お祭り金魚
「名前、つけないのか」
お兄ちゃんがあたしの手元をのぞき込む。
「名前ねー」
あたしもあたしの手元をのぞき込む。
「どうせ死んじゃうしね」
「またミサはそういうこと言って」
「だって事実じゃん」
あたしの手には、さっき掬ったばかりのお祭り金魚。本当に手のひらに入ってしまうくらいの小さなビニル袋の中で泳いでいる。
「そんなの寂しいだろ」
お兄ちゃんはリアリストのくせして、妙なところでそういう、……なんて言うんだろう、人間らしいことを大事にしたがる。あたしはそんなお兄ちゃんが嫌いじゃないけど、
「でも死んじゃうんだよ?」
「名前がなけりゃ死んだときにお墓も作ってやれないじゃないか」
「は? こんな都会でどこに墓なんか作れるって? だいたい、うちはマンションじゃん」
「そりゃそうだけど」
「母さんが台所の生ゴミに捨てて終わりよ」
「……ミサ」
お兄ちゃんがこうやってため息をつくのは、あたしに説教したいっていうサインだ。でもお兄ちゃんは――お義兄ちゃんは、あたしの本当のお兄ちゃんじゃないからってため息をつくだけで終わらせようとする。
だからあたしはお兄ちゃんのため息を聞くたびにどきっとする。今もおそるおそるお兄ちゃんを見上げて、そしてごめんねって言う。お兄ちゃんがもう一度、さっきより軽いため息をついて、それでこの話は終わりだ。
「ねぇ、じゃ、お兄ちゃんが名前つけていいよ」
あたしは赤いビニル紐でくくられたビニル袋を、視線の高さにかかげてみる。何の変哲もない金魚が、ただ赤い体を透明なうろこでキラキラ光らせながら泳がせている。
「なんで俺が」
「だってあたし、名前つけられないもん」
お兄ちゃんはあたしをじっと見た。あたしはえへへとごまかしてそっぽを向く。こういうときのお兄ちゃんの真顔に、勝てるほどあたしはまだ強くない。
「……じゃあ、」
金魚のえさは五年生のときのメダカにあげてた残りがあったかな。水草は明日にでも買って来よう。
それにしても不思議だね。台所のまな板の上ではお母さんがカレイをさばいているっていうのに、なんであたしはその横で水道水を金魚鉢に注ぎながら、付いたばかりのサカナの名前を呼んでいるんだろう。
――いつか死ぬのにね。