第一章 坂東下向 【1.初見の郷】
第一章 坂東下向
およそ千年の昔
平安時代中期の関東平野の地勢は、今日とは大きく異なっていた。
坂東太郎として知られる利根川は、鬼怒川・小貝川の奔流を併せ、その下流域には果ての知れぬ葦の原がどこまでも続いた。現在の霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼――湖沼は水脈と葦原を介して繋がり、広大な水郷地帯を形成していた。
これらの水域は季節の光を受けて色を変え、「香取海」と名付けられた入り江に通じ、水面は潮汐の影響を受けて日々に揺らぎ、風の強弱によっては、陸地の輪郭すら見失われることがあった。
このようにして、当時、坂東太郎の下流域は、河川と湖沼と湿地が外海と繋がり複雑に絡み合う一大水域をなし、その広がりは、後世の江戸湾にも比肩したと伝わる。
水と陸との境界が曖昧なこの水の郷では、水は脅威であり、また大地の恵みでもあった。季節の雨が続き河川が氾濫すると集落は水没し、人々は家畜と共に水に流された。しかし同時に肥沃な土を運び、漁撈と水運の利をもたらした。
この水と大地の相克は、坂東に生きる者の気質にも色濃く反映した。人々は、自然の威容を前にして慎ましく、そして強靭であらざるを得なかったのである。
平安京で、宮中警護や治安維持を担う「兵衛尉」(三等官の武官)の官職に就いていた藤原国豊は、平小次郎将門の帰郷を追うようにして、自ら坂東下向を志願してこれを許され、新たに国府の官に任じられ、都から遠く離れた東国、この荒ぶる水の郷を目指したのであった。
【1.初見の郷】(はつみのさと)
白い帆が風を孕み、船体がぎしりと軋んだ。
目的地である浮島は、四方をこの香取海に囲まれた孤島であった。
国豊は、帆柱の根元から突き出た細い梁に足をかけ、海風を真正面から受け止めていた。
潮の匂いを含んだ強い風は、京の湿った空気とはまるで違う。
それは、彼の胸にこびりついた鬱屈を吹き払うかのようだった。
藤原国豊(浮島大夫)の血は高貴である。
中臣姓藤原北家中納言・藤原山蔭の孫、従四位上・藤原仲正の子、と伝わる。
だが、身分卑しい側室の腹から生まれた庶子であるがゆえに、実父からは疎まれ続けた。
仲正は、歌や芸能を愛し、遊女、傀儡女を愛した。
その結果、生母不詳の数多くの子女に恵まれた。
仲正が庶子に関心を抱くということは無く、顧みることもしなかった。
家の中での居場所は狭く、未来は閉ざされていた。
それでも、国豊は己を恥じたことはない。
むしろ、己の力で道を切り開くことができる、と強く思うようになった。
荒れた大地も、強く吹き付ける風も、すべてが彼を試しているように思えた。
――逆境と試練こそ望むところだ。
――待っていろ、坂東の地よ。必ずや、この国豊が名を刻む。
そんな国豊を、ただ一人、気にかけてくれた人物がいた。
藤原一門の長者にして、摂政 左大臣 藤原忠平卿である。
国豊が、坂東下向の願いを伝えたとき、
卿は静かに頷き、
「汝には幼き頃より、利害を考えず筋道を通す“義”がある。
東国でも藤家の血に恥じぬ働きをせよ。」
と、常陸大掾の位を与えて帰京の道筋を残し、国豊の背を押してくれた。
その温情は、国豊の胸に深く刻まれている。
国豊は帆先に立ち、東の空を見つめた。
長く燻っていた思いは、波間に吸い込まれていった。
船が島に着くと、国豊は砂を踏みしめ、初めて浮島の地に立った。
迎えに来ていたのは、物部太郎安広
生母の実家、物部信太連の末裔にして、国豊の外祖父にあたる。大柄で、髭はぼうぼう、声は雷のように国豊の頭上に響いた。
「おお、これが吾の孫君か。細い、白い、まるで京の姫君のようだな」
豪快に笑いながらも、その目は鋭く国豊を値踏みしていた。
物部氏は、“天皇家以外で唯一天孫降臨の伝承を持つ一族である”、と伝わる。その宗家は蘇我氏によって滅ぼされたが、物部は全国各地で血脈をつないだ。
国豊は、静かに頭を下げた。
「常陸大掾、藤原の朝臣国豊が、おぼじ様(祖父様)にお仕えするために、たった今、こちらに到着いたしました。」
安広は、しばし国豊を見つめ、やがて破顔し、満足気に頷いた。
「今日より、この浮島を我が根といたします。」
「よい。浮島を含む信太はおまえの母の故郷だ。まずはこの地の風を吸え。
京の香をその身に纏っておったら、坂東武者はついてこんぞ」
その言葉に、周囲の荒武者たちがどっと笑った。
国豊は微笑み、胸の奥で静かに拳を握った。
この信太の地に根をおろし、己の旗を掲げる。
必ずや、この国豊の名を刻む。
――ここからが、我の戦いだ。




