91 一緒に歩いちゃった!二人だけの告白!?
「……一緒に歩こうか」
どこにいても水龍さまの加護の中では、きっと全部聞こえてしまう。
それでも――今だけは、二人きりの時間がほしかった。少しだけ震えた僕の声に、カゲミは気づいたかもしれない。
カゲミは一度だけ瞬きし、驚いたように目を見開いた。それから、照れくさく視線をそらしながら、こくんと頷いた。
「……うん」
歩き出した瞬間、ふと触れた指先。避けるでもなく、ためらうでもなく――自然と重なり、静かに絡まる。熱が掌から伝わってきて、胸の奥が跳ねた。
落ちる夕光の中で、二人の影がひとつに寄り添うように伸びる。カゲミが、くすっと小さく笑った。
「……やっと、カゲミと会えた……」
漏れた僕の呟きは、風に溶けて消えてしまいそうだった。けれど、握った手だけは確かに返事をくれる。
「うん。……ただいま、セオト」
その言葉だけで胸がいっぱいになる。多くを語らなくてもいい。触れた手と、寄り添う気配だけで、ずっと探していた相手だと分かる。
柔らかな風が、二人を包む。
カゲミがそっと肩を寄せた。僕はその重みを受け止め、微笑み返す。
それだけで――
世界の音が静かに遠のき、二人の間に流れる空気は、ゆっくり、優しく、満ちていった。
風が少し冷たくなったころ、カゲミが立ち止まる。横顔はどこか迷いを抱えたまま揺れていた。
「……オレさ、闇精霊じゃなくなって、影巫女になっちまった」
言葉にした瞬間、カゲミは自嘲のように笑おうとしたが、うまくいかなかった。胸から零れたものは、ただの“告白”だった。
僕はそっとカゲミを見つめる。喉の奥がぎゅっとつまるような感覚に、息を整えてから口を開いた。
「水龍さまの力ってすごいね……僕はカゲミを必死で追いかけたんだよ。だけど……助けてあげられなかった」
言葉が落ちると同時に、カゲミは勢いよく首を横に振った。ブンブン、と必死で否定するように。
「違う、違う。……オレのほうこそ、だよ」
小さく息を飲んだカゲミは、握った手にぎゅっと力がこもる。
「気がついたら、日本の川で生きてて、しかもブルーギルだったんだ。わけわかんねぇまま流されて……ブルーギルのオレに付いてくる青鮎が珍しいなって思ってたけど……」
カゲミはそこまで言って、ふと口をつぐむ。その視線が、恥ずかしそうに揺れながら僕へ向けられた。
「セオト。オレを探してくれてたんだろ?……嬉しかった……気づかなくて、ごめん」
最後の言葉は、吐息みたいに弱かった。それでも胸の奥に直接届くような確かさがあった。
僕はそっと手を伸ばし、カゲミの手を包み込む。
「気づけなくてもいいよ。会えて……生きててくれて、それだけで十分だよ」
カゲミの瞳が揺れる。その奥に、懐かしい影のいろと、今の温かさが重なって見えた。
「……ばかセオト。そんなふうに言われたら……また好きになっちまうだろ」
照れを押し殺した小さな声。僕の胸の奥で、静かに何かが溶け落ちる。
カゲミは一歩、僕のほうへ踏み込んだ。逃げないように、確かめるように。
「もう後悔しないように生きるって決めたんだ。オレは……セオトの隣にいる。セオトが好きだ」
その言葉に、胸が熱くなる。僕は、握った手にそっと力を込めた。
「僕も――青鮎だった時からカゲミと一緒に生きぬいたよね。ものすごく感謝してる。ずっと流される生き方しかできない僕だけど……カゲミの隣にいたい。カゲミが好きだ!」
カゲミの瞳が大きく開き、そしてゆっくり細められる。嬉しさと安堵が、静かに広がっていく。
二人の影が寄り添い、夜の気配がゆっくり近づいてくる。風も声を潜め、世界が二人だけのものになっていくようだった。
その静けささえ、ふたりをあたためるようだった。
少し離れた高みに浮かぶ気配が、息をもらした。
「アオハルか……」
「”アオハル”って何ですか?水龍さま」
カルマが不思議そうに問い返す。水龍さまは、寄り添うセオトとカゲミを眺めて、細い目をますます輝かせた。
「あの二人を見て、気がつかんか?あれが、アオハルらしいぞ」
「……なるほど。あれが……」
カルマは胸の奥がじんと温かくなるのを感じながら、そっと頷いた。やがて、水龍さまは気まぐれな風のように身じろぎする。
「うむ。あれは“青春”と言うらしい。人の世の言葉だが、我は気に入っている」
水龍さまはどこか誇らしげに笑った。
「僕にも、そんな時間……来るんでしょうか?」
「カルマ。そなたはまだ始まったばかりだ」
水龍さまは低い声で、しかしどこか優しい調子で言った。
「闇を越えて光へゆく。そこに立っておるなら、未来はいくらでも開ける」
「……はい」
胸の内に、静かな光がじんわりと染みていく。水龍さまは身をひるがえし、風のように言った。
「そろそろ祭りが終わる。我は満足したから、帰るがよい」
「……はい、水龍さま。……またお会いできるでしょうか?」
問うカルマの声は、少しだけ名残惜しさを含んでいた。水龍さまは喉の奥でくつりと笑う。
「うむ。滝に来ればいいぞ、カルマ」
その一言に、カルマの表情がぱっと明るくなる。
「はいっ……!」
その瞬間、遠くで祭りの笛が鳴った。僕たちは振り返り、その光の方へ歩き出す。
揺れる灯籠の明かり――賑わいのざわめき――漂う水の匂い。
こうして、僕たちは鮎喰栄村のお祭りへと戻っていった。
……ところで、“アオハル”って、なんなんだろう?
水龍さまがやたら嬉しそうに言っていたから、きっと特別な言葉なんだと思う。
セオト兄ちゃんとカゲミさんが寄り添って歩くあの姿を見ていると、胸のあたりがふわっとして、あったかくなる。
あれがアオハル……らしい。
でも――まだよく分からない。
僕は、生まれてすぐに闇にいて、名前も知らなくて、ずっと怖くて。
人と並んで歩くなんて、考えもしなかった。
だから、アオハルってなんだ?と水龍さまに聞きたくなるけど……
きっと自分で見つけるものなんだろう。
水龍さまは言っていた。
「カルマ。そなたはまだ始まったばかりだ」と。
始まったばかり――か。
そう思うと、ほんの少しだけ、胸の中が明るくなる。
アオハル。
いつか、僕にも分かる日が来るんだろうか?
――カルマ。




