57 満喫しちゃった!?異世界の文化!?
「飴ちゃんの当たりはひとつだが、俺は当たりが変わっても構わないと思ってる。――それは俺の覚悟が決める。君の“記録”は、まだその途中なんだよ」
その言葉が、胸の奥にしみ込んでいく。
瑞野雫――この人の語る“流れ”には、ただの記録ではない、祈りのような静けさがあった。
「……はい。僕、流されてるだけじゃなく、もっと“流れ”を見られるようになりたいです」
「それでいい。それが君の“旅”の形なんだ」
雫さんは奥の棚から、ひとつガラス瓶を取り出した。
瓶の中には、色あせたようにやさしい色をした飴玉がいくつも光っていた。
「これ、昔お父さんが好きだった味だ。記録の途中で疲れたら、ひとつ舐めてみな。――きっと“光”が戻ってくる」
僕は飴を受け取り、胸の奥で小さく呟いた。
(父さんも、きっとこの味を覚えてるんだろうな……)
セリアンたちが日本の町を満喫しているころ、僕は静かに川辺に腰を下ろしていた。
目の前には、ミラ師匠が竿を構え、川面に糸をたらしている。水面に揺れる影と、微かに聞こえる水のせせらぎ。
(カゲミは……記憶の穴に落ちた。僕のこと、忘れちゃってるかもしれない)
胸の奥で不安がざわめく。
でも、それでも――。
「僕は、それでも……カゲミに会いたい!」
声に出すと、風が頬をなで、川面の光がきらりと跳ねた。
ミラさんは黙って釣り糸を見つめている。その背中からは、静かに応援してくれるような温かさが伝わってきた。
僕は深呼吸をひとつして、流れの中に目を凝らす。――きっと、この川のどこかで、カゲミは待っている。
その頃、セリアンとスイタン、そしてホンホンは、町へと出かけていた。駅のプラットフォームに立ち、電車の音に目を丸くしたり、改札の自動ドアに驚いたり。コンビニでは、並ぶ商品棚に興味津々で目を輝かせていた。
「わぁ……これがコンビニ……!いろんなものがいっぱいあるホン!」
ホンホンがお菓子の棚を指さす。
「……すごい、こんなに“日常”が詰まってるんだな」
スイタンは棚の上から下までを静かに眺め、空気を撫でた。
案内役は母だった。
「ほら、ここで切符を買うのよ。駅員さんに聞くのも大丈夫。ゆっくり見て回ってね」
母の柔らかい声に、三人は安心したように頷く。
町のざわめきや電車の音、人々の笑顔。すべてが初めての体験で、彼らにとって“日常”はもう一つの異世界だった。
「ねぇ、セリちゃん、このおにぎり試してみる?」
母が差し出す小さなおにぎりに、スイタンもホンホンも目を輝かせる。
三人と母は、町という日常の中で、小さな発見と驚きに満ちた時間を過ごしていた。
家に戻ると、先に帰宅したセリアン達は家電の数々に目を輝かせていた。
「これがスマホ……!なんて小さくて、でもいろんなことができるんだ!」
指で画面をタッチして、メールやアプリを操作する。
冷蔵庫を開ければ、色とりどりの食品に目を丸くし、
「ほ、本当に冷たい……ホン!これは魔法の箱ホンか!?ホンホンも冷えてるホン!」
エアコンや暖房、ウォシュレット付きトイレ、テレビ、パソコン……すべてが未知の体験。
「こ、この箱から音楽が流れる!?この曲どこでブレスするんだ!?面白いね!」
テレビやパソコンで流行りの歌を聴くや否や、セリアンはすぐに口ずさむ。吟遊詩人の血が騒ぐのか、リズムに合わせて手拍子まで始めた。
スイタンは静かに耳を澄ませながら、音の響きの構造を分析しているようだ。
「ああ、すごいわセリちゃん……!歌手みたい!」と母は感心している。
「母さん……吟遊詩人だから、セリアンは」
「あら、そうね!プロ歌手だったわ!」
母は笑いながら、次々と操作方法を教える。
「ほら、音量はここで……チャンネルはこうして……」
家の中は、まるで小さな異世界。笑い声と音楽で満ちていく。
セリアンと禁書たちは、毎日新しい発見と音の冒険に夢中だった。
夜も更け、台所から香ばしい匂いが漂ってきた。セリアンが目を輝かせながらカップラーメンを手にしている。
「こ、この香り……!我慢できないホン!」
鼻の穴が3倍に膨らんだ3人が背徳の夜食に興奮していた。
袋を開けてお湯を注ぐと、湯気とともに懐かしいラーメンの匂いが立ち上る。
――すすり、もぐもぐ。あっという間に完食。
「うう、こ、これは……美味しすぎる……!キュリシアでも食べたいよ、セオト!」
「たしかに……たまに食べたくなるよね、うん」
「キュリシアに夜更けの食文化が増えるホン!夜食の新境地だホン!」
「いや……どうやって持ってくの!?ホンホン!作り方わかんないし!」
「あれ……セリアン。顔が丸くなってない?」
僕に言われ、セリアンが鏡をのぞく。
「ガーン!……あれ、ちょっとお腹まわりもヤバ……」
もぐもぐ習慣が続けば、どんどん丸くなってしまいそうな予感。しかし――夜食ラーメンの誘惑には、誰も抗えなかった。
翌日、駅前。
セリアンはぎらりと光る瞳で立ち止まり、深呼吸をひとつ。
「さて……ここで歌ってみるか!」
軽やかに指を鳴らすと、周囲の雑踏がふっと静まる。声が流れ出した瞬間、通行人たちは足を止めた。
ハーフのような端正な容姿、整った声質、そして心に響く歌唱力――たちまち注目の的になる。スマートフォンで動画を撮る人が増え、駅前は一気にパニックのような熱気に包まれた。
「わぁ、すごい……誰、この人!?」
「歌、上手すぎる……!」
ホンホンも目を丸くしながら、すばやく動画を撮る。
「こ、これホン!絶対に記録するホン!」
スイタンは静かに観察しながら、音の波形に耳を澄ます。
「……本当に、異世界の吟遊詩人に負けない歌声だ」
セリアンは笑みを浮かべ、楽しそうに手拍子を誘う。駅前は歌と歓声で一体となり、まるで小さな祭りのような熱狂が巻き起こった。
「うふふ……面白いね、こういう反応!」
歌声は風に乗り、遠くまで響いていった。
僕の胸がふっと熱くいっぱいになった。
記憶が、胸の奥でやさしく水音を立てる。
「……そうか。あの店主だったおばあさん、もう引退されたんですね」
「うん。去年、天の方へ行きました。でも、祖母の店は続けたくてね。
だから、味も値段もそのままでやってるよ」
「雫さん……ありがとう。なんか、うれしいです」
僕は静かにラムネ瓶を手に取った。
ガラス越しに見える小さな泡が、まるで記録の粒みたいに光っている。
(……ここが僕の、最初の“流れ”なんだと思う。水じゃなくて、時間の流れ。
――でも、やっぱりどこか、似てるだろ?)
(……カゲミ、ツバネ、タリク、リウラ、ゲル)
僕はここにいない仲間たちに語りかけた。
みんなうなずいてくれたような気がする。
しゅわ、しゅわ、しゅわ。
駄菓子屋の中に、甘い香りと記憶の風が、やさしくめぐっていた。




