99 取り込んじゃった!?闇属性の吟遊詩人!?
黒い闇に満たされた神殿が、僕たちを丸ごと飲みこんだ。
古の淀み――原始の魔物が、壁も床も天井もひとつの“影”として溶かし、境界を奪っていく。
「カゲミ……カルマ……っ!」
手を伸ばしたときにはもう遅かった。闇の波がふたりの足元を這い上がり、影をぐん、と底へ引きずりこむ。
「くそっ……離せ!オレの影を返せよッ!」
カゲミが必死にもがくが、飲まれかけた影がじりじりと闇へ沈んでいく。
「や、やだ……っ!セオト兄ちゃん……!」
カルマの声は、水底から響くみたいに震えていた。
「待ってろ!すぐ助けるから!絶対に離れないで!」
叫び返した僕の声すら、闇に吸われて消える。光が溶け、音が砕け、息を吸うたび胸の奥がひりついた。
「……セオト、落ちついて」
隣でセリアンがそっと肩に触れる。闇に染まりつつあるのに、その瞳だけは底知れないほど静かだった。
「ふたりとも完全に飲まれたわけじゃないよ。“境界”にいる。まだ助けられる位置だよ」
「……本当に……?」
「もちろん。だから――急ぐよ」
セリアンが竪琴を構えた瞬間、闇がびくりと震えた。“その音を聞くのが怖い”とでも言うように。原始の魔物が、こちらを睨むように形を歪める。
「みんなをそちらに連れていくつもりなら……覚悟してもらおうか」
セリアンの声は穏やかだが、底に硬い決意が宿っていた。
影の底から、不気味なざわめきが広がる。
――――来ルナ!吟遊詩人!……アアア、影ノ子……水ノ子……。
闇がさらに深くうねり、カゲミもカルマも中心へと引き寄せられていく。
「渡さない。ふたりとも……必ず連れ戻す!」
僕は覚悟を決めた――はずだった。
だが。
結論から言うと、セリアンは闇より深かった。
「私の影は暗いかい?」
静かな声が闇の底を震わせる。
セリアンの足元から広がる影が、原始の闇を拒むように揺らぎ、古い記憶を呼び覚ますようだった。
「キミは過去の記憶なんだよ……」
闇に向けて、セリアンは静かに告げる。
「なら、私が古の歌にしてあげよう」
その声音は、優しくて、冷たくて、どこか悲しい。
――――グガガァァ!
「うん、くやしいんだね。置き去りにされたんだもの」
セリアンは、泣きじゃくる子どもに語りかけるみたいに落ち着いた声で続ける。
原始の魔物が悲鳴とも咆哮ともつかない声をあげ、神殿全体が震えた。石壁に染みこんだ影が波紋のように揺れ、空気は重く押しつぶされる。
「キミを取り込んじゃってもいいかな?」
セリアンが弦に触れる。かすめた指先からほの青い光が溶けだし、淡い旋律が漂い始めた。
その音色は――闇を否定しない。拒まず、傷つけず、ただそっと寄り添う。。竪琴の響きが、原始の闇の奥に染みこんでいく。
セリアンの影が静かに広がり、原始の魔物の触手と重なっていく。ぶつかり合うのではなく、溶け合うように。古い記憶が呼び起こされるように、神殿の空気がひやりと静まった。
「セリアン、闇深いねぇ。めんどくさいけど……やるな!」
ミラが口笛を鳴らす。セリアンはちらりと視線だけ向けた。
「はい、私はめんどくさいですよ。どうやら“闇属性”らしいので。だからこそ、調律できる。闇も歌えば少しは素直になるんです」
さらりと言うその声は、不思議と誇らしげだ。
――――グギギィィィ、チカラ、吸引サレル……!
原始の魔物が揺れる。竪琴の音に惑わされたように形を保てなくなっていく。
「素直……なのかな、あれが?」
ミラが眉を上げる。
「怒ってるだけの子ほど、歌えば泣き止むでしょう?」
セリアンは闇の中心で微笑む。
竪琴の音が一段深く響いた瞬間――
闇が、波のようにセリアンへ押し寄せる。だが、彼の足元から広がる影の膜が、それをなぞるように受け止めた。
「……やっぱ、弟子がいちばん怖いんじゃない?」
ミラのぼそっとした声が闇に響いた。
「師匠、聞こえてますよ」
セリアンは竪琴の音を止めずに微笑んだ。闇のただ中で、その微笑みだけが静かに浮かびあがる。優しいのに、冷たくて、どこか底が見えない――そんな光。
「フフ。闇の吟遊詩人か。……ほんとに良い歌だよ」
ミラが肩をすくめる。原始の魔物より弟子のほうが手強い気がして、背筋が震えた。
闇の中心で、セリアンが息を吸う。弦が震え、音が“影”となって広がった。低く、深く、静かな――しかし心臓に触れるような和の響き。それが闇を舐めるように撫でていくたび、原始の魔物がびくりと震えた。
――――アア……アアア……!
「ほらね。闇って案外、歌に弱いんです」
セリアンはさらりと笑う。その表情は深淵の光だ。
「闇は闇のままじゃつらい。原始の記憶も、誰かに“名前”をもらえなければ、ただの苦しみだから」
音が一段深くなる。神殿の空気が、まるで古い水底がひらかれたみたいに揺れた。
――――イ、イヤ……名ハ……要ラヌ……!
「いいや。ほら、聞いてごらん」
セリアンの影が、闇と重なりながらゆっくり動く。闇の触手が影に触れるたび、苦しげだった声がすこしずつほどけていく。
「君の“はじまり”を歌にする。闇だったものが、過去だったって思えるように」
――――グ……ガ……ァァ……。
「大丈夫だよ」
竪琴の音が柔らかく波打つ。
「置き去りにされた記憶は、ちゃんと“物語”になれるんだ」
その言葉に、闇の震えがすっと静まった。長い苦悶の中で、誰にも触れてもらえなかった傷が、ようやく呼吸を取り戻すように。
「さあ、帰ろう。きみの淀みは——古の歌へ」
最後の一音が、神殿の闇を貫いた。刹那、黒い波がぱあっとほどけて光に染まり、カゲミの影とカルマが解放される。
「っ……はぁ、戻った……!」
「セオト兄ちゃん……!」
ふたりの姿を見て、僕はようやく息ができた。隣ではミラが腕を組みながら、涙目でぼそりとつぶやく。
「……いい歌だったよ、セリアン。闇属性とか言ってたくせに、めちゃくちゃ優しいじゃないか」
「属性と性格は別ですから。それに――」
セリアンは竪琴を抱えたまま、すこし照れたように目を伏せる。
「転スイして日本で多様な音楽に触れましたからね。私、吟遊詩人として……ほんとうに覚醒したみたいです」
「こりゃあ、世界デビューだね」
「はい。まずはこの神殿から、ですね」
そして、和のダークテイストな調べがそっと神殿に満ちる。
原始の淀みは、その歌に包まれ、静かに、深海の底へ沈むように落ち着いていった。揺らめく闇がふっとほどけ、歌に寄り添うように形を変える。
まるで「帰る場所が見つかった」と言わんばかりに、あの暴れる気配がやわらいだ。
――さて、影巫女の神殿編、いかがでしたでしょうか。
……という作者挨拶の裏で、ひとりの男が座りこんでいる。
「なぁ……ワイ、今回なんかしたっけ?」
タリクが床に落ちた自分の影を見つめてぼそりとつぶやく。
その横で、仲間たちが気まずそうに目をそらす。
「いや、その……タリク? ほら、応援とか……してたよね?」
僕、セオトが気をつかって声をかける。
「してねぇよ!!」
タリクが即答する。
「応援って……俺は声だけのモブなのか!? 気づいたら闇に飲まれてて、気づいたら終わってて……!」
セリアンが静かに肩をすくめる。
「タリク、安心しなよ。私も原始の淀みと歌で会話してただけだし」
「だから! そういう“かっこいい見せ場”があるだろ!」
「ぼくも飲みこまれました……」とカルマ。
タリクはうなだれた。
「いいなぁ……飲み込まれるくらいの出番は欲しかった……」
そこへカゲミが、ぽんぽんっと肩に手をおく。
「タリク。おまえは……まぁ……うん。いいやつだよ」
「慰めになってねぇ!!」
神殿の闇は祓われたが――
タリクの心の闇だけは、まだ浄化されていないらしい。




