61 消えちゃった!オルグの執着と記録!?
残ったのは、水紋と紙片の欠片。あの魔物はどこへ――そして、空気の奥に、消えかけた筆跡。
『……次は、“流れの子”を記す』
泡が弾け、フレクシアが消え去る。沈黙が戻った。タリクの掌の中で、頁の欠片がわずかに光っている。
光が弾けたあと、音が消えた。風も、水音も、タリクの叫びも、全部――遠のいていく。
ツバネは静かに目を開けた。
そこにあったのは、崩れた協会跡ではなく、紙のように平らな世界。地平線までもが薄墨の線で描かれ、空は筆跡の滲みのように揺れている。
「……ここは……?」
――“記録の裏側”。
ツバネの眼には、見えてはならない“文字”が流れていた。ひとつひとつの風、石、影――その輪郭はすべて、言葉でできている。
「……これが……記録の“骨格”……。記録そのものに、取り込まれてる……」
息をのむと、その言葉すら空に滲んで刻まれた。
“ツバネが息をのむ”
――記録の裏側では、思考さえも記述の一部になる。
ふと、目の前に“影”が現れた。形をもたず、声だけがそこにある。
「頁を破いたのは、君か」
「……誰だ!オルグか?」
ツバネは反射的に身構える。
「違う。オルグは“書かれた側”だ。私は“書く側”の影――反筆」
影が揺れるたび、空の文字が擦り切れていく。筆の裏側――つまり、物語を消すための筆。
「反筆……おまえが、オルグを……?」
「彼は近づきすぎた。“記録”の構造を理解した瞬間、記録から外された。だが、彼は消えることを拒んだ。――そして、魚になった」
ツバネの脳裏に、あのねちっこい目がよぎる。権力への執念。記録を上書きしようとした、ひとりの記録師。
「オルグは……おまえを止めようとしたのか?」
「違う。知らせようとした。君たち“記録師”が、すでに自分の物語を失っていることを」
「……物語を、失っている?」
「そう。“流れを記す者”たちが、“流れを書き換える者”になってしまった。君たちは、記録を残すために戦っているが――本来、“記録”は残すものではなく、流すものだ」
反筆の声が静かに重なる。世界の文字がざわめき、紙の空が風のようにめくれた。
「……おまえはいったい、何を望んでる?」
「記録の静寂。書かれぬ頁。語られぬ物語。――それが、“原初の記録”だ」
その言葉を聞いた瞬間、ツバネの心臓が強く脈を打つ。“消すための筆”――反筆。
もしそれが完全に動き出せば、世界そのものが白紙に戻る。
「戻りたければ、書け。君の名を、最初の頁に」
影がそう告げると、ツバネの手に黒い羽根ペンが握られていた。冷たい。だが、確かに脈打っている。
「……書けって、何を――」
「“記録の子”が還る場所を。次に流れを継ぐ者のために」
声が薄れ、空が裂け、世界が逆流する。ツバネは咄嗟に羽根ペンを握りしめた。
――その瞬間。
二人は崩れた協会跡に戻っていた。タリクが駆け寄る。
「おいツバネ!無事か!?顔、真っ青だぞ!」
ツバネは息を荒げながら、手を見る。そこには、黒い羽根ペンが握られていた。それはまだ、微かに震えている。
「……タリク。どうやら俺たち、“流れの裏”を見ちまったらしい」
「ああ、あの気持ち悪い記録か……。手に取られるように、動きや思ってることが記されていた」
そこに封じられていた、“書いてはならぬ物語”。ツバネは震える手で紙片を握りしめる。
「オルグは……これを……“見てしまった”んだ……」
タリクが短くうなずく。
「なるほど、そりゃあ協会も壊れる。――真実がここにある」
――「この世界は書かれている。だが、この加筆は余計だ。さあ、“ひとつ”が削られた」
その声は、ツバネとタリクの胸の奥に直接響いた。まるで心臓が、誰かに読まれているように。
「ひとつ……削られた?」
光がゆっくり消え、水面が泡立ち始める。紙片の上で、水が文字を描く。
――「最初の書記、ルミエ」
その名が刻まれた瞬間、世界が“記録のゆらぎ”に包まれた。
水紋が反転し、地下の湖が鏡面の空へと変わる。魚たちの影が逆流し、言葉を持ちはじめる。記録は現実を上書きし、書かれていなかった“可能性”が芽吹く。
「なんだこれ!?やべぇぞ!」
ブラックバスのオルグが暴れはじめた。
「……グハッ、ようやく……わしの大事なものに触れたか!」
水面が揺れた。オルグの黒い輪郭が、光の粒になって散っていく。
「……わしは……スイッチを握れたのだな……」
僕はオルグを見ていた。恐怖する目の奥に“解放”を感じた。黒い水の底で、何かがほどけていく音がする。泡でも風でもない。まるで“記録”が水に溶けていくような音だった。
あの異様な光も、もう濁ってはいなかった。静かで、少しだけ温かい光に変わっていた。
「わしは……記録で在りたかったのだ。けれど……もう、流れていいのか……」
威圧は消え、代わりに安堵の響きが混じっている。
「ツバネとタリクがついに“あれ”を見つけた。あれは、世界の記録の一頁。世界が自分で更新を始める“はじまり”だ」
「なっ……なんでそんなものを隠してたんだ!?」
「フッ……わしでは力及ばず……託す者を待っていた……のか……フハハッ」
水面が震え、光が散る。彼の体の一部が、粒子となって流れていく。
「オルグ……」
「セセラギ。――おまえに看取られるとは……運命も悪くない」
黒い瞳が、こちらを見た。そこにはもう、欲も執着もない。ただ、流れに還る前の、一瞬の“理解”があった。
泡が弾け、淡い光が水底を満たす。ゆっくりと昇るその光を、僕は見送った。
「オルグ!」
次の瞬間、そこに残ったのは――ただ一匹の、静かなブラックバスだった。ゆっくりと泳ぎ去り、水底の泥に触れ、眠るように姿を消す。
「あれ……ウソ!?淀みが消えてる!?」
信じられなかった。カゲミがいるかもしれないと思っていた、あの暗い淀みが消えていたのだ。
しばらく周辺を泳いだが、見当たらなかった。今日の探索は終わりにして、川岸へ戻る。
「おかえり、タクミくん。流れついてたよ、この紙片……。――激ヤバだね」
薄く透ける紙片を指先でそっと受け止めた。そこには、たった一行だけ、文字が浮かんでいた。
『名を流し、記録は巡る。』
僕はそれを胸に抱き、そっと目を閉じた。
――オルグの思念は、消えてしまった。昇華でも、浄化でもない。泡のように、ひとつの存在が世界から“ほどけて”消えた。水底には、声も、名も、記録すら残っていない。
(……オルグ。あなたは、どこまで見えていたんだろう)
薄い紙片を見つめる。そこにはもう、言葉も光も残っていない。けれど確かに、そこに“終わり”があった。
僕は、指先を水に浸す。その冷たさが、妙に生々しい。
「……僕はいま、生きてる」
声に出すと、胸の奥が痛んだ。僕たちは誰かに書かれた創造物なのか?
「――たとえそうでも、僕の意思は――僕のものだ」
「そうだよ、他人の干渉なんて関係ないんだ。”生きてるだけで丸もうけ”なんだから!」
「……ミラさん!」
「一旦帰って、作戦会議にしよう。エイミさんに連絡しておいたから」
優しくてあたたかなミラさんの低めの声に、僕とホンホンはうなずいた。
釣り道具を片づけながら、ほがらかに言う。
「オルグは”流れに還った”ね。――わたしもそろそろ本業再開しようかな」
キュリスティアの冒険ノートの番外編で、日本編を書いてるホン!
「消えちゃったオルグの“執着”」
――それは悪いものみたいに見えて、実はだれかを思う気持ちの裏返しだったホン。
ちょっぴり怖くて、でもとっても大事な「記録」のお話だったホンね。
日本語で書くのがまだちょっとむずかしいホン……。
でも、ページのすみに小さく「ホ」と書くだけでも、なんだか勇気がわくホン。
上手に書けたらみんなに見せちゃうホンホン!
――状況を見守る禁書ホンホン。




