96 怖がらせちゃった!?“視線”のハツユリ!
穴の奥から感じた“視線”が、ふっと霧散する。代わりに、神殿の空気が急に澄んだ。青白い光がふわりと舞い上がり、僕たちの足元をめぐるように漂い始めた。
「……おい、影が動いてるぞ」
カゲミが僕の袖をつかむ。
影だけじゃない。霧も、光も、空気そのものがゆらゆらと揺れ――ひとつの形をつくり始めていた。
白い布をまとい、長い髪が水面のように揺れる影。輪郭は淡く、けれど気高さだけは失われていない。
――その存在は、静かに姿を成した。
「……嘘でしょ……!」
みんなが息を呑む。タリクでさえ記録板を落としそうになっていた。
そこに立っていたのは――。
『はじめまして。窪底川村、初代影巫女――ハツユリと申します』
彼女の足は地についていなかった。淡い光の粒が衣の裾から地面へこぼれ落ちていく。
「……ハツユリ、様……?」
かすれる声が自分のものだと気づく。
『……なぜ、おびえるのです?』
「えっ……と、その……すみません?」
幻影はゆっくりと顔をあげ、こちらを見てニコリと笑う。月光のように静かな瞳は、どこか懐かしさを帯びていた。
『ふふっ――よくここまで来てくれましたね』
その声は空気ではなく、胸の奥に直接溶け込むように響く。
「は、話してる……?」
カルマが震える声で呟いた。
『私がこわいの?魔物くん』
その視線がカルマに向いた瞬間、彼は汗だくで固まった。……わかるよ、カルマ。僕でも正直ちょっと怖い。
「こ、怖いなんて……そんな……!」
強がる声と、ぷるぷる震える膝。
ハツユリはふわりと表情を緩ませた。
『大丈夫。あなたを傷つけたりはしませんよ。あなたは“恐れの影”を多く背負っていますね。でも――』
白い光がカルマの足元をそっと撫でた。それだけで、彼の震えがほんの少しだけ和らぐ。
『恐れは、あなたを責めるためのものではありません。あなたが“生きてきた証”ですから』
「……証……」
カルマの喉が、小さく鳴った。彼の大きな瞳が、ほんの少しだけ幻影をまっすぐ見られるようになっていた。
カゲミは、じっとハツユリを見ていた。まるで、自分の源流を確かめるように。
『影巫女の力が、千切れかけています。この地にはいま、影の“古い淀み”が戻ろうとしているのです。』
「古い……淀み?」
ツバネが小さく息を呑む。
ハツユリの視線が、そっとカゲミへ向いた。
『あなたの影――ずいぶんと揺らいでいますね、カゲミさん』
カゲミの肩がわずかに跳ねる。
「……オレは、揺らいでなんか――」
言い返そうとするが、声が震えてしまった。
『大丈夫。揺らぎは変化でもあります。あなたが“自分の影”を選ぼうとしている証』
その言葉に、カゲミは唇を噛んだ。ハツユリの気配が、今度は僕へ向いた。
『セオトさん。祠の魔物、ササメがあなたを攫ってしまいました。……ごめんなさい。あなたは水の記録者。だから巫女だと思ったのでしょう……』
その言葉に、胸の奥がぴくりと揺れた。
――ああ、あの時。
影巫女を探すように命じられた魔物に……女の子だと間違われて攫われたんだっけ。
「僕はなんとも思ってません。安心してください」
そう口にしながら、少しだけ視線をそらす。キュリシアに来てから、こういうことって……まあ、たまにあるような……。
「ああ、そういえばあったね、そういうことが」
ミラさんが素で思い出しちゃった!
「ミラさん、言わなくていいです……!」
僕は思わず小声で抗議した。
そんなやり取りもよそに、ハツユリは静かに続ける。
『けれど、影の道を避けることはできません』
その声音は、一瞬で場の空気を張りつめさせた。
「影の……道ですか?」
『この神殿は――影巫女の記憶庫。私の残した最後の“記録”を、あなたたちに託します』
「記録……?」
僕がつぶやいた瞬間だった。
――ゴォォ……ン……
低い音が床下から響き、神殿全体が震えた。青白い紋様が壁に浮かび上がる。
『恐れなくても大丈夫です』
ハツユリの幻影が、そっと僕たちを見渡す。
『記憶とは、本来“水”と同じもの。流れ、巡り、澱み、そして形を変える……あなたたちは今、その源に触れようとしています』
僕が一歩近づくと、ハツユリの手から光の粒が舞い、胸の奥へ溶けていった。
霧がほどけるように床の模様が分かれ、細い道が奥へと伸びていく。まるで長い眠りから覚めたように、青の灯りがひとつ、またひとつと点っていく。
「……開いた、のか?」
タリクが思わず息をのむ。
カゲミはじっと奥を見つめていた。影が、彼の足元で揺れ動いている。まるで、何かに応えるように。
「カゲミ……?」
「……なんか……呼ばれてる気がする。影が……ざわざわして……落ち着かない」
『あなたの影が“記録”に反応しています。影巫女の力はあなたの中にも流れていますから』
ハツユリの声が静かに落ちる。カゲミは言葉を失い、影だけが震えていた。
「……オレは、逃げないよ」
その小さな呟きは、誰よりも強かった。
ハツユリが、静かに微笑む。
『では――進みなさい。この先で、あなたたちは“影の起源”を知ることになるでしょう。どうか……迷わずに』
光が強まり、神殿の奥がまばゆい蒼に染まった。そして――幻影の姿はゆっくりと淡くなっていった。
『……影巫女カゲミよ。あなたの影が、どうか正しく在れますように』
その祈りだけを残して。
静寂が落ちる。カゲミはしばらく動けず、ただ光の消えた空間を見つめていた。
「……影の、起源……」
小さくつぶやく。
僕たちは顔を見合わせ、神殿の奥へとつづく青い道へと視線を向けた。戻れないかもしれない――それでも、不思議と足は止まらなかった。
「……行こう、みんな」
僕が言うと、ミラさんがにやりと笑った。
「言うと思ったよ、セオト。じゃあ行こう――影の奥へ!」
勢いよく先頭へ飛び出していく。あれ……ミラさん、スピード出すぎでは!?
「師匠!単独行動はダメだよ!」
セリアンが慌てて追いかける。
「わかってるって。でもほら見て!床がうっすら光ってるんだよ!?踏むと反応するの、すごくない!?」
子どもみたいに足元の光を確かめながら進んでいくミラさん。
「だからって前のめりになりすぎなんだよ!」
「心配性だなぁ、セリアンは」
「師匠が心配事を増やすんですよ!!」
言い合いが反響し、奥の静寂が揺れる。ミラさんのテンションは上がる一方だ。
「セオト、この光、きっと“記録を読むための道”だよ!何百年も前の巫女が残した仕掛けなんて……ロマンしかないよね!」
「ミラさん!落ち着いて!」
僕が声を張ると、ようやくミラさんが振り返った。
「大丈夫だって。ちゃんとみんなで行くよ」
そう言いながら、足はしっかり前のめり。セリアンが頭を抱えた。
「……ほんと、冒険向きってこういう人なんだなぁ……」
「諦めろ……」とツバネ。
「諦めたら師匠がどこまででも行っちゃうんだよ!!」
そのやり取りに、カゲミがぼそっと呟いた。
「……まあ、にぎやかな方が淀みも寄ってこねえし」
こうして僕たちは、青い光の道へと踏み出した。その先で何が待っているのかも知らないまま。
じいぃっ――。
……わたし、そんなに怖かった?
ただ、そこに穴があったから覗いただけなのに。
だってね、ちょっと「見えたから見ただけ」なんだよ。
それなのに、あんまりみんながビクビクしてるから――つい笑っちゃったわ。
え?そんなに驚くことだったの?
でもね。
みんなが無事でいてくれるなら、わたし、怖がられたっていいの。
だって、見守るのが影巫女だもの。
たとえ “視線が怖い” って言われても――。
わたしは今日も、そっとみんなを見守っています。
――初代・影巫女ハツユリ。




