第6話 出来事 ~その一~
その出来事は、優実が転校した日から2週間ほど経った時に起きたそうです。川瀬さんは、こう話してくれました。
東先生とは、優実が転校してから毎日家庭訪問をしていただいたり、私が学校に足を運んだりして、娘の様子を聞かせてもらいました。まだ、転校して間もないクラスに馴染むことはできているのだろうか、友達は出来たのだろうか、と母親ならば当たり前の不安を抱えていました。
「すっかり馴染んでいるという感じではないけれど、話をする友達や一緒に遊ぶ友達も少しずつ出来てきた」と先生はおっしゃっていましたので、心配性の私は一先ずは安心していましたが、その思いとは裏腹にいつ何かが起こるのではないかという思いは拭えませんでした。
2週間ほどたったある日、東先生から私に連絡がありました、少し困った様子で。同じクラスのお母さんから東先生に連絡があったというものです。その内容は、「優実さんというお子さんはどんな子ですか、なぜこんな時期に転校してきたのですか?特別な理由でもあるのですか、保護者の方はどんな方ですか」というものだったそうです。もちろん東先生は、優実の事情を把握されていましたので、個人情報になるような差し支えのあることは、言葉を濁しながら対応してくださったそうです。
東先生がその方と面談して、詳しい経緯を聞かれたそうです。優実とその子は仲良くなり、放課後に遊ぼうと二人で約束したそうです。一度か二度は約束通り遊んで、二人とも満足しました。二人の友情が深まったというのでしょうか。しかし、優実が「今日も遊ぼう」と声をかけると、その子は「今日は習い事があるから無理なの、ごめんね」と言ったそうです。その次の日も優実は同じように声をかけたそうです。するとまたその子も同じ返答をしてきました。また次の日も優実は声をかけましたが遊んでは貰えなかったそうです。そしてまた次の日も・・・。
そんなやり取りが何度か続いたある日、問題が起きました。
優実が机の中から徐にはさみを出し、その子に刃先を向けこう言いったそうです。
「私と遊んでくれないなら・・・あなたを刺すわよ」と。
この言葉を聞いた時、ある新聞記事がすぐに私の頭に浮かびました。
その記事は鮮烈で世の中の親たちや教育関係者の心に深い傷を負わせるものでした。それは女子中学生がブログに自分の悪口を書かれたと錯覚し、その友達を殺害してしまった記事です。それもオカルト映画に出てくるような残虐な方法で。ある種、神戸の酒鬼薔薇という少年が起こした悲惨な事件にも勝るとも劣らないものでした。
「ひょっとして・・・」東もその事件の渦中に巻き込まれたのかと思うばかりでした。
あわててそのお母さんが東先生に連絡を取りました、当たり前のことだと思います、私もそうしていたと思うからです。私はびっくりして学校に伺いました。幸い新聞記事になる程の事態には至っていませんでしたが、「どうして・・・」と思わずには居られませんでした。
東先生は冷静に私に言ってくれました。
「お母さん。幼い子が自分の欲求を満たすために親や友達に交換条件を出すことがありますよね。例えば、『あなたのお菓子ちょうだい、くれたら遊んであげる』とか『おもちゃ貸して。貸してくれないと泣いちゃうからね』という類のものです。優実さんもきっとそんな思いで、思わずそうしてしまったのではないでしょうか」
「それでも・・・どうしてあの子はそんな馬鹿なことをしたのでしょう。本当にすみません。相手の方にどうお詫びをすればいいのか・・・」
「・・・先生、これだけはわかってやってください。」
「こんなことをしてしまったのは、きっと主人の影響なのです。あの子は優しい子で、人を傷つけるようなことは・・・」
「判っていますよ、そうご心配なさらずに」
「どうしよう?どうしたら・・・折角あの子のために引っ越したのに。お友達ができたと喜んでいたのに。」
「その子は優実を怖がっていませんか?周りで見ていた子はどうですか?」
「・・・それはまだ私にはわかりません。お母さん、少し落ち着きましょう。怪我をさせてしまったわけではありませんし、相手の方も冷静に相談に乗っていただけていますし・・・」
「でも・・・」「でも・・・」「何てことを・・・」
先生と私はそんなやり取りをした事を覚えています。
この家族がこれまで経験してきた事と優実が起こした過去のトラブル、母親がその苦しい経験をどのように対処し、トラブルの原因を見つけ出そうとしてきたかを、この一連の出来事で、私は垣間見ることが出来ました。
一つは、優実が起こしたすべてのトラブルは家庭環境に原因がある、家庭の中に言葉と体の暴力がはびこりそれを間近でみてきた母と子がいる、暴力というその悪魔が優実にささやき彼女を狂わせる、そんな悪魔のような暴力がなければあの夫がいなければと、川瀬さんが考えていることです。もう一つは、娘のした過ちは私のした過ちと言わんばかりに、まるで自分の体の一部に娘が宿っているかのように、体だけではなく精神も宿っているかのように考えていたことでした。
この時私は、子を産み育てるという特有の機能を果たす母親が持つ母性の優しさと恐ろしさを感じました。
母性とは男である私には到底理解できない領域です。そう思っています。自分の子を自分自身のように考えたり、分身のように考えたりする気持ちはわかるような気がしますが、子の存在は他者である母親が存在して、はじめて存在するものだと私は思うのです。
つまり、子が自分を、他者(母親)の他者(子)であると認識することが、自分を自分として認識できる方法なのではないのでしょうか。川瀬さんは、このことを母性と言う感覚に騙されて、間違った認識でいるようにも感じました。
私と東は、学生時代双子のように同じ空間で生きてきました。しかし、空間や時間は同じであっても、彼は他者の他者である私を東は自分の分身であるとは思っていなかったでしょう。それは、他者の存在を認めることが自分と言う存在を確認できる方法であったことを、彼は知っていたからだと思います。
冷静な対応をした東の姿はそれをよく表していると思います。