51 転スイしちゃった!?青鮎の里帰り!?
――カゲミを追って、転スイしちゃった!?
でも……本当に、カゲミも転スイしたんだろうか?
あの神様――シヴァ・テンスイ様に、聞くのを忘れてた。もしかして僕だけ先に飛びこんじゃった、とかあるかもしれない……よね。
胸の奥で、不安が泡のように弾けた。目を開けると――そこは、ゆらめく水の中だった。太陽の光が川底を照らし、砂粒が金色に輝いている。冷たい流れが頬をなでて通り過ぎていった。
「……ここ、川だ」
声を出そうとしたけれど、泡になって消えた。でも、不思議と苦しくはない。息をしている――水の中で。
手を見ようとして、ハッとした。手じゃない。透き通ったヒレが、ゆるやかにひらめいている。尾びれを動かすと、水が軽やかに押し返してきた。
「僕……青鮎になってる!?」
驚きと同時に、どこかで懐かしさがこみあげた。流れの感触、光のきらめき、音のない世界の鼓動――すべてが知っている感覚だった。
「そうそう、この匂いだ。川の匂い!僕のルーツってここなんだな~」
川底を泳ぐたび、体がすっと軽くなる。水が話しかけてくるように、岩や草の影がゆっくりと動いていた。
「カゲミ……どこにいるんだろう」
小さくつぶやくと、泡がいくつも浮かび上がる。まるでそれが返事のように、水面へと消えていった。僕は尾びれをひとふりして、光の差す方へ泳ぎだした。この流れのどこかに、きっとカゲミがいる――そう信じて。
すいすいと泳いでいると、小さな魚の群れに出会った。僕は思わず声をかけてみた。
「ねえ!鮎の遡上、見ましたか?」
「それと……うちの囮鮎、知らない?」
けれど、返事はなく、ただ銀色の小さな体がスイッと流れの向きを変えた。
「あっ、ちょっと待って!」
僕も尾びれをふってついていく。澄んだ水のなか、太陽の光が揺れて、まるで道しるべみたいにキラキラしていた。やがて、小魚たちが流れの陰、岩の向こうへと消えていく。その先に、なにか――懐かしい気配が、確かにあった。
川面から顔を出すと、すぐそばの河原に見覚えのある姿があった。――セリアンだ。風にそよぐ金の髪、見慣れたローブ姿のまま、少し心配そうに僕を見つめている。
「瀬音って変身できるんだね!すごいな、異世界は!」
驚きと興奮が入り混じった声に、僕は照れくさく笑った。体を震わせると、青い光が水しぶきとともに弾けて、鮎の姿から人の姿へ戻る。
「うん……こっちでは“沢海”って名前なんだ」
「瀬音であり、沢海でもある――ふたつの世界のあいだにいる感じ、かな」
セリアンが「ふふ」と笑って、濡れた僕の髪をタオルで拭いてくれる。川の風がやさしく吹き抜けて、遠くで水鳥の声がした。僕は胸の奥でつぶやく。
――ちゃんと、ここにも“流れ”は続いているんだ。
川を離れて、懐かしい小道をたどる。舗装の割れ目からは、小さな草がのぞいていた。夕方の光が差し込むたび、風景がまるで夢のようにぼやけて――僕の胸は、どんどん早鐘を打っていく。
「……帰ってきた、のか……」
つぶやきながら、古びた門扉に手をかける。――ギィ、と音を立てて開いた。庭の片隅には、見覚えのある石灯籠。風鈴の音もそのままだ。
靴を脱いで、そっと玄関をのぞく。静かだ。でも、どこか、気配がある。
「……誰か、いるの?」
声をかけた瞬間――
「おかえり、沢海か!大きくなったな!」
奥の部屋から声が響いた。その声に、心臓が跳ねる。父さんだ。エルフだから、全然変わってない。
そして――その隣に。
「たくちゃん!お帰り!元気そうね!」
母さん。
声を聞いた瞬間、時間が止まった。
玄関の奥。そこに立っていたのは、僕の記憶の中とまったく同じ姿。エプロンをつけたまま、柔らかく笑う母さんだった。髪の光り方も、頬のえくぼも、あの頃のまま。
「……父さん……母さん?」
思わず、声が震える。十年以上、夢の中でしか見なかった人が――目の前にいる。
「なぁに、その顔。そんなに久しぶりってほどでもないでしょう?」
母さんは、笑いながら僕の頬に手を伸ばした。温かい。ちゃんと、生きている。
「でも……母さん、全然変わってない……」
「ふふっ、だって巫女だもの。女はね、気持ちが若いと歳を取らないのよ」
そう言って、優しく僕の頭を撫でる母さん。その手の感触があまりにも懐かしくて、胸の奥がじんわり熱くなった。
「……ただいま、母さん。父さん」
声にした瞬間、涙が一粒、頬を伝って落ちた。
「はじめまして、セリアンと申します」
「禁書ホンホンだホン!よろしくホン!」
「水声抄スイタンだ」
異世界の仲間たちが、僕の家に勢ぞろいしている。それだけでも信じられない光景なのに、母さんはまるで昨日も会っていたかのように微笑んだ。
「あらあらあら、可愛いお友達ね!ゆっくりしていってね!」
にこにこしながらお茶を用意し、禁書にも吟遊詩人にも区別なく話しかける母。セリアンはぽかんとし、ホンホンは「な、なんて大物ホン……」と小声でつぶやいた。スイタンは興味深そうに湯気を見つめている。
――そうだ。母さんは、昔からどんなことにも動じない人だった。嵐が来ても笑って洗濯物を取り込み、急な来客にも「縁があったのね」と笑う。
流れのままに、人生を楽しむ人。水のように柔らかく、どんな形にもなれる人。
僕は、少し胸が熱くなった。
「……やっぱり、母さんだ」
どんな世界を越えても、この人は変わらないんだ。
……これが異世界、日本……。瀬音と一緒に転スイしちゃったセリアンです。
いや、正確には「ついて行っちゃった」って言ったほうが正しいかも。
だって、あの時の瀬音くん――カゲミを追って水の中に飛び込んだ顔、
本気で“誰かを探したい”って顔してたんです。
そんなの、放っておけないですよ。
気づけば、私もこの世界にいて。空気の匂いも、水の味も、すべてが懐かしくて新しい。
日本は不思議な場所だね。
それに、瀬音くんのお母さん……ほんと、あの人すごい。
異世界から来た私とホンホンとスイタンを見て、
「まぁ可愛いお友達ね~!」ってニコニコしてるんですもん。
どんな転スイよりも、あの笑顔が一番衝撃的でした。
「カゲミがどこにいても、きっとこの流れのどこかにいる気がする」って。
瀬音も信じてる。
だから、私も師匠に会えると信じてます。
次の流れの先で、また新しい何かが見つかるって。
――ではまた、水の向こうで。




