81 ミスっちゃった!?影溜まりの供物!?
「足をとられないように気をつけて」
ミラさんの声の先には、足裏まで湿り気が染みこんでくる“乾かない土地”が広がっていた。
窪地らしく、踏みしめるたびに靴底へぬるりと泥がまとわりつく。
「昔と変わってなければ、もうすぐ窪底川村という村だね」
少し前を歩くミラさんの背を追いかける。彼女は鮎喰栄村まで僕たちを僕たちを案内してくれていた。
「こ、このじっとりとした空気……魔物でもいそうですわ!」
リウラが両腕を胸の前でぎゅっと縮め、おびえた声を上げる。
ゲルも、湿った草の影をじっと見つめてぴくりと肩をふるわせた。
――リウラとゲルは女の子だし、こういう時くらい僕が守らなきゃ。
そんなことを考えた、その瞬間。
「えっ――」
背後から、冷たい風のような気配が走った。何かが僕の胴を捕らえ、足が地面から離れた。
「う、うわあああああっ!?」
視界が泥色から暗がりへ、跳ねるように切り替わった。
「瀬音ーー!!」
リウラの悲鳴が遠ざかっていく。
なんでだよ……なんで、僕をねらうんだーー!?!
――ピチョン。 ピチョン。
洞の奥。黒い水滴のような音だけが反響していた。
魔物は僕を地面に放り出したあと、落ち着かない様子でぐるぐると回っていた。
「グゥ……グルゥ……!」
何度か僕を見ては、首をかしげるように鳴く。
丸い影の耳がぴくぴく動き、完全に“ミスりました”と言いたげだ。
「な、なんだよ……その“違うの連れてきちゃった”みたいな顔……」
僕がじりじりと後ずさると、魔物は尾のような影をぺしんと床に叩きつけた。
その合図のように、洞窟の奥の薄闇から人影がぬっと現れる。
「……どういうことだ。わしは、少女を連れて来いと言ったはずだぞ?」
「ま、間違えたのか……?影の形で判断したんじゃ……」
ざらついた声が洞に響く。
粗末な法衣らしき布をまとい、松明の火に照らされた男たちの顔はひどく険しい。
「し、少女……?」
背筋がぞわりと冷える。つまり、こいつらは――魔物を使って……?
「“影巫女祭”の供物に、男は使えん。なんでこんな……中途半端なのを……」
「半端って言うなぁぁぁ!!」
あまりの言われように思わず叫ぶと、男たちがギョッとした。
魔物もビクッとして、困ったように僕と村人を交互に見つめる。
「たしかに中性的で……髪も長くて顔立ちも……その……旅の娘に見えるな……」
「僕は男だよ!ちゃんと見て判断しろよ! それから”おにポチャ”は10代に向けた希望のメッセージなんだ!さすがの僕も本気で怒るよ!!」
魔物が「ごめん……」みたいに肩を落とす姿で、逆にイラッとする。
「おまえら、なんでこんなこと――?」
勇気をふりしぼって問いかけると、村人のひとりが唇をゆがめ、低く押し殺した声で言った。
「影巫女祭。闇を鎮めるために“影持つ少女”が供物として必要なのさ。……二年に一度のことだ。村を守るためだ」
「そんなの……!」
言い返そうとした、その時――。
洞窟の入口の方で、ぱち、と火花のような光が散った。
「瀬音、下がって!」
その声は、聞き慣れたミラさんだった。
「っ……!?」
村人が驚いて振り向く。
入口にはミラさんが立ち、杖の紋が青白く輝いている。その横から、怒りに震えるリウラが駆け出した。
「瀬音に何をするつもりですの!!?」
「お、おい待て!儀式のためで――」
「儀式でさらっていい理由にはなりませんわ!!」
リウラの一喝は、湿った洞窟に鋭く響いた。
胸の奥がふっと軽くなる。助けが来たんだ――。
だが、村人は必死に言い返す。
「だ、だめなんだ……もうすぐ“影溜まり”が起きる!少女を捧げなきゃ、村が――」
「だからって、無関係の人を攫っていい理由にはならない!」
ミラさんの杖から、再び光がほとばしる。
光を浴びた魔物はびくっと震え、村人たちは壁に押し返されるように後退した。
「瀬音、立てるかい?一刻も早く外へ」
「……う、うん!」
ミラさんの手をつかみ、僕はなんとか立ち上がる。
魔物は混乱したまま、小さく「グル……」と鳴いた。その声は敵意より、不安と戸惑いが濃かった。
洞窟の外に出ると、ようやく湿った空気から解放された。
だが村人たちは逃げずに追ってきて、泥に膝をつき頭を下げた。
「頼む……聞いてくれ……!」
「村を守るためには、影巫女が必要なんだ……!」
影巫女――“影を持つ少女”の影を捧げる儀式。
リウラが強く眉をひそめる。
「供物なんて、許されるはずありませんわ!」
村人のひとり、白髪まじりの男が必死に首を振った。
「違う!捧げるんじゃない……“影を持つ者”しか、影溜まりを止められないんだ……!」
「影溜まりって……?」
僕がたずねると、男は湿った地面をにらみつけながら話し始めた。
「あの土地は……長い間、闇の流れが澱んでいる。水が腐るように、影が溜まって爆ぜる“影溜まり”が起きるんだ。もし爆ぜれば、村は飲み込まれる……」
別の村人が唇をかみながらつぶやく。
「影巫女祭は……“供物”じゃない。影に強い子が、影の流れを一時的に吸って安定させる儀式なんだ……。本来は、影を“祓う”んじゃなくて“受け取ってくれる者”が必要なんだよ」
――影を受け取る器。
供物というより、封印の器か。
ミラさんが細く息を吐いた。
「でも、なぜ少女限定なの?」
村人たちは互いに視線をかわし、最年長の女がようやく口を開いた。
「もともとは巫女の血筋が担っていたんだよ。代々、その娘だけが影を受け止められた」
「その血が……絶えてしまったんですね……?」
「……ああ。十年前に最後の巫女が亡くなったんだ」
「だから、それ以来ずっと……影溜まりは、魔物に無理やり吸わせて抑えていた。だが、もう限界なんだ……」
さっきの魔物――怯えていた理由がようやくわかってきた。影を吸わされ、限界までこき使われていたんだ。
「じゃあ、僕をさらわせたのも……」
村人は深くうなだれた。
「巫女に似ていたからだろう……。影の色と、影の形が……昔の巫女そっくりだった」
「僕……そんなに女の子っぽいのかな……」
ちょっと傷ついたけど、今はそれどころじゃなかった。
グルゥ、グルル……ルゥゥ……。
(おれは、まちがえたのだ。細い影。ふわっと広がった髪のシルエット)
グッ、グルルゥ……グルゥ。
(線がやわらかくて、光をよく吸う影色。――少女だ、そう思った)
「僕は男だよ!!」
(おれ……まちがえた……?)
――祠の魔物。




