83 ササメは見ちゃった!?ハツユリの面影!?
ふと、祠の奥を満たす影が、淡い光を帯びた。
――これは、記憶。
昔この地にいた、初代の影巫女・ハツユリの残した想念だった。
揺れる光景の中に、一人の少女が立っていた。
白装束の小柄な背に、黒い霧が絡みつく。それでも彼女は、一歩も退かない。
『おいで……こわかったね。ひとりで、ずっと苦しかったね』
ハツユリは影に向かって語りかける。影は牙をむくでもなく、迷うように震えていた。
『もう大丈夫。ここにいるよ。あなたを消したりしない。ただ、一緒に……流れに戻るだけ』
少女は、闇溜まりの黒をそっと抱きしめた。その行為はあまりにも無防備で、あまりにも優しかった。
……闇が、震えた。
『……どうして、にんげんは、こわがらない……?』
かすかな声が、影の奥から漏れる。
『こわいよ?』
ハツユリは微笑んだ。
『こわいけど、置き去りにはしない。それが“影巫女”だから』
ぽたり。
――影が涙のような黒い粒をこぼした。
『……ひとりで、さむかった……』
『うん。だから、いっしょに行こう。あなたもいつか“流れ”に戻れる。闇は悪じゃないよ』
ハツユリが両手を広げると、黒い霧は墨のしずくのようにほどけていく。
川へ帰るように静かに流れ、光の中で形を失っていった。
――光景は、そこまでだった。
残ったのは、柔らかい風のような温もりだけ。
ササメはじっと祠の奥を見つめ、影の尾を揺らす。
(……むらびとが、ササメと、よんでくれた。なまえをくれた。あのときのおれも……おなじだった……)
薄闇の中、ハツユリの面影がひとすじの光となって消えていった。
闇は恐れではなく、寄り添えば流れるもの――その真実だけを残して。
「おおーっ!ツバネとタリクが村長会議を開くって!?」
どうやら、村長会議チームと、僕の救出チームに分かれていたらしい。
鮎喰栄村へ向かう道中、みんなに状況を説明してもらいながら、僕はまだ胸の奥に残っているあたたかさを、そっと確かめていた。
村人たちに見送られながら、僕たちは次の目的地――鮎喰栄村へ向かって歩き出した。
「すまんな。わしも同行させてもらうよ」
窪底川村の村長が、深く頭を下げる。
「ええ、もちろん。村同士で話し合えるなら、それだけで大きな一歩ですよ」
ミラさんが微笑んで答える。……ほんとに、すごい人だ。
「影巫女役を選ばないという決め事は、きちんと文書にすべきです」
ミラさんがさらりと言い放つ。
「ぶ、文書……?」
「わ、わしらが、か……?」
村長と村人たちが一斉にタジタジになった。
そりゃそうだ。急に“文書化しろ”なんて言われたら普通は驚く。でもミラさんは全くひるまない。
「はい。口約束では、また誰かが“同じこと”をしでかします。繰り返さないためには、決まりを“形”にして残す必要があります」
「う……うむ……確かに……」
「言われてみれば……その通りじゃ……」
村人たちが次々とうなずき始めた。理路整然としていて、しかも優しさがあるから、誰も逆らえない。
(ミラさん……交渉スキル高すぎない?)
僕は心の中で拍手した。
「では、鮎喰栄村へ向かいましょう。村長会議はそこで行います」
「お、おう……よろしく頼む……」
歩き出した村長の背中は、どこか不思議と軽くなっているように見えた。
――影に怯えていた村が、少しずつ前へ進み始めている。
その流れを作ったのは、間違いなくミラさんだった。
そうかー。ツバネとタリクは、もう村長なんだよな。
あのケンカばかりしていた二人が、今では並んでメリフル村、ラグ・ノートリア村の先頭に立っている。なんだか不思議だし、ちょっと誇らしい。
僕は――うん、新米ノートリア。がんばる。
お祭りを楽しむ余裕はない。影巫女になったカゲミ……を飲んじゃった水龍さまに会えるのか!?その一点が、胸の奥でずっとざわざわしている。
「セオト、顔が真っ青だよ。大丈夫?」
ミラさんが横から覗き込んでくる。
「あ、はい……ちょっと、緊張してるだけで……」
自分で言って、苦笑いになる。緊張どころじゃない。胸の中では祭りの音より大きく、不安が鳴り続けていた。
なのに、どうしてだろう。お祭りになると、泣いている子供に会ってしまうのは――。
「……ひっく……うぇ……」
灯籠の下、ぽつんと膝を抱えて泣く小さな子がいた。迷子かな? いや、もっと切羽詰まった……誰かを探している顔だ。
「あ、あの……大丈夫?」
僕がそっとしゃがみ込むと、子どもは涙でぐしゃぐしゃになった目をこちらへ向けた。
「……かげ、の……こわい……」
小さな声が震えた。
影が怖い――。胸がきゅっと痛くなる。
カゲミのことを思い出したからか、それとも、僕自身の中にもまだ残っている“影”が反応したのか。
「そっか……。影って、たしかに怖いよね。でもね――」
僕はそっと自分の手を子供の影にかざした。地面に映る影がゆらりと揺れる。
「影は、ずっと君から離れない大事な“おともだち”にもなるんだ。怖いだけじゃないよ」
「……わぁ……」子どもは涙を手の甲で拭いながら、影と僕を交互に見つめた。
「……ともだち……?」
「うん。ちゃんと向き合えば、すごーく強い味方にもなるんだ」
そう言いながら、僕は思わず苦笑した。
だって、影の中からじろっと睨んでくるカゲミのあの顔――あれを“味方”って呼ばないと、きっと後で怒られる。
「だからね。今は怖くてもいいよ。でも――」
僕はそっと子どもの肩に手を添える。
「君は、ひとりじゃないから」
子どもはまだ鼻をすすっていたけれど、呼吸はさっきよりずいぶん落ち着いていた。
ああ……ほんと、不思議だ。大事な時って、なんで“泣いている子”に出会ってしまうんだろう。
――そして僕は、こういう時だけは、緊張を忘れて動けるんだ。
「よし、一緒に行こう。どこまで探せばいい?」
子どもが涙で濡れた指で、灯籠の奥を指さした。
その瞬間、影が揺れた。まるで――何かが呼んでいるみたいに。
やわらかな気温につつまれた祠の奥の 淡いかがやきが消えようとしている。
グルッ。
(ハツユリの柔らかくて温かい光……ぽかぽか、してる)
……ゥグル、ルウゥ……。
(……そうか、これが“愛おしい”ってやつか)
「グルゥ……」
――ササメ。




