64 雷落ちちゃった!?カゲミとの再会!?
不安定な空模様で、風が少し強くなってきた。川面がさざめき、葦の先が風に揺れて小さく鳴る。
「みんなでカラオケか。いいね。俺は聞く専だけど」
雫さんは、ポケットに手を突っ込みながら笑った。
僕はその横で頷く。雑談を交わしながら、僕たちはゆっくりと川辺へ降りていく。水の匂いと、雨上がりの土の香りが混じっていた。
しばらく流れを見つめていた雫さんが、ぽつりと口を開いた。
「タクミくんも知ってると思うけど――淀みって、天敵から隠れたり、息を整えたりできる場所なんだよ」
その声は、風に溶けるように静かで。まるで、自分にも言い聞かせているみたいだった。
「だから、居心地がいいんだ。流れに疲れた子たちには、特にね」
その声に、胸がじんとした。
「もし、記憶もなくて心細かったとしたら……」
雫さんは小さく笑って、僕を見た。
「きっと俺だって、淀みにいると思う」
「光があれば闇ができる。淀みは、探せばきっと見つかるよ」
雫さんの声は、水面を渡る風のように柔らかかった。
それは希望でもあり、哀しみでもある——カゲミへの祈りのような言葉だった。
僕は岸辺に立って、「リヴァー・プリスティン」――清流を記録していく。水の粒が語りかけてくるようで、耳を澄ませた。
「うーん、もっと隠れていたくなるような場所、あるんじゃない?」
雫さんに連れられて、川の脇にある側溝へ足を向ける。
「たとえば、人工物のブロックとかで――影を強制的に作ったところとか。こんな、水路の合流地点の影とかさ」
土管のような水道管を指さすと、その奥で、かすかに水が笑ったような気がした。
「なるほど!雫さんって、小魚の気持ちがわかるんですか!?」
「わかるわけないよ」
雫さんは苦笑した。
「でも、川って人の手が加わるほど“影”が増えるんだ。生態系が乱れてても、そういう場所に誰かが隠れてるかもしれない」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに――
バラバラ、バラバラ、バラララ。
急なゲリラ雷雨が、河川を襲った。空が裂けるような稲光――水面がたちまち泡立つ。
「避難しよう、タクミくん!」
「はい……でも、カゲミが――」
言いかけた僕の声を、突風がさらっていった。
「君が危険な目に遭うのは、カゲミちゃんがいちばん許さないだろ?」
雫さんの言葉に、胸の奥で何かが静かに弾けた。
――そうだ。今は、流れに逆らうときじゃない。
僕たちは古い倉庫のひさしに駆け込み、しばらく雨宿りをした。
そして――
ドォォンッ!!
稲光が目の前を裂き、空気が一瞬、白く焼けた。続いて、地面がビリビリと震えた。
「ひゃあああーーっ!!ヤバイ!だ、だいじなとこ隠さなきゃー!!」
……え?
この声、どこかで……聞いたことがある!?胸の奥がドクンと跳ねた。
「カ、カゲミ!?カゲミなのか!?」
「は!?カゲミって誰だ!?っていうか、なんで人間と会話できるんだ!!」
雨音の中、聞こえてきた声は――本気で混乱しているらしい。
「俺は今、激流に流されないように必死で泳いでるんだよ!!」
ずぶ濡れの影が、川の合流地点から必死に顔を出す。その姿は……確かにカゲミの“気配”があるけど――どこか違う!?
「あれ……この魚って――あの淀みにいたブルーギル?」
僕が目を凝らすと、雨粒の向こうで魚影がぴくりと動いた。
「え? お前――人間じゃなくて、あの時の青鮎なのか!?」
目と目が合う。稲光がふたりの間を白く照らし出した。
――時が止まったような、一瞬。激流の音も、雨のざわめきも、遠くに消えていく。
「あそこの淀みの主だったブラックバスがいなくなっちまってさ、淀みも一緒に消えたんだ。こっちはもう――毎日、生きてるだけで丸もうけなんだよ!」
ブルーギルはヒレをばしゃばしゃさせながら、まるで愚痴をこぼすみたいに続けた。
「わかるか!?釣りあげられても、鮎だったら『おお、天然モノだ!』ってありがたがられるんだぜ!?
でも俺なんか、『ちぇっ、ブルーギルかよ』だぞ!?」
思わず笑いそうになるけど、その声の奥には確かな寂しさがあった。
「ねえ……きみ、カゲミだろ?」
川面に映るブルーギルの目をじっと見つめながら、僕は声を震わせる。
「覚えてないの? 囮鮎や、青鮎だった前世のこと――」
言葉を投げかけると、水の流れに揺れる影が小さく反応した。
そうか、やっぱりカゲミはあの淀みにいたんだ。
――これで、ようやく“つながり”が動き出す気配がする。
沢海の記録より
日本の片隅に――まるで異界と現界のはざまに立つような、小さな店がある。
その名は「しずく堂」。飴や駄菓子の甘い香りが漂いながら、奥には、深い水脈の気配が息づいている。
店主・雫という男は、人間でありながら、どこか“水”に似ていた。
流れるように穏やかで、形を持たず、誰の言葉も拒まない。
けれど、その瞳の奥には――どこまでも澄んだ、そして底知れぬ淀みがあった。
タクミが心を寄せ、問いを重ねるのも無理はない。
雫という名の通り、彼の言葉はひとつひとつが水滴のようで、聞く者の心に静かに波紋を広げる。
彼が見つめる川は、ただの現世の流れではない。
記録師の流れにも、魂の流れにも、優しく耳を澄ませるように――その手のひらで“見えない水”を掬っているのだろう。
いつか彼も気づくだろう。
人と異界を結ぶ“しずく”の意味を。
そして、彼が流れの一部として、タクミを導いていたことを。
――水は、出会いのかたちをして、今日も流れている。
記録者・沢海より。




