第四章 弱肉強食の巷 【3.影民の路】
【3.影民の路】
国豊は成家・兼遠を従え、村々の巡察を強めた。
近隣土豪の襲撃を退けたのちも、信太の地には、どこか刺すような緊張が残っていた。
だが、この地はまだ国豊にとって“地図にもならぬ土地”である。山の影の落ち方も、谷の深さも、村と村をつなぐ細道の曲がり具合すら、身体に染みついてはいない。
――知らぬ土地は、守りようがない。
その思いが、国豊を歩かせた。
朝から幾つもの村を回り、焼け跡の匂いを嗅ぎ、怯えた民の声に耳を傾け、地形の起伏を一つひとつ確かめていく。
巡察を終えるころには、空はすでに闇に沈み、道の先は黒々とした影に溶けていた。
その闇の向こうに、国豊はまだ知らぬ“影の民”が潜んでいることを、このときはまだ知らなかった。
この日、夜道を進んでいると、遠くから、馬の蹄が不規則に響いてきた。
官馬の整った拍子とは違う。湿った夜気を震わせるような、荒々しい音。
国豊は足を止めた。
成家と兼遠も、自然と手を太刀に添える。
やがて、闇の奥から影が揺れ、革の腹巻に荒布をまとい、顔を紺の布で覆った一団が姿を現した。坂東馬の短く太い脚だけが、彼らの只者ではない気配を静かに語っていた。
一瞥をくれただけで、その影たちは、夜の闇に溶けるように去っていった。
成家が低く囁く。
「……負名です。」
国豊は眉を寄せた。
「国府の荷運びを生業としながら武装を解かぬ者どもです。」
国豊は、胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。
「国府の荷を運ぶ民が、なぜあのような姿を。」
成家は苦しげに続ける。
「はじめは自衛のためでしたが……荷を奪うこともあるようです。
・・・この頃は、飢えに沈む民を見て、彼らは国府の苛烈な取り立てに抗し、租税の運搬を妨げております。」
国豊の胸に、重い怒りが沈んだ。
その矛先は、負名ではなく、むしろ国司・維幾の苛政に向けられていた。
それから数日ののち信太北方の村が野盗に襲われた。
家々は焼け、童子は攫われ、冬の糧と種籾が奪われた。
国豊は郎党を率いて急ぎ向かったが、道すがら、野盗の屍が点々と転がっていた。
矢に射抜かれた者、斬られた者――。
成家が言う。
「……賊を、別の集団が討ったのでしょう。」
貧しさが生む、暴力の連鎖。
悪しき種を刈り取る者は、どこにもいない。
国豊は、奪われた童子と米穀の行方を追った。
襲われたという村に着いた国豊は、焼け跡の前で泣き崩れる母親に寄り添い、攫われた童子の行方を尋ねた。
――やがて、村の外れで震えていた七つほどの童子が国豊の前に連れてこられた。
泥にまみれ、足は傷だらけだった。
「どうした。無理に話さずともよい」
国豊が膝を折ると、童子は唇を震わせながら語り始めた。
「……野盗に連れていかれた。“お前も武器を取れ、殺せ”と言われて……できなければ殺す、と……」
童子は涙をこぼしながら続けた。
「けれど……湿地の細い道に入ったとき、どこからか矢が飛んできて……野盗が次々に倒れた。」
国豊は息を呑んだ。
「矢……?」
童子は大きく頷いた。
「馬に乗った別の人たちが、横から駆けてきて……野盗を散らして……荷を奪って……すぐに林の奥へ消えた。顔を布で隠して……まるで影みたいで……」
成家が小声で言う。
「……負名でしょう。」
童子は続けた。
「その人たちの頭の人が、“お前は賊の仲間か”と聞いて……違うと言ったら……“村へ帰してやる”と……ここまで連れてきてくれた」
国豊はしばし言葉を失った。
野盗を討ち、荷を奪い、しかし攫われた童子は村へ返す――。
善と悪の境界を、負名は影のように行き来している。
その曖昧さが、国豊の胸に深い疑念と、それでも消えぬわずかな光を灯した。




