでいるのかもしれない。そう考えると、肘を狙ってデコピンをしたくなった。しないけど。

 それにしても、と私は地面を見るのを止めて、前を歩く二人に目を向ける。

 谷坂君が私達に話し掛けている時以外、この二人はずっと喋っている。と言っても、八割くらいは谷坂君のお喋りみたいだ。でも、二標君も普段と変わらない表情だけど、どこか楽しそうだし、やっぱりこの二人は仲が良いんだなぁ、なんて思う。性格が正反対の方が仲良くなりやすい、理由は互いに持ってないものを持っている相手だから、という、どこで知ったかも分からない言葉が頭に浮かんだ。

 私と黒瀬さんはどうなんだろう。基本的に二人とも大人しい性格だと思う。私が無口すぎるというのもあるし、黒瀬さんは話に熱が入ったりすると声が大きくなるから、そういうところが違うと言えば違うのかもしれない。でも羨ましいとは思わないかな。その癖を直したいって本人も言ってたし。見栄っ張りなところは……お互い様かな。

 そんな事を考えているうちに私達は駅に着き、ちょうどよく入ってきた電車に急いで乗り込んだ。

 後ろのドアが閉まり、電車がゆっくりと動き出す。走ったせいで息が切れている私や黒瀬さん、ついでに二標君も膝に手を付いて呼吸を整えている。体育の授業ですらまともに運動しようとしない私や二標君、黒瀬さん(中学の時の話だけど)にとって、駅の階段ダッシュはそれなりに堪える。体育の授業で張り切っていそうな谷坂君は一人平気そうな顔をして、電車の中を見回している。

「空いてるところみっけ!」

 谷坂君はそう言うと飛ぶような勢いでボックスシート席を取る。日曜日の昼過ぎなんて電車は混んでいそうだけど、実際はボックスシートを取れるくらい空いている。まぁ三十分に一回しか電車が無いようなところだから、車で移動した方が色々と便利なんだと思う。

 谷坂君が窓際の席に座り、二標君が隣に、黒瀬さんが正面に座った。ようやく息が整った私は、二標君の正面の席に座りながら最後に大きく息を吐いた。

「大丈夫かよ、三人とも」

 心配するように、でも少し呆れたように谷坂君は言う。日頃から運動さえしていれば疲れるような距離でなかったから、気持ちは分かる。心配してくれるだけ良い人だ。

 その言葉にそれぞれ頷いて答えてから、私は背もたれに寄り掛かった。昨晩、寝る時間が遅くなったせいか少し眠気を感じたけど、流石にこの状況で眠れるほど肝は座っていない。

 今さら考えても遅いけど、どうせなら窓際が良かったな、と思う。窓から外の景色を眺めていれば、十分や二十分の時間くらいあっという間に過ぎてしまうだろうから。

 通路を挟んだ隣のボックスシート席をチラリと見てみる。

 座る時に視界の端に見えたけど、隣の席には親子三人が座っている。お父さんとお母さんが通路側に向かい合って座っていて、お母さんの隣には四、五歳くらいの女の子がいる。といっても、お母さんに半分抱きつくような形でもたれかかって目を閉じている。

 眠っているのかな。そんな事を考えながら、その寝顔をじっと見ていると、そんな視線に気付いたのか、女の子のお母さんが私の方を向いた。

 変な人と思われたかも(もし二標君が私の心を読めるなら『変な奴だろ』とツッコミを入れてくるかもしれない。ボケたわけじゃないけど)。反射的にそんな事を考えた私に、女の子のお母さんは笑みを浮かべて小さく首を傾げた。

 私はどういう反応をすればいいのか分からずに、小さく頭を下げてから、顔を俯けたまま体の向きごと前に戻した。

 顔を上げようとは思わない。多分、ううん、絶対、二標君がニヤニヤしていると思うから。



「そういえば、生原の母さん、良い人そうだな。美人だし」

 二標君がそんなふうに話し掛けてきたのは、独り身グループが出来る前、私と少し話すようになった頃だった。

 場所は教室。昼休み、二標君は私の机の前の席に座って、自分の弁当を持ってきていた。

 入学からまだ二週間しか経っていない教室は随分と静かで、話し声も小さなものが多い。一人で弁当を食べている人の姿もチラホラとあるくらいだった。

 私の家が母子家庭だという事を、この時の二標君は知らなかったと思う。それから約二か月後、両手首を切った私を家に送った時、二標君は少しの間だけウチに上がった。その時にお母さんが話したから今は知っているけど。あの話を忘れてなければ。あるいは、長話を聞き流していなければ。

「なんで?」

「なんで、って見た感じの雰囲気だから詳しく説明しろって言われても無理だけどさ」

 私としては『なんで急にそんな質問を?』っていう意味の『なんで?』だったのだけど、二標君は違うようにとらえてしまったみたい。訂正するのは面倒だし、そこまで気になったわけでもないからいいけど。

 でも、相手にちゃんとした意味が伝わらないというのは困るから、面倒だからという理由で喋る言葉をなるべく短くしようとする癖は治した方が良いのかもしれない。

 確かに私のお母さんはとても良いお母さんだと思う。私が小さい頃にお父さんと離婚して、養育費とかは十分にもらっているみたいだけど、慣れない仕事をしながら、こんな私をここまで育ててくれた。怒る事が苦手で、私が自分を傷付けたりすると悲しそうな表情をする優しい人だ。

 私が頷くと、二標君は「ふーん」と小さく鼻をならしながら弁当に視線を落とした。

「お母さんがどうかしたの?」

 どこか探るような雰囲気を感じて訊いてみるけど、二標君は何事もなさそうに箸を持った手を小さく振った。二標君は少し、お行儀が悪いところがある。

 二標君とお母さんが顔を合わせたのは入試の時くらいだけど、あの時は別に何もなかったと思うし、今も質問は、沈黙を嫌っての他愛もない話かな。

 その時の私はそう結論付けたけれど二標君の性格を知っていくほど、あの質問が気になるようになった。

 だって、二標君は少しの沈黙で気まずくなるような可愛い性格じゃない。それに、独り身グループが出来て、他の人と話すようになって気付いたことだけど、二標君は誰が相手でも踏み込んだ質問をしない。本人に確かめたわけじゃないから、事実は分からないし、『相手に踏み込む』という行為も私の基準で計るしかないけれど、その中には『家族』についても含まれている気がする。実際、私は二標君が誰かと家族の話をしている場面を見たことがない。知り合ったばかりの頃など互いによく知らないため、家族や兄弟など、誰でもある程度は話題になる話になりそうなものだけど、二標君はそうしなかった。普段の彼からは考えられないくらい自分の事を喋るのだ。それは、二標君を知らない人から見れば何もおかしくない光景だけど、知っている人からしたら意外な一面だ。そして、相手が心を開いて自分の事を喋ったら、そこから相手に踏み込みすぎないように、綱渡りのような会話をしていく。

『人に興味がないのか知らないけど、何となく何かを察しても、黙っててくれるし何もしようとしないから、二標と一緒にいるのは楽だよ。異性としての好きとは違うけど』

 というのは、仁木谷さんの言葉だ。後半部分は、もしかして寺前君の事を言っているのかな、と思ったけれど、そう言うなら黙っていた方がいいんだろうと私は『そうかも』とだけ返した。

 人に興味がない、か。確かにそうなのかもしれないけど、私は少し違う想像をしていた。

 二標君は人に興味がないんじゃなくて、自分に興味を持って欲しくないんじゃないかな。

 もちろん、全く誰とも関わりたくないほど人を遠ざけているわけではないのは普段の彼を見れば分かるけど、必要以上に近付かない、いつも誰とでも一定の距離を保っているように見えることがある。人によって、その距離はまちまちで、あんまり話したことがない人は遠くて、寺前君や仁木谷さん、自惚れじゃないなら私も少し近いところにいる。でもそれはあくまで二標君が許している距離。

 初対面の人との会話で自分のことを話すのは、それ以上、自分に踏み込ませないための、ある種の自己防衛ライン。

 そして誰も、彼のラインを越えている人はいない。

 なんてのは全部、暇を持て余した私の妄想でしかない。

 向かいの席で大あくびをしている二標君を見ていると、この人がそんな繊細な心を持っているはずがないと思えてくる。いや、持ってなくても不思議じゃないんだけどね。私の妄想だから。

 二標君に続いて、隣の谷坂君が欠伸をした。

「二標の欠伸が移った」

 そう言って笑う谷坂君に、二標君は微かに笑みを浮かべた。

 でも、もしかしたら、谷坂君くらいはラインの内側にいるのかもしれない。

 だとしたら、それは二標君からすれば、どんな気持ちなんだろう。

 嬉しい、頼もしい、心強い、それとも恥ずかしい?

 全然予想が付かないのは、私のラインの内側に誰もいないからっていうことなのかな。




 本屋に着くまでに隣を歩く黒瀬さんから視線を何度か感じた。と、思う。

 自覚はないけど、私が気にしすぎているだけかもしれない。

 でも、それが本当でも勘違いでも、どちらでもよかった。どちらにせよ、私から黒瀬さんに何かするということはないから。

 だって、たとえ黒瀬さんが入試の時の事を悔いる――とまではいわないけど悪いと思っているとしても、そして二標君の目的が『私と黒瀬さんの仲直り』だとしても、それは私にとってマイナスにしかならない。だって、それは『死ねない理由』が増える事になるから。

 数ヶ月の付き合いしかない独り身グループのみんなでも厄介なのに、そこに幼馴染なんて増えたらますますやりにくい。私にとって、黒瀬さんは私のことが大嫌いなくらいでちょうどいい。そう思うくらいに、今も黒瀬さんの事は好いているから。うん。ますます厄介なのがこの気持ち。漫画とか小説に出てくるような精神的に弱い主人公なら結構なトラウマになりそうな目にあった私だけど、黒瀬さんの事は嫌いになれていない。理由として考えられるのは、やっぱり時間だと思う。お互いの相性とかじゃなくて、ただ単に一緒にいた時間。死ねなくて仕方なく生きてきたはずなのに、過去から全部ひっくり返されるのはやっぱり嫌みたい。

 だから、というわけでもないけど、もしも黒瀬さんが仲直りを申し出たら、私は断れない。むしろ喜びさえするかもしれない。

 もしかしたら二標君もそれが分かっていて、こういう場を作ったのかも。

 それにしては、私達の間を取り持ったりする気がなさそうだけど。

 本人にそういう意図があるのかは分からないけど、たまに振り返って話しかけてくるあたり、どっちかといえば谷坂君の方が頑張っているような感じだった。

 もしかして、仲直りの場は整えてやったから後は勝手にやれ、ということなのかもしれない。だとしたら、なんて勝手な。あまり人のことは言えないけれど。

 書店の駐車場は満車みたいで、スペースが空くのを待ちながらゆっくりと走る車もあった。駐車場がそんな状態だから当然だけど、店内はそれなりに混んでいた。と言っても、ほとんどの客は雑誌コーナーか漫画コーナーに行っているみたいで、私が用事のある小説コーナーはあまり人がいない。

 人二人が並べば塞いでしまう細い通路のため、ここでは一列となって進む。

 道中、小説を読む習慣はないと言っていた谷坂君が何故か先頭を切って、物珍しそうな表情で、平積みされている小説を見ている。その後ろが黒瀬さん、そのまた後ろが二標君で、最後尾に私。一番後ろというのは楽でいい。後ろから急かされることが無いから。

 当初の目的通り、何か面白そうな本がないか探していると、ふと一冊の本が目にとまった。

 他の二人に気付かれないよう、二標君の服を摘み、軽く引っ張る。

「ん?」と、少し気の抜けた表情で振り返った二標君に分かるよう、先程の本を指差す。

 その本のタイトルは『仕組まれた罠』。今の私の状況を表した、なかなか良いタイトルだった。

 二標君はいつものように顔をしかめる、かと思いきや、無表情のまま、その近くの本を指差した。タイトルは『冤罪』。ミステリーかな。いや、今はそんなことはどうでもいい。冤罪? でも、そんな偶然があるはずもない。

 私は平積みされている小説に目を走らせて、少し遠くにある本をビシッと指差す。その本のタイトルは『誤魔化しきれない嘘』。推理モノ? 恋愛モノの可能性もありそうなタイトルだ。

 二標君はすぐに違う本を指差す。

『偶然』。

 その本の隣を指差す。

『必然』。どうやら、偶然と必然で上下巻構成になっているみたい。少し面白そうかもしれない。

 そんなことを繰り返していると、いつの間にか他の二人が足を止めて私達を見ていた。

 谷坂君は私達と目が合うと呆れた表情のまま息を吐いた。

「お前ら、口で喋れよ」

 谷坂君の言葉に、黒瀬さんは可笑しそうに小さく息を吹いた。

 反射的に顔が熱くなって、それを誤魔化すためにしかめ面を作ってから俯いた。

 二標君も同じ様な顔をしているのかな、と思って少しだけ顔を上げて表情を見てみる。でもその表情は、私が思っていたものとは違い、二標君にしては珍しいものだった。

 平積みされている一冊の本に視線を落とす。先程、タイトルコミュニケーション(即興名)をしている際、目に入ったものだ。

 『笑顔』。初対面の人と話すときとは、多分、別の。




 独り身グループのメンバーは、ほとんど二標君が集めた。いつの間にか一緒にいたり、相手から話しかけてきたり、メンバーの友達だったり、パターンは様々だけど、半分は二標君が自分で話し掛けて仲良くなった人じゃないかと思う。

 いつの間にか一緒にいたパターンだった仁木谷さんにこの話をしたら、『あの二標が?』って驚いた顔をしていた。この話をしたのが、二標君は人に興味がない云々の話をした後だから、尚更だったのかもしれないけど、その反応も当然だった。だって、二標君は仲良くなった相手には無口になる。たまに喋るときもあるけど、基本的に無口。それに、会話だってそんなに上手いわけでもない。二標君より無口で会話が下手くそな私が言うのもなんだけど。

 そして、それは初対面の人と話すときも変わらない。自分のことを話すけど、相手も会話が苦手だと、話が途切れて変な沈黙が流れることがある。それでも気にしないのが二標君なんだけどね。

 それに二標君はそんな時でもずっと笑顔だった。この話を仁木谷さんにしたら『嘘』と断言され、実際にその場面を見たら『信じらんない……』と有り得ないものを見たかのような反応をした。

 初対面の人と話すときに二標君が浮かべる笑顔は、絵に描いたような笑みだった。貼り付けたような、というほど不自然ではなく、かといって自然なものでもないと思う。無理して笑っているわけでも、自然に笑みが浮かぶわけでもない。だから多分、あれは相手を安心させるための笑みだったんだと思う。

 その考えに妙な確信を抱きながらも、心の隅で、二標君にそんな気遣いが出来るのかな。というか、二標君自身、誰かの笑顔で安心したりするタイプには見えないから、そんな他人の気持ちなんて分からないんじゃ。って思っていた。

 でも、谷坂君みたいな友達がいるなら、笑顔が人を安心させるということを、やっぱり二標君は分かっているのかもしれない。

 じゃあ、入試の日、屋上で会った時にその笑顔を私に向けてくれなかったのは、何の意味もないことが分かっていたからなのかな。

 それともやっぱり、すぐに自殺しようとする私を内心で嫌っていたのかな。

 うん。そうならいいな。




 買い物を終えた私達は、書店の中にある喫茶店で一息ついていた。

 店内はやはり混んでいて、話し声が店中から聞こえてくる。本屋や喫茶店といえば静かなイメージがあるけど、ここは当てはまらないみたい。

 もっとも、私達も静かにしているかといえばそうではない。外にいた時より少し声は押さえているものの谷坂君の声はそれなりに大きいし、黒瀬さんも私がいる状況に慣れてきたのか、それとも気にしないことにしたのか、谷坂君との会話の中でたまに声が大きくなっている。そのことに本人も気付いていて、すぐに声量を落とすからそこまで気にはならないけど。かくいう私も、二標君に『生原の声って小さくてもよく聞こえるよな。透き通ってるというか、なんというか』と言われたことがあるため、あまり人のことは言えないのかもしれない。

 静かなのは二標君くらいだ。特別何をするわけでもなく、ときたまアイスココアを飲みながら、谷坂君と黒瀬さんの会話に耳を傾けている。飲み物がアイスティーというだけで、私も同じ様なものだ。

 それにしても、谷坂君は本当によく笑う。そして、その笑みは貼り付けたようなものでも、相手を思ってのものでもなく、おそらく自然な笑みだ。

 多分、谷坂君はすごく正直な人なんだと思う。嘘も付かなければ、誤魔化しもしない、独り身グループの人達、特に私や二標君みたいな人からすれば、聖人のような人。

 よく一緒にいられるなぁ、と感心してしまう。私は、多分無理だ。正直過ぎる人と一緒にいると疲れる、という理由もあるけれど、何よりも、重すぎる。

 正直、というか、ありのままの心や気持ちというのは、それを聞いた相手の重荷になる。というのが私の持論で、私は誰かの重荷を背負うのが嫌なので、誰にもそれをしないように気をつけている。

 だから、二標君には少し借りがある。入試の時、ついつい本音を口走ってしまったから。それも、思い返すだけで赤面してしまいそうな内容の事を、長々と。

 高校に入学してからも二標君が私のことを気にかけているのは、やっぱり何か背負わせてしまったからなのかも。そう考えてしまうと、二標君を邪険に扱う事が出来ず、いつの間にか独り身グループなんていうのが出来ていた。

 でも、独り身グループは、正直なところ居心地が良い。他人と壁を作るタイプの人が多いおかげで、誰からも本音を聞くことなく、入試の時のように私の心が揺れることもない。生きなければならないのなら、何事もなく、静かに生きたいから。口に出せば誰かの重荷や枷になるだろうから、そんな本音は心にしまって、変わりにアイスティーに口を付けてから小さく息を吐いた。

 気付くと、向かいに座っている二標君のアイスココアがなくなっていた。飲むの早いなぁ。喉乾いてたのかな。

 そんな事を考えながら、再度アイスティーを口元に運んだとき、二標君が「ちょっとトイレ」と行って席を立った。

「あ、俺も」

 テーブルに両手をついて席を立つ谷坂君に、「え?」と戸惑うような呟きを漏らしたのは黒瀬さんだった。アイスティーを飲んでいなかったら私も思わず口にしていたかもしれない。

 お手洗いは喫茶店内に無いため、書店のものを使わなければならない。二標君もそれは分かっていたらしく、谷坂君を先導する形で店を出て行った。

 そして残された私達には、気まずい沈黙が流れる。でも、先程までのようにお互い目を合わせないようにしているわけではなく、黒瀬さんがチラチラと私を見ていた。

 確か、黒瀬さんと初めて会った時も、こんな仕草をしていた。


 小学校に入学する少し前だったと思う。病院を退院した後、お母さんの知り合いが近所に引っ越してきて、うちに挨拶しに来た。その知り合いというのが黒瀬さんの両親で、つまるところ、私と黒瀬さんの初対面だった。

 お母さんの隣に立って黒瀬家の人を出迎えた私と違って、黒瀬さんは両親の影に隠れて、たまに顔を出しては引っ込めていた。

 幼い頃の黒瀬さんは、今より髪が短くて、眉毛はいつもハの字になっている、内気そうな子だった。

『人見知りが激しくて』と、黒瀬さんの両親が苦笑していた記憶がある。

 でも、私と黒瀬さんはすぐに友達になった。私の一方的な思い込みではなく、お互いにそうなったことを分かっていた。心と心で繋がっていたから、と言えれば素敵なのかもしれないけれど、そんなことではない。

『あの、友達に、なってもらえませんかっ!』

 ダイニングテーブルを囲んで談笑している大人達から少し距離を置いて、私はリビングにいた。確か、テレビを見ていたんだと思う。そこに恐る恐る近付いてきた黒瀬さんは、開口一番でそう言った。

 ことあるごとに声が大きくなる癖はこの頃だったのか、結構な声量で、談笑していた大人達も少し驚いた表情でこちらを見ていた。お母さんは少し心配そうな表情をしていたかもしれない。

 少しだけ目に涙を溜めている黒瀬さんを、私はじっと見上げた。

 大人達と同じように驚いていたんだと思う。保育園に友達がいないわけではなかったけど、そういう風に言われるのは初めてだったから。

 ここで頷いたら、この人は私の友達になる。それは、少し厄介だ。友達っていうのは大切な存在で、そんな人がいるっていうのを自ら認めることになるから。

 当時の私がそんなことを考えていたとは思わないけど、驚き以外に戸惑いもあったから、なんとなくそういうことを察していたのかもしれない。

 でも、後日聞いたところ、その時の私は驚きも戸惑いも顔に出ていなかったらしく、そんな無表情な顔にじっと見られて、黒瀬さんは睨まれていると勘違いしたらしい。

 少し体を震わせながら、目に涙を着々と溜めていく黒瀬さんを見て、私は思考も全部すっ飛ばして小さく頷いた。

『友達ってのはいつの間にかなるもんだ』なんていう、ドラマやアニメの安っぽい台詞を馬鹿にするように、私と黒瀬さんは友達になった。ただ一緒にいるだけの他人ではなく、友達であることを認め合ってしまった。

 それでそんな関係は、今年の三月まで、十年くらい続いていた。

 そう考えると、長い。長すぎたかな。

「あの、さ」

 ボーっとアイスティーを眺めていた私は、その声で反射的に顔を向ける。

 黒瀬さんと目があった。こうしてちゃんと見てみると、昔の面影が残っていた。

 何故か声が出なくて、仕方なく代わりに首を傾げる。

 黒瀬さんは意を決したように体をこちらに向けて、膝におでこがつきそうなほど大きく頭を下げた。

「ごめん」

 うん、と言おうとしたのに、相変わらず何故か声が出ない。

 頭を上げてくれれば頷くだけで済むのだけれど、黒瀬さんはずっと頭を下げたまま言葉を続けた。

「本当はずっと謝ろうと思ってたんだけど、なかなか出来なくて」

 黒瀬さんはあの後の私の行動を知っているのかな。知っているのだとすれば、踏ん切りがつかなくて当然だ。私があんな事をしたのは黒瀬さんのせいではないのだけど、他の人から見たら――もちろん、黒瀬さんから見ても、あの行動は黒瀬さんのせいという風に勘違いしてもおかしくないから。

「いま謝らないと今日みたいな偶然、もうないだろうし、だから、ごめん」

「うん」

 黒瀬さんの言葉を聞いているうちに、いつの間にか声が出せるようになっていた。

 顔をあげた黒瀬さんの目には涙が溜まっていた。眉毛はハの字になっていて、そんな表情を見るのも随分久し振りだな、なんて思った。

「私の方こそ、ごめんね。詩織」

 黒瀬さん――詩織は「ううん」と首を横に振る。溜まった涙がこぼれそうだった。

「でも、あんな事、二度としないでね。ごめんね。勝手な言い分だっていうのは、分かってるけど……」

 手の甲で涙を拭いながら懇願するように言う詩織に、私はどう反応するべきか少し困った。

 友達に嘘は吐きたくない。でも、本当の事も言いたくない。

 だから私は、二標君と同じように笑みを浮かべた。

 本当も嘘も、本音もない、ただ優しいだけの笑みを。


 二標君と谷坂君が戻ってきたのはそれからすぐの事だった。

「次、どっか行きたいところとかある?」

 椅子に座りながら尋ねてくる谷坂君。

 その問いに、なんとなく隣を見ると、同じように私に顔を向けた詩織と目があった。

 視界の隅で、二標君が可笑しそうに笑った気がした。




「生原、お前さ、『自殺』って言葉をどう思う?」

 七月に入る少し前のことだった。いつものようにほとんど何も喋らないまま下校している途中で、二標君がそんな質問をしてきたのは。

 唐突な、しかもよく意味が分からない問いに、私は「どういうこと?」と首を傾げた。

「自分を殺すって書いて自殺だろ? 少し前から、その言葉は適切じゃないって騒いでいるところがあったんだよ。自殺者を貶めているってな」

 はぁ、という呆れが混じった相槌が口から零れた。

「それで、めでたくこの度、自殺っていう言い方を止めて、『自死』にしようって決まったらしいぞ。それで、生原は『自殺』って言葉をどう思っているかと少し気になってな」

「ふーん。自殺……」

 自分を殺す。確かにそう言うと少し重たく感じられないこともないけど……。でも、自殺という行為と比べれば、たった二文字の漢字で表された言葉なんて軽いものなんじゃないかな。それに、実際、自分を殺しているのだから、そう言われても仕方がないと思う。

「それにしても、素晴らしいよな」

 考えをまとめていると、二標君が演技がかった口調でそう言った。顔を見ると、張り付けたような笑みを浮かべている。心中でどんな事を考えているのか、今は少しだけ分かる気がした。

「自殺者の遺族がそう訴えたのが始まりだったらしいぞ。自殺と言われるのは嫌だってな。それが自殺者のためなのか自分のためなのか知らないけど、いい世の中になったな。自分を殺しても誰にも貶められず、自殺っていう呼び方を変えるだけで満足する遺族もいる。本当に、自殺者に優しい良い世の中だ。いっそ、生原が言ってたみたいに安楽死を認めればいいんじゃないかって思えてくるよ」

 笑顔を貼り付けたまま言ってから、二標君は溜め息を吐いて表情を崩した。呆れとか憤りとか不満とか、そんな感情が混ざったような顔だった。

「馬鹿らしいね」

「あぁ、本当にな。結局、呼び方変えて自殺者が減るのかって話だ」

「減るわけないよ」

「減るわけないよな」

 はぁ、と二人揃って溜め息を吐いてから、私は斜め上に視線を向ける。

「自死かぁ……」

 そう呟くと、二標君が私を見た。

「どうした?」

「確かに柔らかい、というか軽い雰囲気があるなぁって思っただけ」

「軽くてどうすんだって思うけどな」

「そうだね。あんまり軽すぎると、風に飛ばされて落ちちゃう可能性もあるもんね」

 二標君がどこか真剣な視線を向けてきたけど、私は気付かないフリをして空を見上げ続けた。

 大丈夫だよ。少し軽くなったくらいじゃあ意味がない。たとえ風で飛んでいきそうになっても、私の手を掴む人を君がたくさん作ったから。

 だから、たまに意味深なことを言って心配させるくらいは、許してほしいな。




 昨日、詩織と仲直りしたおかげで、落ちそうになる私の手を掴む人が一人増えたわけで、そしてそれは多分だけど二標君のせいなわけで、また意味深なことを言って心配させようかとも思ったけど、その前に言い訳を聞いてあげることにした。

「だから言っただろ? 偶然だって」

 憂鬱な月曜日の朝。私はいつも通り二標君と登校している。

「偶然って、あの公園の近くでたまたま谷坂君に会って、谷坂君も二標君もたまたま待ち合わせをしていて、待ち合わせ相手がたまたま知り合いだった全部が? 偶然?」

「そうは言ってないだろ? 俺は偶然って言っただけで」

 正確には偶然と言った訳じゃなくて、本を指差しただけなのだけど、揚げ足を取るような形で話を中断させるのはやめておこう。

「じゃあ何が、というか、どこまでが偶然だったの?」

「そうだな。色々と偶然が重なってんだけど、最初の偶然は谷坂と黒瀬が同じ高校に入学したことか。ついでに二人は同じクラスだ」

 私は頷く。それは予想出来ていた。

「谷坂は黒瀬が入試の時の奴だって気付いたらしいけど、いつまでも教室で孤立していた黒瀬放っておけなくて話し掛けたらしい」

「孤立? 詩織が?」

 少し意外だった。確かに、小さい頃は人見知りが激しかったけど、いつの間にか初対面の人相手でも普通に喋れるようになっていたし、それに私や二標君のように面倒くさい性格でもない。色んな人から好かれるタイプだと思う。

 それに、

「中学からの友達は?」

 少なくとも、入試の時の三人はあの学校にいるはずだ。

「あぁ。詳しくは知らないけど、もう付き合いはないらしい。結局ウマが合わなかったのか、それとも黒瀬が何かしたのかは分からないけどな」

「そうなんだ」

「だから孤立したんじゃないかって谷坂が言ってた。あの三人組、クラスは違うけど、女子グループの中心らしい。まぁ、谷坂がいれば大丈夫だろうけど」

 果たしてそうだろうか、と思う。あの性格だと谷坂君もクラスの中心人物だろうし、そんな人と孤立していた詩織が友達というのをよく思わない人もいそうだ。

「まぁ、心配しなくて大丈夫だろ」

 そんな考えが表情に出ていたのか、二標君は私を横目で見ながらそう言った。

「谷坂はああ見えてしっかりしてる奴だし、それにアイツの彼女、三人組が入ってる部活の先輩らしいから、最悪、上から圧力かけてもらうってさ」

「そっか」

 部活動に入っている人は大変だ。

「それで谷坂は黒瀬と話すようになったわけだ。それで、仲直りしたい友達がいるって話を聞いて、少しずつ探りを入れたら生原だってことが分かったらしい。俺も谷坂と会ったときは高校の話をしてたからな。入試の時、自殺未遂事件を起こした女子生徒と俺が一緒に行動してることを谷坂は知ってた。それで、今回の作戦を思い付いたんだとさ。つまり、俺は巻き込まれただけだ」

「共犯の間違いでしょ」

 少なくとも、私を日曜日に呼び出すところで協力しているのだから。色々と期待してしまったいた事を思い出して恨めしい気持ちになる。すぐに、自分は期待していたのかと気付いて我ながら意外に思った。

 でも、二標君が傍観者に徹していた理由がこれで分かった。

「文句なら谷坂に言ってくれ。俺が協力した条件は『生原の文句は谷坂が全部引き受けること』だから」

「……卑怯じゃない? それ」

 大して親しくない谷坂君に文句なんて言えるはずがない。

「生原の中じゃあ俺は卑怯なことをしない聖人的イメージがあるのか?」

「そんなわけないでしょ」

 二標君が聖人なら、それ以外の人は神様だ。

「まぁ、黒瀬が謝ってくれて良かったよ。お前から何かすることはないだろうって思ってたからな」

「だからほとんど放置してたんだ」

「まぁな。黒瀬は谷坂のことを覚えていなかったみたいだけど、俺のことはどうか分からなかったし、生原と俺が話し始めたら、ますます話しかけにくいだろ」

「意外とちゃんと考えてたんだね」

「っていう谷坂の指示だ」

「だよね」

 そこで会話は終わり、私達は無言のまま足を進める。

 高校の近くの信号で引っ掛かって足を止めた時、二標君が押している自転車のかごをチラリと見た。かごの中には学校から支給される紺色の鞄が二つ重なって入っている。下が二標君ので、上が私の。

 ほとんどぺったんこな二標君の鞄と違って、私の鞄には教科書とかがちゃんと入っているから、二標君の鞄はますます圧迫されてぺったんこになっている。それに今日は、昨日買った文庫本も一冊入っているからいつもよりほんの少しだけ重たい。

 昨日買ったのは『友情と愛情』というタイトルの本で、今冬には映画が上映されることが決まっている人気作品だ。

 前々から気になっていたのだけど、なんとなく手は出さずにいた。でも、昨日、その本を手にとって眺めていたら二標君が『それ、なかなか面白かったぞ』なんて珍しいことを言うものだから、ついつい買ってしまった。

 昨晩、眠る前に少しだけ読んでみたけれど、ジャンルは恋愛。でも少し前に流行っていた純愛ものではなくて、三角関係、あるいは多角関係の物語みたいだった。もっとも、登場人物は全員高校生だから、お昼のドラマみたいなドロドロ展開はないと思う。青春、って感じの話なのかな。でも、そんな小説を楽しそうに読んでいる二標君が想像出来ないから、注意しながら読んだ方がいいのかも。

 大体、タイトルからして二標君には合わない。前項はまだしも、後項は特に。




 そんなふうに考えたことがあったからかな。

『愛情は人を強くも弱くもする』という言葉を二標君から(盗み)聞いた時、多少思うところがあったのは。

『愛情は人を強くも弱くもする。友情は人を強くする』

 家に帰ってから調べてみたら、二標君が口にした言葉に続きがあるということを知った。発言者まで知っていたのだから、二標君がそれを知らないはずはないと思う。

 最後まで言わなかった理由を本人に聞く気はないけれど、仁木谷さんを励まそうとしているのがバレバレになるから止めたのかな、と思う。二標君は結構そういうところがある。仲良くなればなるほど本心を隠して、周りの人を大切に思っていることをバレないようにしている。というのは私の勝手な想像なのかもしれないけど、そんな気がするのは本当のことだ。

 そういうところも、もしかしたら私と似ているのかもしれない。私の場合は、大切に思いたくないだけなんだけど。

 二標君と私は似ている。それは、ずっと前から気付いていた事だった。

 十年以上前、私が初めて自殺をしようとして失敗して、入院先の病院で彼を見つけた、あの時から。

 私と同じように身体の至る所に包帯が巻かれ、そして私と同じように虚ろな瞳をしていた。

 小さい頃の私でも直感で分かった。感じ取ったって言った方がイメージ的には近いかもしれない。

 彼は私と同じだと。同じ理由で入院をしていて、同じ理由で大怪我をして、同じ理由で死のうと思ったのだと。

 そんな二標君に話しかけようと思わなかったわけではない。ただ、一つだけ違うところがあったのだ。彼には既に友達らしき男の子がいて、二人はいつも一緒にいた。だから話しかけにくかった。今思えば、あの時の男の子は谷坂君だったのかもしれない。あの男の子がなんで入院していたのかも分からないし、顔も覚えていないけれど、雰囲気が谷坂君と似ている気がするから。

 一方で、二標君にはすぐに気付けた。入試の時、教室の入り口近くに二標君達はいたから、本当にすぐ。あぁ、あの時、私と同じような怪我で入院していた男の子だ。ということにはすぐに気付いたけれど、だからと言ってどうこうするつもりはなかったし、これからもない。

 何故なら二標君はとてもいい成長をしていたから。今更昔のことを言っても仕方ない。

 でも彼は本質的には何も変わっていないんじゃないだろうか。この数ヶ月間でそう思った。

「俺はお前のことが好きだ」

 だから、今、十二月の冷たい風が吹く歩道橋の上で二標君が言ったことには、正直驚きを隠せない。ううん、驚きすら出てこない。

 私の答えは決まっている。でもそれでいいのか、とも思う。

 それは、決して幸せな未来にはなり得ない選択だ。

 でも二標君の目からは覚悟が伝わってくる。小さい頃は同じ瞳をしていたのに、同じように仲の良い友達もいたのに、なんで私達はこんなに違う成長をしたんだろう。

「俺と付き合って欲しい」

 いいのかな。それは私にとっても、二標君にとっても不幸な選択だよ。

 物語と違って、辛いことばっかりで、でも長くて、幸せなゴールなんてない世界を生きていかなきゃならないんだよ?

 私達が互いを求め合うのは、不幸を加速させるだけなんだよ?

 でも、それでも良いって言ってくれるなら、私は精一杯の笑顔を浮かべながら――

「私で良ければ、喜んで」


 君の不幸を今日も願う。



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