84 見つけちゃった!?幸運の勝ち虫!?
「……何か、影が揺れてるね。なんだろう?」
僕は思わず、灯籠の穴へ顔を近づけた。火袋の奥で、かすかに黒い影が脈打つように動いている。
次の瞬間だった。
ぶわぁぁぁぁぁっ——!
黒い風が起きたみたいに、無数のハグロトンボが一気に飛び出してきた。羽ばたきが頬をかすめて、思わずのけぞる。
「うわっ……!?」
「わあぁ!?」
驚きに胸が跳ねあがる。でもすぐに、知っている言葉が頭をよぎった。
——勝ち虫。
——神様のお使い。
夕光を受けてきらきらと舞う黒い翅は、恐ろしいというより、美しくて頼もしい。
「……そっか。これは、いいことが起きる前触れなんだ」
ざわめく羽音に包まれながら、僕はふっと息をついた。胸の奥に、あたたかい幸運がぽっと咲くような感覚が広がっていく。
「ねえ、きみのお名前、おしえて?」
しゃがんで目線を合わせると、影に怯えて涙ぐんでいた子が、小さく唇を震わせた。
「……カルマ」
「カルマくん。このトンボは怖くないよ」
僕は灯籠をそっと指さす。まだ黒い羽音が、ひらりひらりと余韻のように揺れている。
「ハグロトンボってね、幸運の象徴なんだ。だから、きみと僕はすっごくラッキーなんだ」
カルマは涙の跡を残したまま、かすれた声で聞き返す。
「……こわく、ないの?」
「うん、ぜんぜん。むしろツイてるよ!」
胸を張って笑ってみせる。
「“勝ち虫”って呼ばれるくらい、いい前兆なんだ。きっと僕たちを、どこかへ招いてくれてるんだと思う」
カルマの目が、ひと筋だけ光を取り戻した。
「さあ、行こう!」
僕は灯籠に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間——ふっ と足元がほどけ、世界が吸い込まれるように転じた。
「ここ……どこだろう?すごい豊かな水流だな」
目を開けた瞬間、肌に霧のような水気が触れていた。僕たちは、圧倒的な水量がものすごい速さで流れていく川岸に立っていた。ごう、ごう……と地面まで震わせる轟音に、カルマが僕の袖をぎゅっと握る。
ふと、川の向こう側に一人の影が見えた。白い光をまとい、こちらに向かって大きく手を振っている。
「瀬音!迎えに来てくれたのか!?」
高い声で叫んでくる。僕はぽかんと固まった。
(……え?僕、あんなかわいい女の子知らないけど!?ていうか“瀬音”って僕のことだよね!?)
向こうの人影は、さらに大きく腕を振って叫んだ。
「俺だよ!影巫女のカゲミ!」
「えええええーっ!?!」
声が知らない高さで裏返った。
まさか、あのツンデレでちっこい相棒が——よりにもよって、あんな姿で現れるなんて……!
川の音よりも大きく、僕の頭の中がぐるぐると騒ぎはじめた。
「ふぉふぉふぉ。腹の中が愉快なことよ。また鱗が剥がれたぞ。何かに使うか?」
背後から低く響く声。振り向いた瞬間、全身がサッと冷たくなる。
この声……そして今、言った言葉……。
ひ、ひえぇぇ!ものすごく気楽に言ってるけど、内容が怖すぎる!
僕はおそるおそる手を挙げた。
「も、もしかして……ここは、水龍さまのお腹の中……!? で、合ってます?」
すると、水龍さまはどこか誇らしげに喉を鳴らした。
「うむ。そなた、我のナゾナゾは簡単だったか……」
えええ……!?
どうやったら灯籠の中を覗いただけで、水龍さまのお腹の中に辿りつくの!?
僕は頭の中で盛大にひっくり返る。
その巨大な瞳が、川底の光を宿して僕を見すえた。
「我の流れを超えてゆけ、セオトよ」
名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がじわりと熱くなる。
でもその一方で——
(いやいや、水龍さまのお腹の中って何!?どうやって超えるの!?)
心の中では、全力でツッコミの嵐が吹き荒れていた。
そんな僕をよそに、対岸でカゲミが大きく息を吸い込んだ。そして腹の底から響く声で叫ぶ。
「セオト! 俺が日本の川でブルーギルだったのを見つけてくれた。あのとき……嬉しかった!」
「セオト兄ちゃん、すごい!」
カルマがぱぁっと顔を輝かせ、両手をぶんぶん振ってはしゃいだ。
僕は、なんとか微笑みを作る。
「あ、ありがと。カルマくん」
その間にも、カゲミは胸に手を当てるようにして続けた。
「水龍さまに守られて記憶が戻ったんだ。……俺、やっぱりお前のそばに居たい。瀬音が好きだ!」
へ……?
い、いま何て?
――影巫女になった美少女カゲミが、瀬音が好きって……?
急流よりも速く、僕の思考がぐるんと反転した。
ちょ、ちょっと待って……! 今の、空耳じゃないよね!?
夢でも見てるのかと頬をつねりたいけど、そんな余裕すらない。
顔が熱いのか寒いのか、もう訳がわからない。心臓だけがバクバク暴れている。
(いやいやいや、こ、これは……! いろんな意味で聞き捨てならないんだけど!?)
耳の奥で、水流の轟音。
すぐそばでは、水龍さまの穏やかな呼気が潮騒のように響いている。
なのに――僕だけが頭を抱えてしゃがみこみそうだった。
展開が、急すぎる。急流よりも、ずっとずっと急だよ……!
おれたちは、水龍さまと自然に守られて、この地まで飛んできた。
もちろん、幸運を、勝ちを運ぶために。
もし、おれたちを見かけたら「いいことが起こる前触れだぜ」
――勝ち虫、ハグロトンボ。




