65 ゴックンしちゃった!?ブルーギルのカゲミ!?
ゴロゴロゴロゴロ――ドカーーン!!
すぐそばに雷が落ちた。
「ひえぇぇぇーーー!」
僕と雫さんは同時に悲鳴を上げる。轟音とともに、茶色い濁流が割れ――
そこから、蒼い鱗が一閃。
水煙を巻き上げながら、キュリシアの水龍さまが姿を現した。
「す、水龍さま……!?」
声が裏返る。雫さんは驚きながらも、ほんの少しだけ笑っていた。
「驚いたね……異世界の水龍さまなのかい?」
あのときと同じ――いや、それ以上の威厳。まるで、川そのものが命を持って形になったようだった。
「セオト……ここでは“タクミ”だったか。鮎ではなかったカゲミを、よく見つけたな」
雷鳴を背にした声は、水底から響くように静かで深い。僕の心臓はどくん、と跳ねた。
「水龍さま……どうして日本に!?」
問いかけると、水龍の瞳がまっすぐ僕を射抜いた。
「“どうして”か……それを問う前に、己に問え。なぜカゲミが、囮鮎ではなくブルーギルに転スイしたのかを」
「……試したんですか。僕を」
水龍は微かに頷いた。雨の粒が彼の鱗に触れるたび、音もなく蒸気になって消えていく。
「セオト。お前は流れを記す者。だが、記録とは“きれいな水”だけを選ぶことではない。濁りも、汚れも、腐敗さえも――それが“流れの一部”と知ること。それを見つめる目を持てるか、確かめたかったのだ」
「だから、カゲミを……?」
「そうだ。囮として生き、鮎として輝いた魂を、あえて人に忌まれる魚へと流した。それでもお前は、“カゲミ”を見つけられるのか――。それが、この流域での試練だったのだ」
僕は拳を握りしめた。濁流の音が遠ざかり、世界が一瞬、静止したように感じた。
「……僕は見つけます。姿が変わっても、あの声を、笑い方を、僕は忘れない。カゲミはカゲミです」
水龍の口元が、わずかに緩む。その微笑みは、深い湖の底で灯る光のように優しかった。
「あいわかった。カゲミの記憶は眠りについておる。わしがキュリシアまで預かろう」
そう言うと――ゴックン! 水龍さまは、ブルーギルをすっぽり丸飲みしてしまった。
「えっ!?」
僕と雫さんは、同時に声を上げて呆気にとられる。
「ふぉふぉふぉ、飲み込みはしたが、喰っとらんからな!」
水龍さまの声が、濁流のせせらぎに混じり、少しだけ面白おかしく響いた。
岸辺で濁流を見つめながら、僕は手に自然と力を込める。
水龍さまの姿は大きく揺れているが、その体内にカゲミがいると思うと、不思議と怖くはなかった。
「大丈夫だと思うけど……あの水龍さま、けっこうお茶目だね」
「お茶目というか無茶というか……でも、ちゃんと守ってくれるはず」
僕は静かに頷いて周りを見渡す。
濁流の音、雷の残り音、風に揺れる木々――そのすべてが、カゲミが安全な場所にいる証のように思えた。
「水龍さまの中なら、きっと眠って整理されてるんだよね……記憶も少しずつ戻るかも」
僕は小さくつぶやく。
やがて雨は小降りになり、水龍さまの姿が霧のように消えていく。
「なるほどね。これが、“記録者の洗礼”ってやつか……」
雫さんが小さく呟いた。
「タクミくん、焦らなくていいよ。カゲミちゃんは必ず戻ってくる」
「はい」
雫さんは僕の肩に手を置いた。
川の水面が光を反射して、揺れる波紋がまるで小さな手招きのように見える。
僕はそっと目を閉じ、呼吸を整えた。
――外の世界でできることは、ただ見守ること。でもその見守る力だって、きっとカゲミに届くはずだ。
「……カゲミ、もう少しだけ待っててね」
声に出すと、心が少し軽くなった。雫さんも笑顔で頷く。
「僕はキュリシアに戻ります」
僕は川辺で深呼吸しながら、心の中でカゲミにそっと呼びかけた。
「雫さんは……どうします?」
「俺は日本人だし、異世界には行けないよ。ここで駄菓子屋を続けるんだ」
雫さんは笑顔を浮かべ、手元の駄菓子の袋をぽん、と撫でた。
「そうですよね、雫さん、ありがとうございました……!」
「僕は、雫さんから教わったこと、絶対に忘れません。鍛錬も続けます。雫さんは、僕の師匠です!」
雫さんは少し照れたように笑いながら、うなずいた。
「ははは、そう言ってくれると嬉しいね。タクミくんの冒険の続きを、楽しみにしてるよ」
川辺の風が少し冷たくなってきた。僕は流れを見つめながら、ふとつぶやいた。
「……日本で、やり残したこと、あるかな?」
雫さんはポケットに手を突っ込んだまま、空を見上げて笑う。
「そりゃ、誰にでもちょっとはあるさ。でも――それが次に進む力になるんだよ」
僕はその言葉に、ゆっくりとうなずいた。
川面に映る光が揺れて、まるで“また会える”って言っているみたいだった。
流れの中に、夏の光が反射してきらめく。カゲミは今も、水龍さまの中で静かに守られている。
「雨止んだか。……なんか怒涛の展開だったね」
雫さんはのほほんとした声でつぶやく。
そして僕たちは、それぞれの場所で、また日常を歩き出すのだった。
――しずく堂の店主より
まさか駄菓子屋の裏手の川で、水龍さまを見る日が来るとは思わなかったよ。
いや、ほんとに。雷鳴のあとに龍が出てくるなんて、昔話かアニメの世界だと思ってた。
でも、目の前で起きたことは、ちゃんと現実だったんだ。
濁流の中に蒼い鱗が光って、タクミくんがまっすぐに名を呼んで。
――あの瞬間、世界の“境目”ってやつを見た気がしたよ。
カゲミちゃんは、水龍さまに守られてキュリシアへ帰った。
きっと、あっちの世界でまた新しい形で生まれ直すんだろうね。
人でも、魚でも、魂がつながっているなら、きっと再会はある。
タクミくんはまっすぐで、不器用で、ちょっと危なっかしいけど、
流れの中に“光”を見つけられる目を持ってる。
だから、きっと大丈夫。
しずく堂の店先からでも、応援してるからね。
……それにしても、雷雨の中で龍を見るってのは、
うちの駄菓子屋の開店以来、一番びっくりした出来事かもしれない。
次はもう少し穏やかな再会を願いたいところだよ。
さて、今日もお店を開けよう。
子どもたちが来る前に、棚のラムネを並べ直さないとね。
――流れの向こうに、また会える日まで。
しずく堂 店主・雫




