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第3話 人物 ~その女性とは ~

「あの・・・失礼ですが・・・」私がその女性に声をかけていました。

その女性は、「は、はい」と途切れ途切れになりながら、そしてゆっくりとこちらに目線を向けて答えてくれました。「やはり、東の奥さんじゃなかった。」そう思い、好奇心は先ほどよりもっと強くなっていく感覚を覚えながら

「私は東の友人なんです・・・、あっ、大学時代の友人なんです。急に彼が亡くなるなんて本当にびっくりして・・・」

と抱いた好奇心を悟られないように、在り来たりの言葉を集めるのに私は精一杯でした。


「このたびは・・・」

と声を詰まらせながら彼女は言葉を続けようとしました。

「私は・・・保護者なんです。川瀬千代美かわせちよみといいます。私の娘の担任が東先生で・・・先生には娘がたいへんお世話になったんです」

「そうだったんでしたか、川瀬さんの娘さんを東が担任してたんですか」

とても単純で、よく考えてみればもっとも可能性の高い答えが当然のように返ってきました。娘の大切な恩師が亡くなったのだから、悲しさは当然のものです。あれほど直接的に感情を表すのも納得がいく気がします。無二の親友である私が、感情をこの人のように表せないこと自体に嫌悪感を感じながら、同時に詰らない好奇心が滑稽に思えて、何だか恥ずかしくなってきました。耳が熱くなってくるのが判りました。


「先生には本当にお世話になって・・・」もう一度その方がおっしゃいました。

そして、こう続けました、

「娘は去年の3月に小学校を卒業したんです。卒業させてくれたのが東先生なんです。うちのは手のかかるで、先生には大変ご苦労をおかけしたんです。」

とても丁寧にそしてとても礼儀よく話をされる方でした。また、お世話になったと何度も口癖のように言葉にする方でもありました。彼女の言葉に耳を傾け、私が黙ったまま肯いていると、こちらから聞くわけでもなく静かにこう語ってくれました。

 

「あの子は先生と2年前の2月にお会いしました。というのも、もう今は離婚しましたが、その時、私のもと夫、あの子の父親から、二人で逃げてきたんです。夫とは14年間連れ添いました。夫は、東急電鉄に勤めていて、そのまじめな仕事ぶりと人当たりの好さから、それなりの責任あるポストに就いていました。私たち家族3人、ごく普通に幸せに暮らしているように見えていたと思います。年に一度の海外旅行、そして週末は外食を必ずする、そして私は専業主婦で、お友達と週に3度はランチをする、ある意味では周りの方から羨ましがれる生活を長年送ってきました。私たちの生活、本当の生活を知らない方にとっては、そう映っていたと思います。今までに、3回家を出たのですが、そのうち2回は私の気持ちの弱さからか・・・戻ってしまって、3回目が2年前の2月のことなんです。あの子が幼い頃からずっと続いていました・・・それで・・・お恥ずかしいのですが、私たちは夫からDVを受けてきたのです。それで二人で逃げてきました。あんな人と一緒になるんじゃなかった、そう後悔するばかりです。世間知らずの・・・若かったんだなと思います。」

と丁寧な話し方を繰り返す方でしたが、ときどき文脈がわからなくなる、突然話が飛んでしまう、その独特の話し方や、あまりに唐突でしかも具体的なその言葉をオブラートで包もうとする意識がないことに戸惑いながら、初対面の私にこんなことをべらべらと話していいのかと思ってしまいました。東が亡くなったという状況と通夜という場面が、彼女の口を開かせたのか、それとも少し変わった女性だからそうなったのか、私には確信を持てる答えがありませんでした。


「夫は、早稲田を卒業して東急に勤めたのですが・・・」


「そうですか・・・」と肯きながら、やはり少し変わっていると実感しました。人には自分のテリトリー『プライベートゾーン』というものがあって、そのゾーンに他人がむやみに入ってくると憎悪や嫌悪感を持つと聞いたことがあります、私もそのような実感を今までに何度もしました。この女性は自らそのテリトリーの囲いを壊しているようにしか私には思えませんでした。


「頭のいい人で弁も立つほうなんです。」


「なるほど・・・」この答え方が正しいのか疑問を持ちながら、ただ相づちのように答えてしまいました。


「実は、夫も虐待を受けていたんです」

少しの空白の時間がありました。その空気を感じたのか彼女はまた語りだしました。


「そんなことを聞かされると・・・私は母性をくすぐられて、かわいそうになってしまって、それで、結婚してしまって、それで、娘までつらい思いをさせることになってしまって、自分が受けた痛みだからわかっていると思っていたから、いつかは治ると信じてしまって、当時の生活を失うのが惜しい気がして、それで、それで、わたし、それで、」

何かに取り付かれたように、彼女はこれまでの思いを思いつくまま声に出していました。その響きは後悔しても後悔しきれないという念があふれ出て、思わず彼女の世界に引き込まれてしまいそうになります。


 一頻り言葉を吐き出した女性は、また大粒の涙を流していました。その涙は、東が亡くなった悲しみのものなのか、それともこれまでの自分の後悔を悔やんだものなのか、私には判りませんでした。
























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