55 沸いちゃった!?魔法のメロディー!?
懐かしいメロディーが流れる。そう、あのお風呂の音だ。
『お風呂が沸きました』
その声に反応して、みんなで一斉にお風呂場へ駆けつける。
「ま、まさか……魔法の声なのかホン!?」
自動湯沸かし器の音声に、ホンホンは目を丸くして叫んだ。セリアンは興味津々、スイタンは青ざめて固まっている。しまった!お風呂のレクチャーをしなくちゃ。
「わぁ、お湯がいっぱい!」
セリアンは思わず手を叩き、湯気に顔を近づけた。
「ホンホンも行くのだホンー!」
「ちょ、ちょっと待て!ホンホン!」
スイタンは慌てて追いかけるが、すでにホンホンは光を放ち、防水加工を展開している。
「えぇぇ!?本当に防水できてる!?夢じゃないのか!?」
スイタンは思わず後ずさるが、ホンホンがにこにこ手を振ると、つい笑ってしまう。
セリアンは湯船の蓋をちょこんと押して、湯気にまぎれながら
「わぁ……あったかい!」
「さあ、スイタンも一緒に行くのだホン!」
ホンホンは光の粒子を飛ばしながら、湯船にぽちゃん!
「ひゃっ!?」
スイタンが叫ぶ。ホンホンの防水加工のおかげで、湯気の中でもへっちゃらだ。
「お、おお……いや、ほんとに平気なのかよこれ!?」
びっくりしつつも、光のガードに守られた安心感に、スイタンの表情が緩む。
僕とセリアンは笑いながら湯船に身を沈めた。ホンホンは水面をぴょんぴょん飛び跳ね、泡を巻き上げる。
「うわっ、泡が!」
セリアンは笑いながら手で泡をはじく。
「 ホンホンが一番楽しそうだな!」
湯気の向こうで輝くホンホンを見て、思わず吹き出した。
スイタンも最初こそ戸惑っていたが、だんだんお湯に慣れ、みんなの笑い声に混じって、湯気の中でゆらゆら揺れる。
「カゲミも一緒に……あ、いや、お風呂は無理か」
自分で言って、僕の顔が赤くなる。
「タクミ……セオト。いつかみんなで楽しもうね」
セリアンのつぶやきを聞かないふりで、僕は湯船に沈んだ。ブクブク。
湯船はあっという間に泡と笑い声でいっぱい。
今日も禁書たちと一緒に、予想外のハプニングと、楽しいひとときが流れていく――。
「今日の朝ごはんは和食よ。ごはんにお味噌汁に……シャケの塩焼きね」
母の声に、僕はちょっと身構える。
(うっ……魚。共食いを連想しちゃうけど……でも、美味しいんだよな……)
小さくつぶやきながら箸を取る。
もぐもぐ……口に入れると、やっぱり美味しい。塩気がちょうどよく、香ばしい香りが口の中で広がる。
(やっぱり、美味しい……!)
思わず笑みがこぼれた。和やかな朝の光の中で、食卓の時間を楽しむ。
母はにっこり笑って、優しく声をかける。
「ちゃんと味わって食べてね。食べることも、心の栄養だから」
みんな頷きながら、今日も元気に一日を始める準備を整えた。
「当時、俺は“風の記録師”として招かれた。ミラは“水の紋章師”だった。彼女と私は、風と水の交わる境界――『流域の門』を守る任務についていた」
母は少し寂しそうに笑った。
「あなた、あの頃は帰ってこないかと思ったのよ。風の道を渡って、何年も音沙汰なしで」
「……すまなかったな。あの頃協会で、俺もミラも”なんでも屋”みたいに働かされてたからな。でも、あの世界で知った“流れの理”が、今の研究につながっている。風も水も、世界を分けない――ただ、渡すんだ。記憶と願いを」
父は、机の上の青い石をそっと撫でた。それが一瞬だけ、まるで呼応するように光を放つ。
セリアンが小さく呟いた。
「……師匠が“風の記録師”と一緒に任務に出た理由……やっと、わかりました」
「そうか」父は静かにうなずいた。
「ミラは強い人だ。流れを止めることはしない。君がここに来たのも、きっと“流れの継承”なんだよ」
窓の外で、風が木々を揺らした。その音は――遠い異世界の潮騒と、どこか似ていた。
河原に出ると、風がやわらかく吹き抜けていった。流れの音と、鈴のような仕掛けの音が響いている。
「このあたり、釣り人が多いんだね」
セリアンが帽子を押さえながら言う。
「この川は……昔からミラが好んで釣りをしていた」
父が、少し懐かしそうに目を細めた。
「ミラって……もしかして、セリアンの師匠の?」
「そうだ。キュリシアで“水の紋章師”だった吟遊詩人さ。今は詠水とカラオケ仲間だがな」
え!?母さんとカラオケ仲間なんだ。まぁ、長年日本にいたら行くよな。カラオケかぁ……最後に行ったのいつだったっけ?
川沿いの小径を抜けると、静かな流れの音が近づいてきた。水面に光の粒がちらちらと舞っている。竿の先、透明な糸が風にゆれた。
「……あの後ろ姿。間違いない」
セリアンの声が、わずかに震えた。
腰まである灰青色の髪、袖をまくった白の羽織。肩越しに覗く横顔は凛として――性別の境を越えたような静かな美しさを持つ。胸元には小さな青い石――“流域の紋章”が光っている。
「……ミラ師匠!」
その声に、釣り人がゆっくりと振り返った。口元に淡い笑みを浮かべ、竿を少し上げる。
「おや!見間違いじゃなければ、セリアンじゃないか!?君、まさか異世界から渡ってこれるの?相変わらず、流れの早い子だこと」
落ち着いた声。まるで、昔と何も変わらない空気のまま、時間だけが流れたようだった。
「し、師匠っ……!僕、転スイしてきました!セオトと一緒に!」
セリアンは勢いよく走り寄る。
「そうか。ちゃんと歌を続けているんだね。世界を越えても、その眼はまだ澄んでいる。立派になったよ。ああ、糸をたぐる手は、まだ覚えているかい?」
釣り糸の水滴が、ぽとりと光を散らして落ちる。セリアンの頬を涙がつたう。
「師匠……僕、あの時の“ありがとう”を言いにきたんです。本当に、僕を育ててくれてありがとうございました!」
ミラは小さく笑い、風を受けるように目を細めた。
「礼なんていらないさ。私も君から多くを学んだからね。それに――」
竿を軽く引くと、水面で鮎がきらりと跳ねた。
「“流れ”はいつでも巡る。君と出会えたこの川も、その証さ」
父が手を挙げた。
「ミラ、久しぶりだな。こっちでは“青木”の姓を名乗っている」
「知ってるさ。風の匂いでわかったよ。守杜が近くに来たのは」
ミラは糸を巻きながら、軽く息を吐いた。
「……それにしても、こっちの世界の川は面白い。鮎が人に釣られて、また川へ帰っていく。転スイとあまり変わらないねぇ」
僕は、思わず吹き出した。
「君もわかったろう?“流れ”は場所を選ばない。世界が違っても、流れる魂は同じさ」
ミラはにやりと笑った。
セリアンが一歩前に出て、深く頭を下げた。
「……師匠。私、あのときの約束、やっと果たせました。水の記録を持って――流れを越えてきました」
ミラは竿を軽く上げ、糸の先の鮎を見つめた。
「そうかい。なら、この子も喜ぶよ」
「あの……その囮鮎、僕の大事な闇精霊かもしれない……」
僕はのぞき込みながら、青ざめた声でつぶやいた。
「……あ、違った、よかった……!」
「え?どういうこと!?闇精霊って、まさか――」
僕は頭を抱え、どんどん顔色を失っていく。
「だってさ、もし釣られてたのが僕の仲間とか……ううっ、考えたくない……」
セリアンが慌てて背中をさする。
「だ、大丈夫!この子はきっと違うって!」
「落ち着け、沢海。囮鮎と闇精霊は、確かに縁があるかもだけど別物じゃないか」
セリアンの師匠に事情を説明していく父は冷静だった。
僕はぎこちなく笑い、頬をひくつかせた。
「い、いや、その……僕と探してる相棒、前世が鮎なんです……」
「えぇぇぇ!?」
ミラ・フェルドの声が重なって響く。あたりの川鳥が一斉に飛び立つほどの驚きだった。
釣り師なだけあって、ミラは大量に鮎を釣っていた。苦笑しながら竿をたたんだ。
「……転スイの縁も奇妙なものだね。まさか“青鮎”の子が、“鮎釣り師”の元に来るとは」
セリアンが首をかしげる。
「別物……ですか?でも、カゲミは“元囮鮎”の闇精霊なんです」
「そうだね。だが覚えておきなさい――闇精霊は心の力で形を作る存在。囮鮎は、ただの魚。転スイの縁で似ているだけで、混同してはいけない」
僕は小さく息をつき、少し顔色が戻ってきた。
「そ、そうか……よかった、やっぱり違ったんだ……」
「転スイした者には、こういう“似たもの”の出会いがよくある。だが、それを恐れる必要はない。君の目で、心で、確かめればいいだけのことだ」
その声に、川がひときわやさしく流れた気がした。
セリアンは少し笑って、僕の肩をぽんと叩いた。
「ね、もう変な想像しなくていいよ。師匠がそう言ってるんだから、大丈夫!」
「……うん、わかった。ありがとう」
……と、その時は納得したけれども、あれから僕は毎日川へ通っている。透き通る水面に、太陽の光がきらきらと踊るたび、心が少しずつ落ち着く。
「今日こそ……カゲミ、見つけるぞ」
小さくつぶやき、尾びれをひとふりする。水の流れが僕をやさしく押し返してくれる。
小魚たちがスイッと泳ぎ去るのを追いかけ、岩の影をのぞき込む。水の匂い、砂の感触、冷たい流れのすべてが、前世の記憶を呼び覚ます。
でも、川のどこにも、カゲミの姿はまだ見えない。
それでも僕は、あきらめない。毎日の流れの中に、きっと手がかりがあるはずだから――。
はじめは、水を見るだけで震えていたスイタン。
禁書なのに――いや、禁書だからこそ、水は天敵だった。
滲む、崩れる、消えてしまう……そんな恐怖が、いつも心の奥にあったのかもしれない。
でも今、ホンホンの光に包まれて、おそるおそる、そっとお湯に手を伸ばした時。
スイタンの瞳が、ふっとやわらかくなった。
湯気の中で、紙のきしみが少しずつほどけていくように――
まるで心まであたためられていくみたいに。
「……あったかい」
その小さな声を聞いて、みんなが笑った。
ホンホンもセリアンも、僕も。
お風呂の湯気がまるで祝福みたいにゆらいでいた。
水は怖くない。流れは優しい。
そう教えてくれたのは――“あの日のお風呂”だったのかもしれない。
カゲミに再会したときに、今夜の記録を見せよう。
喜んでくれる気がする……。




