62 大声出しちゃった!?母さんの発案!
「おかえり!タクちゃん!……どうしたの?何かあった?」
出迎えてくれた母さんを心配させるくらい、僕の顔はこわばっていたらしい。
「うん……カゲミがいると思ってた川の淀みが、消えちゃったんだ……」
「あら、それは大変じゃない!――守ー!ちょっと来てー!……って、わあ!ミラちゃん、いらっしゃい!」
母さんはミラさんとあいさつを交わすと、ぱっと顔を輝かせた。
「よ~し!みんなで大声だしちゃお!」
元気ハツラツな母さんに連れられ――僕たちは、なぜかカラオケボックスに来ていた。
「な、なんですかこの密室は!?防音結界でも張られているのですか!?」
セリアンが壁を叩いては耳を澄ませる。
「ほう……“歌の修行場”というわけか。声を響かせ、己の心を記録する場……」
ミラ師匠は真剣な顔でマイクを構えた。まるで魔導杖のように。
「この黒い棒、魔力を吸い取るホン!?あ、あっ、声が出るホン~!?」
キュィーーーーン!
大音量の不快音に、僕たちは慌てて耳を塞ぐ。ホンホンがマイク音量を上げすぎて、見事なハウリングが起きていた。ホンホンはびっくりして、ぷるぷる震えている。
「大丈夫、これは魔道具じゃなくて、歌うための道具だよ」
「これで曲を選ぶの。好きな番号を入れてね」
僕と母は笑いながらリモコンとタブレットを手に取り、順番に説明していく。
父さんはメニュー表を見て、「食べ物の方が気になるな……」とつぶやいた。
スイタンはドリンクバーの前で、セリアンが入れた泡のジュースを不思議そうに観察している。
最初にマイクを握ったのは、ミラさんだった。
「歌う……とは、“声で心を描く”ことだな?」
真顔でそう言うと、リモコンをじっと見つめ、母に助けを求めるような視線を送る。
「えっとね、こうして番号を入れて……あ、これとかどう?」
母が選んだのは、しっとりしたバラード。ミラ師匠はうなずき、目を閉じて――
……始まったのは、まるで儀式のような熱唱だった。
「風よ、記録せよ――われらが心を――」
歌詞をすっかり“詠唱”に変換してしまい、画面の字幕と師匠の言葉がまったく噛み合っていない。
「ミラちゃん……原曲、消えちゃったわね……」
「ミラらしいな!」
母さんが肩をすくめ、父さんは良いところを見つけて褒める。
「こういうのは、舞台感覚で良いですね!午後に駅前で聞いた曲にします。……では――」
セリアンが選んだのは、激しいロック曲。持ち前の演技力でサビを完璧に歌い上げた。駅前に行けばロッカーに会えるらしい。
父さんは少し照れながら懐メロを、母さんは手拍子を取りながらデュエットを。
そして、スイタン。
「えっ……私も?……“ホンホンの絵描き歌”なら歌える」
イントロが流れると、大喜びのホンホンは光るペン型になってに机の上で踊り出した。
「まーる描いてホン! まーる描いてホン!」
いつの間にか全員で合唱になっていて、店員さんがドアを開けて驚く。
「な、なんだこの空間……」
――こうして、異世界組と家族の“初カラオケ”は、笑い声と歌声でいっぱいになった。
たぶん、この夜の記録は、誰のノートにも正しく書けない。でもそれでいい。記録に残らなくても、確かにそこにあった――そんな時間だから。
「絵描き歌」で盛り上がったあと、ふと部屋の空気が落ち着いた。
僕はマイクを持ち直し、セリアンに小さくうなずく。
「……次、いいかな?セリアン」
「ああ、もちろん。タクミとなら、どんな歌でも」
選んだのは、あの曲――《リヴァー・プリスティン》。
キュリシアと日本、どこにいても、僕が何度も口ずさんできた、澄んだ流れの記憶を歌う詩。
音楽はかけなかった。マイクもいらない。セリアンが目を閉じ、静かに息を合わせる。
僕が最初の一節を口にすると、彼の声が寄り添うように重なった。アカペラの響きが、密室の空気をゆらす。カラオケボックスなのに――どこか、水の祈りの間みたいだった。
“流れはつながり、記録はめぐる”
“あなたの声を、私の心に書き留める”
その瞬間、セリアンの頬を一筋の涙が伝った。そっと膝の上の竪琴を手に取り、指先で弦を弾く。柔らかな調べが声に寄り添い、まるで水面を撫でる風のようだった。
その音に呼ばれるように――ミラさんがゆっくり立ち上がる。
「……これは、“記録”の歌。ならば、私も混ざらねばな」
即興で、師匠の低い声が二人のハーモニーに重なった。古い詠唱のようでいて、どこか母音が優しく溶けていく。みんな声も出せず、ただ聞き入っていた。
歌が終わると、部屋はしばらく静まり返った。エアコンの小さな動作音だけが響いていた。
セリアンは目を伏せたまま、微笑んで言った。
「沢海……音が、ちゃんと生きてるね!サイコーだよ!」
ミラさんも深くうなずく。
「いいね。今すぐ吟遊詩人になれるよ。これが、“記録を越えた記録”というやつだ」
感極まったセリアンの目からどんどん涙があふれていく。
「ミラ師匠!まさかあなたと一緒に歌えるなんて……!」
そしてホンホンが、やっと声を取り戻した。
「ホ……ホン……すごいホン……!これは、冒険ノートじゃページが足りないホン……」
僕はそっと、歌詞の断片をノートに書きとめた。
――たしかに、この夜の“流れ”が、そこに生きていた。
あの「キュィーーーーン!」って音……いまだに耳の奥で鳴ってる気がする。
ホンホンがマイクの音量を上げすぎた瞬間、世界が一瞬ゆがんだように感じた。
あれが“ハウリング”という現象らしい。
音が音を呼んで、ぐるぐる回る――まるで、水流が自分自身を巻き込むみたいだった。
でも、あの時のみんなの顔、忘れられない。
セリアンが耳を押さえて半泣き、ミラ師匠は「これが音の暴走か!」と叫び、
エイミさんは笑いながら音量を下げて……。
……そうか!あの瞬間こそ、“記録”の始まりだったのかもしれない。
驚いて、笑って、みんなの声がひとつになったから。
次に歌う時は、ちゃんと音量を見張る役をやろうと思う。
音は、暴れさせるより、響かせるほうがきっときれいだから。
――スイタン。




