第二章 弓馬の道 【4.荒星】
【4.荒星】(あらぼし)
夕暮れの馬場には、昼の熱気がまだ残っていた。
荒馬は、互いの息遣いが触れ合う距離に立つことを、拒まなくなっていた。
国豊は、馬の首筋に手を置いた。
荒れた毛並みの下には、坂東の風をそのまま閉じ込めたような熱があった。
(おまえと私は、今日、初めて同じ地平を見たのだな)
その思いが胸に満ちたとき、国豊はふと、かつて将門から聞いた言葉を思い出した。
――名とは、魂を呼ぶものだ。
国豊は馬の顔を見つめ、静かに口を開いた。
「……其方に名を、与えよう」
馬は耳を動かし、国豊の声に応えるように鼻を鳴らした。
「――荒星」
国豊は、この地に来てから感じ続けていた荒々しい風、湿った土の匂い、そして坂東の空の広さを思い浮かべた。
「荒ぶる星。坂東の空を駆ける、おまえにふさわしい」
その名を口にした瞬間、馬がわずかに首を振った。
それは、この地で初めて交わされた小さな誓いのようであった。
「名を与えたか」
少し離れた場所で見ていた兼遠が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
国豊は驚いて振り返った。
兼遠は、荒星のたてがみを一度だけ撫で、低く言った。
「……名を与えるのは、生きる覚悟を示すことだ」
「名を呼べ。
呼べば、馬は応える。それが坂東の馬と人の絆だ」
「荒星」(あらぼし)
国豊は馬の首に手を置き、夕暮れの空に向かって静かに呼んだ。
馬は、まるでその名を確かめるように、一度だけ高く嘶いた。
嘶きは、坂東の空に吸い込まれ、国豊の胸に深く刻まれた。
(この地で生きる。この馬と共に)
その決意が、初めて確かな形を持った瞬間だった。




