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それぞれの恋愛事情


「弱い、脆い子なんだね」

 というのが、生原の話を聞いた従姉の感想だった。

 大きく丸っこい瞳に、たまご型の顔。体型は小柄。彼氏の趣味らしい長い黒髪が、どこか奥手そうなイメージに拍車をかけている。確かに見た目は清楚、少し誇張すれば大和撫子と言えなくもない容姿だ。しかし、実際は少し前に流行った干物女だ。家にいる時はいつもぐうたらしていてジャージ着用(多分、高校の時のものだ)、料理も……最近頑張ってはいるが、相変わらず成果は上がっていない。性格も、おそらく一般的に思われている大和撫子のイメージとは随分と異なる。意地っ張りで、頑固で、そして我儘だ。もちろん、良い所が無いわけではない。頑固なところなど良し悪し両方を兼ねていると思うし、彼氏にも一途だ。俺のような第三者からすれば、無駄に巻き込まれて厄介に思える事があるくらい一途だ。第一印象詐欺でいえば従弟の右に出るものはいないだろう。

 入試試験の時の事を誰かから聞いたらしく、叔母が仕事でいない土曜の昼食時に『生原さんってどんな子なの?』と質問された。それに丁寧に答えた結果が、先程の言葉だ。

 弱くて脆い。

 本人は自分の事を頑丈だと言っていただけに、従姉が正反対の評価を下したことが可笑しく、少しだけ口角が上がった。

「いいんじゃない? あんたと似てて、お似合いだと思うよ」

 やれやれと言いたげに両手を肩の高さに上げる従姉。

「こんな質問するんじゃなかった。まさかあんたから惚気話を聞く日が来るなんて」

「彼氏とはまだ喧嘩中なのかよ。もう七月になるぞ?」

「この前、久し振りに電話が着たの! 『そろそろ戻ってきてくれ』って!」

「よかったじゃんか」

 だが従姉の目は少し潤んでいる。眉尻と口角が下がった表情は、とてもじゃないが嬉し涙を堪えているようには見えない。

「『多分、いくら練習しても料理は上手にならないと思うから』って……」

 うわぁ。

「それは酷いな」

 見事に的を射ているから尚更酷い。でも従姉の料理ほど酷くはない。

「もう料理が上手くなるまで帰らない」

「大学はどうすんだよ」

 二十歳にもなって膨れ面をする従姉に呆ていると、ふと思った。俺にもこういうふうに恋愛云々の話に花を咲かせる時が来るのだろうか、と。

 そんな自分は全く想像出来ない。

 だが、俺も友人達も普通の高校生だ。そういう話があってもおかしくないのだろう。

 

 そして、そんな従姉との会話も忘却の彼方に消えた十二月頃。

 俺は、そういう話の登場人物に仲間入りすることになったのだった。




 この数ヶ月間で、独り身グループの数は大分少なくなった。

 誰かは気の合う友人を見つけ、また誰かは趣味が同じ友人を見つけ、そのまた誰かは同じ部活の友人が出来て、それぞれ他のグループへ散っていった。まぁ、もともと独り身グループは気の合う友人が見つかるまでの避難場所みたいな雰囲気があったから、それでいいと思う。なんか、どこぞのアイドルグループみたいだ。

 残ったのは、俺、生原を数に入れて五、六人といったところだ。

 独り身グループ改め残り者グループには仁木谷も入っているが、残り者らしく集団で行動することが多くなった最近はあまり話をしたり遊んだりということがなくなっていた。

 だから、仁木谷に呼び出しをくらった理由を俺は知らない。

『放課後、屋上に一人できて』

 三限目、数学の時間にそんなメールが届いた。ラブコメだったら授業中だということも忘れ、席を立ち上がって拳を握った両手を天高く掲げるような場面だが、実際はそんなことをしなかった。

 それは、俺がノリの悪い性格だからでもなければ、恋愛に全く興味がないというわけでもない。

 仁木谷には、好きな男がいることを知っているからだ。もちろん、その男は俺ではない。

 そして放課後になった今、俺は階段を上って屋上へと続くドアの前まで来ていた。あんな事件があったにも関わらず、未だ開放されている屋上のドアノブに手を掛ける。ここに来るのは久し振りだった。それこそいつだか、生原が両手首を切った時以来だ。

 仁木谷の手首から血が垂れていたらどうしようか。

 そんな下らない妄想をしながらドアを開くと、屋上のフェンスにもたれ掛かっていた制服姿の仁木谷が「よ」と挨拶がてら軽く手を挙げた。当然だが、その手から血が垂れている様子はない。

「急に呼び出してごめんね。今日もミコっちと帰る予定だったんでしょ?」

「別に一緒に帰る約束してるわけでもないからな」

 約束をしていると思っていたのか、仁木谷は「へぇ」と意外そうな表情をした。

 半年前と同じように、屋上には強い風が吹いている。違うのは、前のように少し冷たい風ではなく、凍えるような冷風だという点くらいだろう。

「それで、呼び出した理由……あ、先に言っとくけど、告白じゃないからね」

「それは分かってる」

 肩に届く程度の茶髪を手で押さえながら言う仁木谷にそう返す。

 本人も自分の態度が周りにバレバレだということは分かっているらしく、「まぁそうだろうけど」と独り言のように呟いた。

「その反応からして、話ってのは寺前関係のことか?」

「うん、まぁ、そんなところ」

 歯切れ悪く返す仁木谷。こういう話が苦手なのは知っているが、いつにも増して目が泳いでいる。

 仁木谷が、寺前のことをいつから意識するようになったのかは知らない。独り身グループに入ったばかりの仁木谷は『恋愛? バッカじゃないの?』と言いそうな雰囲気があったし、その容姿故に男子から告白されることもあったらしいが、誰かと付き合うようなことはなかった、はず。

 もしかしたらその頃から寺前が好きで他の男はミジンコ程度にしか思ってなかったのかもしれないし、寺前が仁木谷の心を変えたのかもしれない。個人的には後項を望む。いいじゃないか。青春という感じで。

 とはいえ、現実は創作物語のように上手くは作られていない。

「寺前ってミコっちのこと、好きでしょ?」

 確認するような問いに、俺は頷いて答える。

「直接聞いたわけじゃないけど、多分そうなんだろうな」

 寺前は現在、残り者グループの準レギュラー的ポジションにいる。普段は部活――二学期から、クラスメイトに誘われて入った情報処理部の友人と一緒にいることが多い。時々、一緒に昼食をとったり、話をしたりするのは、独り身グループに生原がいるおかげだと俺は推測していた。そして多分、仁木谷も同じ様に考えている。

「それで、ミコっちは二標の事が好き」

 俺は答えず、先を促すように視線を合わせる。

「二標は?」

「俺が、なんだよ?」

「ミコっちのこと好きなんじゃないの?」

「いつだか同じ質問に答えた気がするけどな」

「私が訊いてるのは今の気持ちだから」

「俺の気持ちはずっと前から変わってないぞ。五歳の頃の一目惚れ相手に心を奪われたままだ」

 まごうことなき本心からの言葉なのだが、仁木谷は俺がふざけていると思ったのか、肩を落としながら小さく溜め息を吐く。

「この質問と呼び出した用件ってなんか関係あるのか?」

 少し間を置いてから、仁木谷は「まぁね」と答える。

「二標がミコっちの事を好きなら協力関係……ううん、ハッキリ言っちゃうと、ミコっちと付き合って欲しいって言う気だった」

 そういうことか、と納得しながら俺は返事をする。

「悪いけど、断る」

「だよね。なに焦ってんだろ、私」

 恥を誤魔化すように頭を掻きながら言う仁木谷を見ていると、とある言葉を思い出した。

「恋愛は人を強くすると同時に弱くする」

 俺に似合わない言葉だ。仁木谷もそう思ったらしく、怪訝な表情をして「なにそれ?」と質問をする。

「フランスの画家の名言。恋愛経験なんて一度しかない俺でも、なんとなく、的を射ているように思うんだけど、仁木谷はどうだ?」

 仁木谷は少し不機嫌そうに口を噤んでから、俺をじっと見る。

「今の私が弱くなった状態って事?」

 いやいや、と俺は手を横に振る。

「自分で言うのもなんだけど、俺の言う事をあんま真面目に受けるなよ? 今のだって、なんとなく思い出したから言っただけだからな。ただの雑学披露だ」

「私は真面目に喋ってるんだけどね……。ううん。真面目だから余計に性質が悪いのかな。前までの私なら、平気で当たって砕けるくらいの勇気はあったと思うのにな」

 俯きながら額に掌を当て、頭を小さく横に振る仁木谷の姿は、弱くなった、とは言えずとも、少しばかり弱っているようには見えた。

 しかし、今回の事は俺が口を出すような問題ではない。適当な励ましの言葉をかけるくらいなら、生原に告白する程度の協力をした方が何倍もマシだろうし。

「ごめん、話はそれだけ」

「そうか。じゃあ俺は帰るけど……」

「うん。私はもうちょっと頭冷やす」

 仁木谷が悩むほどの問題がこの程度の冷風で冷える事がないのは俺にも分かったが、もう一度「そうか」と言って、体を翻した。

 その時、視界に入った窓が気になった。振り返った瞬間、ほんの数センチ開いていた窓が、閉まったように見えたからだ。

 当然だが、こんな時期に窓を開けっ放しにする奴はいないし、俺が来た時はしっかりと閉まっていた。

 少しだけ顔を動かして後ろを確認する。仁木谷が気付いている様子はない。

 顔を前に戻し、足を速めて屋上のドアを開く。

 階段を降りる誰かの背中が見える事を想像したのだが、その人物は逃げる事が無駄だと早くも悟っていたらしく、窓の下で膝を立てて座っていた。

 うなじが見えるくらい短い茶髪に無愛想な表情を見ながらドアをゆっくりと閉めると、彼女はようやくこちらを向いた。

 髪の毛と同じ、黒っぽい茶色の瞳からは、相変わらず光を感じられない。

 生原命。生命に満ち溢れた名前が皮肉に聞こえてしまうのは、彼女が自殺未遂や自傷行為の常習犯だからだろう。もっとも、ここ数カ月、自殺未遂は(俺の知る限り)なし。自傷行為は片手の指で数えられる程度だ。これは、自傷行為が常習化している者と比べると、かなり少ない数だと言えるのではないだろうか。

「もしかして、屋上に用があったか?」

 自殺的な意味の問いに首を横に振ってから、左手の人差し指を俺に向けて突き出した。

「俺?」

 今度は頷く。

「約束はしてないけど、何も言わずに教室から出て行ったら私だって気にするんだけど」

「そりゃ悪いな」

 屋上にいる仁木谷に聞こえないよう小声で会話した結果、俺が悪いということらしい。だからといって、盗み聞きをしていい理由にはならないと思うが、こんなところでいつまでも話をしているわけにはいかないので黙って肩をすくめる。

 おそらく同じように考えているであろう生原も、スッと立ち上がると、横に置いていた学校指定の紺色の鞄を手に取って歩き出す。その横に並んで階段を降りながら、こうして生原と階段を降りるのは入試の時以来だと何となく思った。


「さっきの仁木谷さんの話って、本当なの?」

 生原がそう聞いてきたのは、自転車を押しながら校門に向かって歩いている時だった。校舎の前にある校庭からは、野球部やサッカー部、陸上部などの声が聞こえる。後ろの方から聞こえる声は、駐輪場横にあるテニスコートで部活に励んでいるテニス部員達の声だろう。週末には早くも雪が降るのではないかと予報されているほどの寒さだというのに、その大声は熱気すら感じさせる。若いってのはいいものだ。

 ああいうふうに部活を頑張っている連中から俺や生原のような帰宅部はどう見られているのだろうか。何もしていない怠け者か、それとも人の事はどうでもいいのか、もしかしたら部活をしているだけでは叶えられないような大きな夢を追っているのかもしれないとでも思われているのか。いや、それはないか。生原は、特に。

 まぁ、彼らでなくとも、今の俺や生原の会話を聞けば『青春してる若者』に見えるのかもしれない。流石に普通の高校生を見て、恋愛事にうつつを抜かしている愚か者、という人はいないだろう。

「ま、本人が言ってんだから、仁木谷が――ってのは本当だろうな。寺前の事は、まぁ、多分そうなんじゃないか? 本人に聞いたわけじゃないから、俺や仁木谷の勘でしかないけど。というか、俺や仁木谷が気付いてるくらいだ。お前が気付かないはずないだろ?」

「そうかもって思っても、そんなわけがないって気持ちの方が強かったから」

 そう言いながら、生原は右手を少しだけ上げる。制服の下に着ている、袖が長い赤茶色のカーディガンのおかげで指先くらいしか見えない。普通なら寒さ対策と思うが、生原の場合は微妙なところだ。本人が隠したがっているわけではないのは分かっているが、観られて気持ちが良いものでもないだろう。

 今年の夏、衣替えシーズンになり、半袖着用となった時期、生原は両腕の傷を隠すことはしなかった。手首だけならリストバンドなどで隠せたが、前腕から上腕にある傷を全て隠すことは難しく、結局なんの処置も取れなかった。流石に、新しい傷などは(俺が)隠したが、普段服で隠れている箇所までは当然ながら目がいかない。いったら犯罪だ。しかし、半年前の屋上で、パンチラついでに足に傷がない事は確認できている。あとはそれ以外の場所だが、物凄い傷があるという噂や、傷なんかなくてとても綺麗という噂もあり、判断に難しい所だ。一度見せてもらえないか頼んでみようか。

 そして、生原の視線の先、右腕の前腕部は、俺が知る限りでもっとも傷がひどい個所だ。

 何度も刃を入れられた傷口は盛り上がり赤黒く変色して、ハッキリ言ってしまえばかなりグロテスクな見た目となっている。だがそれは自分自身で付けた傷で、そう簡単に消えるものでもないし、今の生原では、またすぐに傷が増えてしまうのがオチだろう。

 リストカットの傷は――特にひどいものは自然に消える事は無いと本で読んだ。手術や薬で消す方法もあるらしいが、自分で付けた傷を今更、という理由で、リストカットの傷を消すことに賛成しない医師も少なくないという。手術をするにしても、あれだけ酷い傷だと何十万とかかってしまいそうだ。

「多分、君の方が正しいんだよ。普通は、こんな人を好きにならない」

 右手を降ろしてから、生原は静かにそう言った。視線は前を見続けている。

「さっき誰かの名言言ってたよね? あれじゃないけど、恋は盲目って言うでしょ? 多分、寺前君はそういう状態なんだよ。良いところばっかり見て、悪いところが見えにくくなってる」

「良いところ?」

「顔とか、美乳とか」

「後者はないと思うけどな」

 寺前のために一応そう言うと、生原は鞄を持っていない右手を胸に当てた。

「私、着痩せするタイプだから」

「いや、ないってのはそういう意味じゃなくてだな……」

 弁解しようと思ったが、そこまで口にしたところで面倒になり、代わりに大きな溜め息を吐いた。

「お前がそういう言い方をするってことは、寺前のことは好きじゃないってことか」

「普通だよ。好きなところもあれば嫌いなところもあって、普通」

 半年前の俺の口調を真似るように言う生原の表情は悪戯っ子のような笑みを浮かべている。もう少し可愛らしく笑えないものだろうか。

「人の真似すんなよ」

「結構さ、的確なんだよね。この言葉」

 校門を抜けて、交通量の少ない二車線道路の歩道を進む。部活をやっていない者は既に帰路につき、部活をしている者は学校で励んでいる中途半端な時間な事もあり、周りに同校の生徒の姿は無い。

「そうなのか。まぁ、汎用性のある言葉だとは思うけどな」

「でも、一度そう考えたら、どうやったら人を好きになるのか嫌いになるのか分からなくなっちゃいそうじゃない?」

「誰にでも当てはまる言葉だからなぁ」

 当てはまり過ぎる、といった方がいいくらいだ。

「好きなところが多ければ好きってわけでもないんでしょ?」

「まぁな。いくら好きなところが多くても、どうしても許せない事が一つどもあったら好きにはなれないだろうし」

「逆もまた?」

「然り、だよな、多分。そこまで人を嫌いになったこともないからよく分からないけど」

「好き嫌いの感情って、ある意味一番面倒臭いもんね」

「そうだなぁ。でもま、一人くらいは、『好きなところもあって嫌いなところもあるけど、なんとなく好き』って言える誰かがいた方が……」

 そこまで言って、言葉に詰まった。その先の考えを上手く言葉に変換出来ず、俺は口を閉じる。

 生原はそんな俺を不思議そうに見上げてから、前を向き直った。

 無言のまま歩き続け、前方に生原の家が見えてきた。

 生原家は学校から徒歩で十分ほどの場所の住宅街にある。新しくお洒落な感じがする洋風な作りの家屋に囲まれるように建っている和風で少し古い感じの家。和風家屋が一軒しかないというわけではないが、やはり少し目立っている。そこが生原家だ。

 生原家と学校を結ぶ道は、俺の通学路と完全に重なっているわけではなく、家に着く前に別れることになっていた。半年前までは。

 半年前の自殺未遂事件以来、俺の通学路は少し変わり、自転車で二十分だったところが二十五分になった。もっとも、今のように最初の十分は徒歩なので、登下校時間は更に伸びたことになる。

 自殺未遂事件と言っても、生原が屋上にいたことは誰にも言っていない。それは、あの事件の後、生原に頼まれたことだった。そういうわけで、事件を知っている生原の家族や俺の叔母や従姉の中では、俺が生原を学校で見つけて連れ帰った、としか話していない。両手首の傷について聞かれることもなかった。

 事件後、俺が居候している親戚の家へお礼に来た生原の母親と俺の叔母の間で主婦会議が行われた結果、こういうことに決まった。らしい。全て事後報告だったため、拒否権すら与えられなかった。拒否する気なんてなかったけど。

 こういう話があったことは生原本人には秘密にされていて、生原からすれば俺が勝手に付きまとうようになったのだから、最悪、ストーカーと思われても仕方がない気がするが、そんな様子もない。

「なんとなく分かるかも」

 唐突に、呟くような、しかしよく通る声で生原がそう言い、俺は思考を打ち切る。

「私にとっては詩織が、君はあのうるさい友達がそういう人に当てはまるのかな」

 それは質問だったのかもしれない。しかし俺は何も答えず、「それでさ」と話を変えた。

 笑みを堪えるのに必死だったのだ。生原が着実に、不幸の道を歩んでいるから。

「仁木谷のことは、何もせずに放っておくのか?」

「うん。多分そうする。上手くいって欲しいとは思うけど、告白されてもないのに寺前君を振るのは失礼でしょ?」

「死ぬのに邪魔な奴らに嫌われるチャンスかもしれないぞ?」

 そう言うと、生原はわりかし本気の目で俺を睨んだ。当然か。生原をそういうふうにしたのは、他でもない俺だ。

 鋭い視線を苦笑で受け流しながら生原家に到着し、生原と簡単に挨拶をして別れる。

 生原と一緒に登下校するようになるまで通ったことがなかった閑静な住宅街を歩きながら思う。

 結局、仁木谷が言っていた『俺と生原が付き合う』という案について生原は口にしなかった。それが、『上手くいって欲しいけど自分がどうこうするほど応援しているわけではない』ということなのか、『上手くいって欲しいけど、俺と付き合うのは死んでも御免だ』という理由なのかは分からないが、俺からも言うつもりはなかったので良しとしよう。

 多分、俺が生原に告白したとして、あいつはそれを断らないだろう。

 仁木谷が言っていたように、生原が俺を好きかどうかなど関係無い。生原は俺を『巻き込んだ』罪悪感から、首を横に振ることなど出来ないと思う。

 同じように俺も、生原から告白されたとしても断れないだろう。それは罪悪感などではなく、生原への同情のせいで。

 互いに好意もなく成功する告白に何の意味があるだろう。それは確実に、生原を幸せな道へ進ませる事になってしまうと思うから、俺はまだ何も言わず、何も言えない。




 仁木谷に再び屋上に呼び出されたのは、それから一週間ほど後のことだった。

 いつもより十分以上長引いた終礼の後、俺は屋上に来ている。向かいには仁木谷。後ろには……、多分誰もいない。今回はちゃんと『用事がある』と生原に伝えて来たため、盗聴されている心配もないだろう。

「それで、今度はどうしたんだ?」

 屋上に吹く風は一週間前のものよりも冷たく強い。あまり長居はしたくないので、俯き気味の仁木谷を見ながら早速本題を尋ねる。

 おそらく寺前関係のことだろうと予想していたのだが、それにしても元気がない。苦手な恋愛話とはいえ、残り者グループでは相変わらずダントツで騒がしい仁木谷がここまで落ち込んでいるのを見るのは初めてだった。

 もしかして、寺前に振られたのだろうか。

「ミコっち、私のことなんか言ってた?」

 俺の予想はハズレらしい。

「いや、何も言ってなかったけど」

 普段通り一緒に登下校をして、その間の会話も普段通りほとんどない。一週間前、かなり喋ったため、生原からすれば向こう一カ月分の口を開いたつもりなのかもしれない。

「生原となんかあった……喧嘩とかか?」

「喧嘩というか、私が一方的に怒っちゃったというか……」

 まぁそれはそうだろう。生原が怒るところなど想像出来ない。

「寺前関係か?」

 仁木谷は目を伏せながら小さく頷く。

「昨日……」

「あー、別に喧嘩の理由を知りたいわけじゃない。仁木谷がそんなに落ち込んでるってことは、自分が悪いって分かってんだろ?」

 仁木谷は再び頷く。

「それで、どうしたいんだ?」

「二標、怒ってる?」

「なんで俺が怒らなきゃいけないんだよ」

「だってなんか、怖いし……」

 普段からは想像も出来ないほど弱々しい姿と言葉に、俺は大きく息を吐く。それが深呼吸の代わりになったのか、頭がスッとしたのを感じて、仁木谷の言う通り、少し頭に血が上っていたことを自覚する。

 こちらをチラリと見て、俺がいつもの調子に戻ったことが分かったのか、仁木谷は先ほどよりはしっかりした声でこう言った。

「仲直り、したいの」

 すればいい。と思ったが、こうしてわざわざ俺に言ってくるということは、何か考えがあるのだろう。とはいえ、生原のことだ。

「謝ったら普通に許してくれると思うぞ?」

「うん。だから、私なりにお詫びがしたいと思って……」

 ポケットから一枚の紙を取り出す。

「前にミコっちが読んでた小説が映画化したの。これに誘おうかと思ってるんだけど……」

「誘えばいいんじゃないか?」

「二標も付いてきてよ」

「なんでだ」

「言ったでしょ、お詫びって。私はお詫びにミコっちの恋を応援することにしたの。これ、一枚で四人まで使えるからさ」

 当然のように言う仁木谷。生原が俺のことを好きだということは、こいつの中では確定事項らしい。

 それにしても、生原が読んでいた小説の映画か……。

 仁木谷が持っているチケットを、少し目を細めて見てみる。

 あぁ、これか。

 タイトルは『友情と愛情』。何かの賞を取ったらしい有名な作品で俺も読んだ事がある。表紙やあらすじを見ただけだと恋あり友情ありの青春物に思えるが、実際の内容はかなりエグい。三角関係がもつれた結果、友人同士で殺し合ったり、彼氏や彼女を寝取ったりするシーンもあったはずだ。おそらく、仁木谷はこの映画がそんな話だとは知らないだろう。教えてやったほうがいいのだろうか。いや、やめておこう。その方が面白そうだし、よくある恋愛映画なんかよりこっちの方が生原は喜ぶだろうから。

「まぁ、いいか。どうせ暇だし」

 エグいシーンを見た時の仁木谷の反応を見たいし。

「やった! じゃあ決まりね!」

 その場で飛び跳ねるように言う仁木谷。大分、いつもの調子が戻ってきたみたいだ。

「生原は俺が誘えばいいのか?」

「あ……、うん。ごめんけど、お願いします。イヤっていうなら、無理して誘わなくていいから」

「まぁ十中八九来ると思うけどな。あいつだってお前と仲直りしたいだろうし」

「でも、私のこと何も言ってなかったんでしょ?」

 昨日の生原を頭に思い浮かべながら、俺は答える。

「まぁ、何も言ってはいなかったな」



 詳細は生原の答えを聞いてから、ということで、俺は校内に戻ろうと身を翻した。

 既視感を覚えたのはその時だった。

「どうしたの?」

 屋上を一緒に出ようとしていた仁木谷が俺の横で足を止めて、不思議そうに見上げてくる。

「……二人一緒に行くんじゃなくて、少し間を空けて校内に入ることにしないか?」

「なんで?」

「屋上から男女ペアが降りてきたら勘違いされるかもしれないだろ?」

「大丈夫じゃない? 校内のほとんどの人が二標はミコっちと付き合ってるって思ってるし」

 それは分かっているし、実際勘違いなどされないだろうが、せめて少しだけ時間を稼がねばならない。

「でも寺前はそうじゃないことを知ってるだろ? もしかしたら、仁木谷は俺の事を好きなのかもって勘違いするかもしれないぞ?」

「うげ」

 失礼な反応だった。だが効果はテキメンのようで嬉しい。いや、やっぱり嬉しくはない。

「じゃあそうしよっか。でも私、先に行っていい? 結構冷えちゃって……」

「あぁ。終礼が長引いたせいで少し待たせたしな」

 仁木谷が校内に入っていくのを見てから、斜め上を見て先ほど盗聴していたのが誰だったのか考える。

 知り合いでもないやつらの会話を盗み聞きするような物好きがいるなら話は別だが、おそらく知り合いの誰かだろう。残り者グループの誰かか、元独り身グループの誰かか、といったところか。怪しいのはそりゃあ生原だが、あいつがわざわざ盗み聞きをしに来るかと考えると微妙なところだ。

 その場に突っ立って二、三分経ち、そろそろ校内に戻ろうかと足を動かしたのと同じタイミングで屋上のドアが開いた。

 仁木谷が戻ってきたわけでも、第一容疑者の生原が来たわけでもなく、そこに立っていたのは苦笑を浮かべる寺前だった。



「ちょっと話したいことがあって二標君の教室に行ったんだけど姿が見えなくて、そしたらクラスの人が『階段上ってたよ』って教えてくれて、屋上に入ろうとしたら話し声が聞こえたから……」

 何故そこで盗み聞きという選択をするのだろう。寺前にしろ、生原にしろ。

 内心呆れながら、階段を一段ずつゆっくりと降りていく。

「どこから聞いてたんだ?」

「多分、最初から」

「そうか」

 ということは、仁木谷の気持ちも知ってしまったわけだ。いや、だからこそあの苦笑か。

「まぁ仁木谷にバレたわけじゃないし、俺に直接的な関係はないからいいんだけどな」

 俺の言葉に、寺前は再び苦笑を浮かべる。

『仁木谷の気持ちを知ってしまった以上はしっかり考えてやれよ』なんて言うべき場面なのかもしれないが、俺がそんなお節介な事を言わずとも寺前は仁木谷のことを真剣に考えるだろう。寺前はそういう奴だ。多分。

「それで話ってのは?」

 そう聞くと、二標の苦笑に照れが混じった。

「昨日の夜、生原さんにフラれたんだ」

「……は?」

 流石に耳を疑った。だが、寺前の表情は嘘を吐いているように見えないし、そんな自虐的な嘘を吐くような奴ではない。

「告白したのか?」

「うーん。どうなんだろう。一応、告白した、ってことにはなるのかな。生原さんから電話が掛かってきて、『私のこと好きなの?』って聞かれて、それに答える感じで……」

「それでフラれたと」

 頷く寺前。

「なかなか酷いな、それは」

「まぁ分かってた事だから、ショックを受けたりはなかったんだけど、生原さんの様子がいつもと違ったから少し気になってね」

 まぁなんとなく理由は分かったけど、と寺前は笑う。

「自分をフった相手の心配するなんて、相変わらずお人好しだよな、お前は」

「二標君に言われたくないよ」

 笑顔で答える寺前に、俺は顔をしかめてみせる。

「それに僕はお人好しなんかじゃないよ。諦めが早いだけ。生原さんに好かれなくていい、じゃなくて、二標君と生原さんが付き合っても素直に応援出来るくらい諦めてるんだ」

「そんな諦めの境地に立っても、まだ好きなのか?」

 そこまでいけば、恋愛の情など萎んでしまいそうだ。

 だが寺前は、迷いなく頷いた。

「多分、異性としてじゃなくて、人として生原さんの事が好きなんだと思う。そんな人と僕が付き合えたら素敵だろうけど、他の誰かと一緒にいた方がその人らしくいられるなら、それも素敵なことだからね」

「なんというか、その考え方は愛情なのか友情なのか微妙なところだな」

「そんなことないよ。愛情もあれば友情もある。それをひっくるめて僕は生原さんの事が好きなんだ」

 フラれたけどね。と笑う寺前は、やっぱりお人好しに思えた。

「それで? フってサヨナラじゃなかったんだろ?」

 それならば生原が自分で言っていた『失礼』に当たる行為をする必要がない。

「あぁ。うん。『私のことは忘れて、もっと周りに目を向けてみたら?』って言われたよ」

「鬼か、アイツは」

「あれは流石にグサッときたよ」

 胸に手を当てる寺前に同情してしまう。

「でも、あれは仁木谷さんの事を言ってたんだね」

「だろうな。さっきの話ともタイミングが合うし……」

 昇降口に着き、下駄箱から靴を取り出しながら、昨日の下校中にあった生原とのちょっとしたやりとりを思い出す。

『なぁ、生原』

 無視。

『おい、生原』

 無視。

 一応言っておくが、会話は少ないとはいえ生原は人の言葉を無視するような奴ではない。多分。その時の虚ろな表情からして、俺の呼びかけに気付いてなかったのだろう。

 そんなわけで俺は呼び方を変えてみた。

『ミコっち』

『……なに?』

 あの威圧的な目は俺にそんな呼び方をされた不快感からくるものだと思っていたが、どうやら地雷を踏んでいたせいだったようだ。

 靴を履き替え、俺と寺前は校舎から出て駐輪場へ向かう。

「寺前、今度の映画鑑賞、お前も来いよ」

 そう言うと、寺前は珍しく焦ったように「え」と声を漏らした。

「なんで、とか訊くなよ? まぁ別に無理強いするつもりもないけどな。でも、映画が格安で見られるぞ」

「あれって原作だと結構グロテスクなシーンとかあるよね……」

 寺前も知っていたらしく、呆れたように俺を見た。

「なんだ、知ってたのか」

「やっぱり二標君も知ってたんだね。おかしいと思ったよ。普段なら面倒くさがるところなのに、今回は簡単に了承したから」

 はぁ、と溜め息を吐いてから、寺前は「分かったよ」と言った。

「一人くらい仁木谷さんをフォローする人がいないと、流石に可哀想だからね」

 俺は「まぁそうだな」と返しながら、内心で意地の悪い笑みを浮かべる。

 寺前が来ることになったと伝えた際の仁木谷の反応が楽しみだ。




 日曜日に行われた『仁木谷主催、生原と仲直り映画鑑賞』は概ね円滑に進んだ。

 寺前が来ることは当日まで(仁木谷にだけ)隠していたため最高のリアクションを見ることが出来たし、事情を知らなかった生原のジト目も頂いた。

 映画鑑賞中、物語が進むごとに顔色が悪くなっていく仁木谷は今年一番の爆笑モノだったし、そんな俺に向けられた生原の視線も今年一番の冷たさだった。ついでに、上映終了後の寺前のフォローも相変わらず冴えていた。寺前がいなければ仁木谷の恨みの籠もった視線に呪い殺されていたかもしれない。

 初めはどこかぎこちなかった生原と仁木谷もいつの間にか普段通りになっていて、本来の目的も達成された。

 映画を見た後は近くの店などをブラブラと見て回り、見慣れた駅に戻ってきたのは午後七時を過ぎてからだった。

 その駅で仁木谷と寺前と別れて、今は生原家に向かって黙々と足を進めているところだ。十二月中旬という時期もあり、辺りはとっくに暗闇に包まれている。ここは駅の近くだからマシだが、生原家に近づくほど街灯の数も少なくなっていく。

 膝丈のスカートにダッフルコートという、普段の登下校時とほとんど変わらない服装の生原を横目で見る。

 その無表情はいつもと変わらないように見えるが、仁木谷と喧嘩した時のようにボーっとしている可能性も否めない。

「なぁ生原」

「なに?」

「いや、なんでもない」

 どうやらボーっとはしていないようだ。つまりは大成功ということだろうか。いやいや、安心するのはまだ早い。念のためにこっちも試しておこう。

「なぁ、ミコっち」

「……なに?」

 この前と同じ反応をされた。しかしその表情には『気持ち悪い』という感情が存分に含まれており、どうやら地雷云々は関係なく、俺がこの呼び方をすること自体に不快感を覚えるようだ。少し悲しい。

「暗いな」

 流石に二度目の『なんでもない』は気持ち悪いだろうと、俺は適当な言葉を口にする。

「私が?」

 その口調には『そう見える?』という多少の意外さが含まれていた。生原的には明るい表情をしているつもりだったのかもしれない。

「いや、周りが」

「夜だからね」

「まぁな」

 何の意味もない会話を終えて、俺達は無言で歩き続ける。

 十分ほど経ち、少しずつ街灯が少なくなってきたおかげか、今日はなかなか綺麗な星空だということに気付く。昼間は晴れたり曇ったりと微妙な天気だったが、夜になって雲がどこかへ消えたみたいだ。

「生原、明日ヒマか?」

 変わらず無表情な横顔に尋ねる。

 友人を遊びに誘うときによく用いる言葉だが、生原にそんなことを訊くのはもしかして初めてかもしれない。口にしてからふと思った。

 やはりそうだったのか、生原は驚いた表情(といっても微かに目を大きくしただけ)をしてから、小さく首を横に振った。

「明日は、詩織と会う約束があるから」

「そうなのか」

「うん」と頷いてから、俺の顔をじっと見る。

「君はさ、好きなところも嫌いなところもあるけどなんとなく好きって気持ちを一言で表すなら、どんな言葉を選ぶ?」

「さぁな。答えは?」

「私も分かんない」

「そうか」

 寺前が言っていた『人として好き』。あれが近いのかもしれないが、やはり一言では言い表せないような気がした。

「面倒くさいな」

「うん。だから友達って面倒くさい」

「いや、そうじゃなくて」

 不思議そうな表情で俺を見上げる生原を横目で見ながら、茶化すように言葉を続ける。

「いちいちこういうこと考えないと感情の一つも処理できない俺達が一番面倒くさいだろうって思ってな」

 む、と少しだけ文句ありげな顔をした生原だったが、すぐに呆れた表情に変わり、小さく溜め息を吐いた。

「確かにそうかもね」

 少し自虐的な笑み。だが、どこか穏やかな雰囲気を感じた。

 それで再び会話は途切れ、次に俺が口を開いたのは生原家まであと五分ほどで着く時だった。

 歩道橋の上を歩きながら、下の三車線道路をたまに通る車を見て俺は口を開いた。

「今回は死にたいと思わなかったんだな」

 生原は足を止めて、俺も数歩進んだところで振り返った。

 無表情のままこちらを見ている生原が何を考えているのか俺には見当も付かない。

「思わなかったわけじゃないけど」

 尻すぼみに小さくなっていった言葉は、決して嘘でも強がりでもなく真実なのだろう。ただ、自分がそうしなかった理由に気付いただけだと思う。

 それでいい。生きる理由が自分のためでなくとも、今はそれでいい。

 死にさえしなければ、人は嫌でも強くなる。今回のように恋愛や友情のことで、もっと悩んで、傷付いて、苦しめばいい。その度に『死にたい』と思っても、周りの人間がそれを許さない。

 そうやって惰性的にでも生きていれば、生きる意味など必要ないと思える程度の強さは手に入るだろう。

 そうして生原は、更に不幸になっていく。

「心の中では、今だって」

 そう言いながら橋の下を覗き込んでから俺を見て、生原は言う。

「死にたいよ、すごく死にたい」

 俺が苦笑を浮かべると、生原も同じように笑った。

「なぁ、生原」

「なに?」

 自分が何を言おうとしているのか考える暇もなく、俺はその言葉を口にした。

「俺はお前の事が好きだ」

 五歳の頃、病院で見かけた時からずっと。

 好きなところもあり、嫌いなところもあり、普通。なんてのは真っ赤な嘘だ。

 好きなところもあり、嫌いなところもあり、友情も愛情もあり、総じて『好き』でしかない。

 今まで言えなかったのは自信も覚悟もなかったから。

 時間というのは良い意味でも悪い意味でも大きく、残酷だ。五歳の頃、生原に一目惚れした記憶は俺の中で美化に美化を重ねて、大切で神聖な思い出となっていた。だからこそ、入試の時、一目見ただけで彼女が生原命であることに気付けた。

 だが、生原は俺の事を知らない。といっても、俺が知っているのは生原が五歳の頃のほんの一時期だけ。だが、その差はとても大きく思えた。

 だからこそ、いくら周りに冷やかされても、生原が俺を好きになってくれるには圧倒的に時間が足りないと決めつけていたのだ。それは、これまで生きてきた中で、一緒にいた時間の長さでしか人を好きになれなかった自分と重ねた末の答えだったのだろう。俺が生原を好きになったのはたった一瞬の出来事だというのに、馬鹿げた推測だと今なら思えるが。

 だが、寺前や仁木谷のおかげで、虚勢を張ってばかりの俺も少しは自信を持つことが出来た。

 覚悟も、決まった。

 告白する覚悟ではなく、生原を不幸にするという覚悟。そして、自分が不幸になる覚悟だ。

 生原を不幸にしておいて、自分だけ幸せになろうだなんて初めから考えちゃいない。だが、覚悟出来ていたかと問われれば、以前の俺なら答えに詰まっただろう。

 だが、今なら大丈夫だ。不幸なまま生きても、構わない。

 それに、自分を不幸にしたがっている奴と付き合うなんて、生原にとってこの上ない不幸なのではないだろうか。それはつまり、生原と付き合いたいという願望も、生原を不幸にしたいという願望も叶えることになり、一石二鳥というわけだ。

 どうする生原。幸せになりたいなら、この告白は断るべきだ。

 ゆっくりとこちらに向き直った生原に、俺は再度口を開いた。

「俺と付き合って欲しい」

 生原は無表情で何を考えているのかは分からず、答えを待つ俺に出来ることは一つしかない。


 そして俺は、生原の不幸を切に願う。



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