73 再開しちゃった!ルミアとのすごろく遊び
灰の中から立ち上がったルミアは、しばらく黙っていた。
風の音も、世界のざわめきもない。ただ、手の中のすごろく盤だけが、かすかに呼吸をしているように光っていた。
「……おかしいな」
ぽつりとつぶやく。
「俺は、何かを“創った”はずなんだ。世界の形を決めるような、大きなものを。でも、もう思い出せない。どうして作ったのかも、誰と作ったのかも」
ルミアは反筆を振るい、フレクシアを追放した。その代償として、彼自身は創造の記録を失った。ゲル、リウラ、フレクシア――彼にとって大切だった名は、灰の彼方に溶けていった。
盤の上で、駒がひとりでに転がる。ルミアはそれを見つめ、ゆっくりと笑った。
「俺が――俺たちが、新たな流れを創るんだ!」
タクミが首をかしげる。
「みんなで遊ぶってこと?」
「ああ。遊びは記録よりも正直だ。勝ち負け、偶然、笑い、悔しさ。どんな歴史よりも、“いま”を描いてくれる。記録を失っても、遊びの中でなら、世界はまだ“続いている”と感じられるんだ」
ルミアは盤の中央に指を置き、ひとつ息を吸った。
「――俺が忘れたものを思い出すために。もう一度、最初のすごろくを始めよう」
盤の上で光がうねり、駒が踊るように並び直す。遠くの水面に、誰かの笑い声が反射する――フレクシアの声か、記録の残響かは誰にもわからなかった。
ルミアは掌の上で、ひとつの駒を転がした。それはまだ色を持たない、灰と光のあいだのような駒。表面にはかすかに記録文字の痕が刻まれている――けれど、もう読めない。
彼は僕を不敵に睨み、笑った。
「魂を込めろ!タクミ君――これが最初の一手だ」
そして盤の中央にその駒を置いた。
――コトン。
久しぶりの“音”が世界に戻った。
波紋のように盤の線が広がり、マスのひとつひとつに淡い光が宿り、やがて街の輪郭を形づくる。空が色を取り戻し、風が再び流れはじめた。
「動いた……!」
僕も、みんなも息をのむ。
「これは、“記録の再生”じゃない」
ルミアが静かに首を振る。
「遊びの“はじまり”だ。記録が消えたなら、遊びで描き直すしかない。それが俺たちの――生きる意味だ」
ルミアは目を閉じ、微笑んだ。
「だから。次は――君の番だ、タクミ君」
それからのルーレットは、プラスの数字を出し続けた。
ミラさんは、さすがセリアンの師匠だけあって、教え方もうまく生き抜く術も心得ている。焦ることなく、一歩ずつ確かめるように進む。
すごろく盤の上で、彼女の指が示すマスには、いつも小さな光が宿る。それは、まるで次の道を“照らす灯”のようだった。
「タクミ君、記録を燃やすときは、灰を風に流して。“燃やすこと”もまた記録になる」
「リウラちゃん、言葉を隠したいときは、水に沈めて。沈んだ言葉は、誰かが拾うまで眠る」
「ツバネ君、風を読むの。追い風のときは話す、向かい風のときは黙る。それが、生き残る一番のコツ」
どの言葉も、冗談のようでいて、深い。彼女の歩んできた旅路が、ひとつひとつの助言に染みこんでいる。
彼女のリードに従い、僕たちのすごろくは進行していく。危険なマスを避けながら、時には戻り、時には遠回りをして――
けれど、不思議と不安はなかった。ミラさんが笑うたび、盤の上の風景に、少しだけ色が戻っていくような気がした。そして僕たちは、その光を頼りに、盤の先へ進んでいった。
――彼女の言葉には、いつも少しだけ“痛み”が混じっているのに気がついた。
「ミラさんは……昔、何か失くしたことがあるの?」
彼女は笑って、盤の上に指をすべらせた。
「失くした?ううん、“残しすぎた”のよ。――記録をね。あの頃の私は、何もかも正しく残せば世界が救われると思ってた」
すごろくのマスがひとつ進む。足もとで、光が一瞬、陰る。
「でも、残しすぎた記録は、やがて人の心を縛る。“この道を歩け”って、他の選択を奪っちゃうの。セリアンにも教えなくちゃね」
セリアンの名前を口にしたとき、ミラさんの目がやわらかく揺れた。
「アイツは、私よりずっと優しい。きっと記録を燃やすとき、ちゃんと祈る。“ありがとう”って言って、灰を見送る歌を歌うんだ」
盤の上を、風がひとすじ流れた。マス目の模様がかすかにきらめき、次の道筋を示す。
「そういえば、セリアンを起こさないとね」
ミラさんはそっと目を閉じた。
静かな呼吸とともに、声が流れ出す。それは言葉というより、光の粒のような歌だった。盤の上の空気が震え、駒がひとつ、かすかに揺れる。
――ああ、これが。ルミアが言っていた“魂を込めろ!”ってことなんだ。
記録でも、命令でもない。ただ「想う」こと。心の奥で、もう一度、誰かを迎えること。
その光の渦の中で、ひとつの影が静かに動いた。灰色の世界に、かすかな色が差す。――セリアンだ。
ゆっくり目が開く。まだ眠りの残る瞳に、盤の光と、ミラの歌が映る。
「……ここは……?」
声はかすかに震えていたが意識はしっかりしていた。
ルミアがセリアンの駒を置く。
「セリアン、まだ遊べるかい?」
セリアンはゆっくりと立ち上がり頷く。盤の上に光の輪が広がり、影が色を取り戻していく。かつて灰に沈んでいた輪郭が、確かな形として現れる。
息を整え、掌に触れる駒を手に取る。まだ淡く灰色がかった光を帯びていた。
「――よし」
セリアンが駒を置き終えると、光の波紋は盤全体に広がり、微かな風が吹いた。
その瞬間、風と光、音と影が交錯し、すごろくの世界は一層鮮やかに動き出す。
「よし……これで、遊びの再開だ」
ルミアの声に、ほんの少しの誇らしさが混ざる。僕たちは意識が戻ったセリアンをみてホッとした。
ミラさんは微笑み、盤の光を指先で撫でる。
「さあ、これからは――自分たちの手で、道を描くよ!」
すごろくは、もう一度、光と影の中で動き出した。
遊びの始まり。忘却のあとに、生まれた新しい世界の第一歩だった。
俺が目を開けたとき、最初に感じたのは盤の上を満たす柔らかな光と、かすかな歌声だった。
――ミラ師匠の歌だ。
灰色に沈んでいた世界に、色と音が少しずつ戻っていく。俺はその中で、ふたたび立ち上がった。
でも正直に言えば、また意識をなくしてしまった自分に、情けなさと恥ずかしさでいっぱいだ。
二度目だ。前もああして眠ってしまったのに、今度もまた――みんなの前で弱い自分を見せてしまった。
でも、盤の光が、師匠の歌が、俺を呼び戻してくれた。
ルミアが駒を置き、俺に手渡してくれた瞬間、気づいた。
これはただの記録の再生じゃない。遊びを通して、俺たちはもう一度世界を描き直せるんだと。
師匠の歌が、俺の胸の奥に染みてくる。
弱くても、情けなくても、仲間と一緒なら――立ち上がれる。
このすごろくの上で、もう一度、俺は前に進む。
少しだけ、笑いながら。
少しだけ、恥ずかしがりながら。
でも確かに、心は光に満ちていた。
――寝起きは良い派、セリアン。




