58 長生きしちゃった!?淀みの主
「おや、いいね。勝ち虫が飛んでる」
ミオ師匠は釣り糸を垂れながら静かに言った。
「勝ち虫?」
「コイツだよ。戦国の頃から“後ろに下がらない”虫として縁起物だった。ムカデもケムシもそう呼ばれるね。前へ、前へ――勝ち虫さ」
水辺をスイーッと滑るように飛ぶトンボ。へぇ、これが“勝ち虫”か。
「ミオさん、日本に詳しいですね!」
「こちらの世界も長いからね。それに、歴史には興味があるんだ」
「はぁ……僕、勉強不足だな。でも――縁起にあやかって、カゲミの手がかり、見つけてみせます!」
僕も気持ち、“勝ち青鮎”になろう。後退はしない、カゲミを見つけてみせる!
澄んだ流れの中、青鮎セセラギになって毎日泳いでいる。言葉は返ってこないけど、顔なじみの魚も増えてきた。ウグイたちに交じって泳ぐ、見慣れない魚がいる。
「あれは……ブルーギル。外来種だ!」
ブルーギルは反転し、光を裂いてスピードを上げた。僕はその尾を追って、必死に泳ぐ。
やがて流れが止み、草むらの影が濃く沈む。そこは流れのない淀み。奥には、暗闇がぽっかりと口を開けていた。
「こんなところあったんだ……ここ、まるで“水が息をしてない”みたいだ」
風も波もなく、ただ、ひと筋の泡がゆっくりと浮かび上がる。僕は暗闇を目をこらして見てみた。
すると光が、にらみ返してきた。――違う、あれは“目”だ!黒く、重たく、まるで夜そのもののような影。底の方で、何かが動いた。
ドボンッ!
大きな水しぶきが音を立てる。ウロコは煤のように鈍く光り、口は深淵そのもの。飛沫の中から姿を現したのは、巨大な黒い魚、ブラックバスだった。
「う、うわっ……デカすぎる……!」
反射的に体を翻す。けれど、流れがない――ここは“淀み”だ。逃げられない。
巨大なバスの目が、冷たくこちらを追う。泡のような声が水を震わせた。
「ノートリア……ナゼ ココニ……」
「しゃ、喋った!?ブラックバスが喋った!?」
僕の背ビレが逆立つ。心臓が跳ね、鱗の一枚一枚がざわめいた。
「ぼ、僕は――カゲミを探してるんだ!」
バスの口角が、ゆっくりと歪んだ。それは笑いにも、捕食の前の形にも見えた。
「カゲミ……アノ オトリノ……?」
「――知ってるのか!?」
水面の光がゆらぎ、バスの巨大な影がさらに膨らむ。流れがねじ曲がるほどの圧。
「シッテル……“アレ”ハ モウ……」
言葉の続きを聞く前に、深みが黒く渦を巻いた。僕の体は、たまらずその中へ吸い込まれていった――。
泡の中、黒い巨体がうねる。闇に包まれた中、声が響いた。もう魚の声ではない。
「……ずいぶん深くまで来たな、青鮎セセラギ」
その響き――忘れようにも忘れられない。記録師協会の大講堂で何度も聞いた、あの低く、どこか皮肉を含んだ声。
「お、オルグ協会長……!?キュリシアで消えたはずなのにどうして……前世のブラックバスに……!」「転スイ、というやつだろうな。記録を喰らいすぎた結果、気づけば流れに呑まれていた」
水底が震える。濁流が巻き起こり、泡が閃光のように弾けた。
「わしは流れを管理したつもりだった。だが結局、流れそのものに還ったのだ。皮肉だな」
「なんで……この淀みの主なんかに?」
「ここがわしの“終の棲家”だからだ。記憶の穴から流れ落ちた記録は、すべてここに溜まる」
オルグの瞳が深淵のように光った。
「お前を見た瞬間、過去をすべてを思いだすとは――!」
その光は理性ではなく、支配欲と後悔の色だった。
「今すぐお前を喰らいたい!だが、わしが穴に落ちた後の……協会の行く末が気にかかる!」
巨大な尾がゆらりと揺れる。水底の草がざわめき、古い記録の紙片がゆっくり浮かび上がった。
「問いに答えよ。淀みを楽しませろ。さもなくば、お前も記録の一滴に還るだけだ」
その言葉とともに、淀みの奥――黒い深淵がひらいた。そこから、カゲミの記憶の光がちらりと覗く。
(っ……カゲミ!ここにいるのか!?)
「楽しませるって……どうやって?」
「さっさと真実を語れ。恐怖でも、記録でもいい!淀みが満ち足りれば、わしも満足する」
もはやキュリシアとの縁は切れているのに、記録師協会に執着するブラックバスを見て少し憐れみを覚える。
「……わかりました。明日、禁書ホンホンと一緒に来ます。キュリシアの現状を報告します」
オルグの瞳が、黒い水面に二つ、いや百の光を映し出す。言葉の一滴一滴が、重くて冷たい。オルグの顔が近づく。深淵の中で、低い声が漏れた。
「ふむ……面白そうだ。いいだろう。囮鮎が淀みにあるのを忘れるな……」
そして僕は、ミラ師匠のいる川岸に戻っていた。
「へえぇ。淀みの主か。どれくらいあるんだろ、ぜひ釣りあげたいね!」
現役釣り師のミラさん、さすがです……!
翌朝。
川底の光はまだ薄く、流れも眠たそうにゆるやかだった。
僕は防水ホンホンと共に、あの淀みのそばに来ていた。
「ホンホン、萬介とテレパシー頼むね。協会の状況を確認して」
「まかせてホンホン!」
小さく泡を吐いて笑う。昨日はあんなに怖かったのに。食われるかもしれなかったのに。
仲間がそばにいると心細さが薄れる。カゲミを救う勇気が出る。
それと……あの淀みの奥が少し寂しそうに見えたのだ。
淀みをのぞくと、すぐに低い声が返ってきた。
「来たか!青鮎よ」
トンボに咬まれてもイタイけど、ムカデやケムシは腫れます。
特に、ムカデに咬まれてしまったら、お医者様にかかると良いです。
はぁ~~……やっぱり“釣り”ってロマンよね。
まさか記録師協会長がブラックバスになってたなんて、誰が予想できたの?
タクミ君が言う、あの体格、あの目つき、あの重み――もう、完全に“大物”だわ。
でもね……わたし、逃した魚ほど燃えるタイプなの。
次はもっと強い釣り糸を用意して、必ず仕留めてみせるわ!
(転スイした元協会長でも、バスでも、魚拓でも!)
……って言ったらセリアンに「師匠、それ記録の釣りじゃなくて狩りです!」って怒られたけどね。
ま、細かいことはいいの。
流れがあるところに“出会い”がある――それが、旅の醍醐味ってやつでしょ?
――ミラ・フェルド。




