77 水が合っちゃった!?ルーくんの居場所
「ここ、知ってる気がする……。不思議な場所だけど、いいところだな」
ルシアが転スイ門の前で足を止め、そっと手を伸ばした。門の表面は水面のように揺らぎ、光を抱きながら微かに呼吸しているように見える。
「日本でお祖母さんの“しずく堂”を継いでたんだから、転スイ門は通ってるはずですよ」
僕はそう言いながら、門の縁を指でなぞった。祖師の記憶を失ってしまったとしても、身体の奥に残る“感覚”までは、消えないんだろう。
ラグ・ノートリアの祈りと、流れる水の響きが、今もこの門の中に息づいている気がした。
父さん、母さん、ミラさんは、そんなルシアの背中を静かに見つめていた。
それぞれが、この門に自分の“帰る場所”を感じ取っているようだった。
「……変わってないね」
セリアンがそっと目を閉じ、微笑んだ。
「水の音が、私をちゃんと覚えててくれた!」
その声は、水面に溶けこむように柔らかく響いた。門の奥からは、まるで応えるように静かな波紋が広がる。
僕もぐるっと見回してみた。
光と水が交差するこの場所――記憶の層が幾重にも重なり合っているのがわかる。シヴァ・テンスイさまと水龍さまのおかげで、僕たちはここに立てている。だけど、この門を通るときの負荷……想像しただけで、身体が少し震えた。
そのとき、背後から明るい声が飛び込んできた。
「さあ諸君!わっちと遊ぶか? それともキュリシアへさっさと行くか?」
元気ハツラツのシヴァ・テンスイが、ひときわ派手な水しぶきを上げながら登場した。両手にひしゃくを構え、なぜかどや顔だ。その姿はまるで、神様というより――近所の愉快なカッパおじさん。不思議と畏れを感じさせない。
「うわっ、テンスイさまの水芸ですかーっ!?ちょ、服がびしょびしょですよ!」
僕が慌てて袖を絞ると、テンスイさまは胸を張って高らかに笑った。
「はっはっは、これぞ“清めのシャワー”というやつじゃ!水に濡れずして転スイは語れぬぞ!」
「いやいや、語る前に風邪ひきますって!」
そんなやり取りに、みんながくすくすと笑い出す。光る雫が宙を舞い、転スイ門の空気が少しずつ柔らかくなっていった。緊張と名残惜しさが入り混じっていた空気が、まるで笑い声に溶かされるように――。
そんな中、ルシアだけは小さく目を細めていた。
その視線の先――転スイ門の上部に、うっすらと光が集まり、ルーくんの影が浮かんでいる。
淡い金色の輪郭が、水面の上でゆっくりと回転していた。
「……すごろくより、ここの水が合ってるよ、ルーくん」
ルシアの言葉に呼応するように、門の水面が一瞬“くるり”と回った。ぱらりと光の粒が散り、やわらかい波紋が足元に広がる。
――まるで、ルーくんが照れくさそうにウインクしたみたいだった。
「俺が『キュリシアの世界』を遊んでいたのは……なんでなんだろうな」
ルミアは転スイ門の前で立ち止まり、静かに水面を見つめていた。
そこには、無数の世界の欠片が反射している。街の灯り、笑い声、ツナマヨの湯気、スイタンの流域の歌――すべてが、彼の指先からこぼれた記憶のように揺らめいていた。
「創造主にでもなったつもりだったのかな……」
ルミアは微笑んだけど、その声はどこか遠く、風に溶けていくように小さかった。
「ルミア……」
僕は、そっとその名を呼んだ。
彼は、うつむいたまま両手を見つめる。
「“世界を守る”って言葉、便利なんだ。どんなことでも正当化できる。俺は、それに酔ってたんだと思う」
転スイ門の水面が一瞬だけざわめく。光が滲み、彼の輪郭をやさしく照らした。その表情は――後悔じゃなく、どこか穏やかだった。
「でも……あのすごろくを見て、ちょっとだけ笑っちゃったよ」
「笑った?」
「ああ。俺が何百年考えてもできなかったであろう“世界の遊び方”を、君たちはやってのけたからな」
ルミアが顔を上げた。その瞳には、水面の光が反射している。
「楽しかっただろ?“記録”を背負いながらも、遊びながら前に進むなんてさ」
僕は、息を呑んだ。彼の声には、確かに“悔しさ”よりも“敬意”があった。
「……うん。僕たちも、きっとルミアの世界の続きを見てたんだと思う」
「はは……そうかもしれないな」
そう言って、ルミアはゆっくりと転スイ門の方へ歩き出した。水面が波紋を描き、光の粒が舞い上がる。
「もう一度、遊びたくなったら……その時は、ちゃんとプレイヤーとして参加するよ」
振り返った彼は、かすかに笑っていた。
その笑顔は、どこか子どものようで――そして、誰よりも自由だった。
「わっちは、キュリシアには関与せんぞ!ただ見守っておるのじゃ」
シヴァ・テンスイさまの言葉は、静かな水面のように深く、そして揺るがなかった。
その瞬間、ホンホンがぴょんと跳ねて羽音を立てる。
「萬介くんにテレパシーで伝えたホン。”心がぬくぬくするって、テンスイさまに伝えて!”って言ってるホンホン」
テンスイさまは目を丸くしてから、豪快に笑った。
「ハッハッハ!誰かに操られる世界なんかつまらんのじゃ!ぬくぬくするのか!気に入ったのじゃ!」
ひしゃくを掲げると、またひとすじの水が天へと舞い上がる。その水しぶきは、光を受けて虹色に輝いた。
――操られぬ世界。見守るだけの神。でも、その笑いには確かな“あたたかさ”があった。
ルーレットの数字で世界が変わっていくのは、正直、僕には性に合わない。
大それたことをしたいわけじゃないんだ。
ただ回ることが楽しくて、光や水の流れを感じるだけで、幸せなんだ。
ここ、シヴァ・テンスイさまがいてくれる転スイ門なら、誰に気をつかうこともなく、思いっきりくるくる回れる。
笑い声や水しぶきに混ざって、僕は僕らしくいられるんだ。
すごろくのときの僕も大切だったけど、やっぱり――ここが、僕の居場所なんだと思う。
キュピっ!
――ルーくん




