46 生まれちゃった!?記憶の穴!?
蒼光が床を這い、壁を伝い、空気を焦がしていく。それはまるで、講堂そのものが呻いているようだった。
オルグの体に刻まれた“魔紋”が、黒い炎を噴き上げる。血管のように浮かび上がるそれは、まるで彼自身の記録が暴走しているようだった。
「この痛みさえ……記録の証だ。永遠に、オルグの名を残すための代償……!」
その言葉はもはや狂気そのものだった。皮膚の下でうごめく魔紋が、ひとつ、またひとつと光を放ち、部屋のあちこちに文字を刻む。それは「記録」ではなく、「侵食」だった。
「……これは……まさか……この手はなんだ!?」
指先が震え、爪の隙間から墨のような液体がにじみ出す。それは生き物のように脈打ち、床を這った。
禁書たちの声がざわめき、低く響いた。
『禁を破ったのは誰だ。封を重ね、語られるべきを閉じたのは――誰だ!』『語れ』『書け』『なぜ封じた』『我らは嘘を知らない』
それは過去に封じられた禁書の断片、虚偽の記録、歪められた真実、燃やされた名前。声が重なり、オルグの周囲で渦を巻く。
「やめろ……私は、守るために……!」
『守る?それを“沈黙”というのだ』
青い紋が皮膚の奥から滲み、オルグの体は輪郭を保てなくなっていく。
魔紋が暴走し、記録そのものが彼の内から削れていった。
「やめてくれ……私は、記録師協会を……導こうと……!」
「愚かですねぇ、オルグ様。その導きが、どれだけの“言葉”を殺したか、見ろ!」
クロムが印章を掲げる。
「それを使う気か!?それは……わしの印章だッ!」
「もちろん。もっとも、救うためじゃありませんがね――この“暴走”が、どこまで世界を侵すか、確かめるためです」
銀光が走り、魔紋の一部が押さえ込まれた。だが同時に、魔紋がクロムの方へと逆流する。
「ば、バカな……っ!」
クロムの頬に刻まれる黒い線。オルグの魔紋が“記録の主”を誤認し、彼に喰らいつこうとしていた。
「……フフ、面白い。“銀の印章”は、まだわしに反応するのだな……」
勝ち誇るオルグの瞳が、血のような赤に染まる。
「返せ、クロム・リーフ!!」
叫びと同時に、魔紋が暴発した。蒼い火花と共に記録札が焼け落ち、床が崩れる。
クロムの冷笑が響く。その声は、慈悲ではなく、支配の響きだった。
「あああ忌々しい!すでに主権は私のものだ。お前には使いこなせない!――協会は、私が創る!」
「貴様……俺の記録まで盗むつもりか!」
「盗む?違うさ。私は“再編集”するだけだ――お前という“記録の残骸”を、私の新しい章としてね」
そして、オルグの魔紋がついに爆ぜた。
光の渦の中で、二人の記録が一瞬だけ交錯する。
そこには若き日の姿――理想を語り、“真の記録師”を夢見ていた彼自身の残像が。
「なんだ?……これも代償なのか?見える……私の……知らなかった“別の物語”が……」
クロムの掌の銀印章が、眩く光を放つ。その瞬間、地下の水脈が逆流した。
オルグの暴走する魔紋が、印章の制御信号とぶつかり合う。水が泡立ち、壁面に亀裂が走る。
二人の怒号と共に、印章が共鳴した。
オーバーフロー。
――ドォンッ!!
水が世界の底から噴き出し、蒼い光柱が天へと突き抜けた。
大地が沈み、青黒い裂け目が誕生した。
空間がひときわ強く歪み、音も記憶も、すべてを呑み込んだ。
――そこに、ぽっかりと“記録の穴”が開いた。
「馬鹿者!なんてことをするんだ!印章が同時反応を起こしたではないか!」
「くそっ!ポンコツ老いぼれが悪い!私の印章が!……穴を……創り出すとは!」
クロムの片腕も淡く透けていた。彼の中にあった禁書の欠片が暴走を始める。
クロムはニヤリと笑った。
「ちょうど終幕にふさわしいな。穴に落ちろ!オルグ。偉大なるノートリアなど、存在してはならぬ!」
消えゆくオルグは、落ちていく――。その瞳の奥に、一瞬だけ光が差した。
その目蓋の裏に、映っていたのは何だったのか。なおも宙に伸ばされた指先が、何かを掴んだ。
……黒いウロコ?
「あのとき、あなたは言った。“ここには光が多すぎる”って。でも……それは、あなたが眩しさを知っていたからだよ」
――青鮎の、セセラギ?
崩れゆく天井を、空ろな眼で追いながら、オルグは静かに息を吐いた。
その頃――水紋亭。
――ドォンッ!!
地の底から、鼓膜を裂くような音が響いた。水紋亭の壁がびりびりと震え、棚の水晶が床に落ちて砕ける。
「な、なんだ!?」
僕は反射的に立ち上がり、外に飛び出した。
空が、青白い閃光で裂けている。それはまるで、空そのものが逆流しているようだった。
「大講堂の……方角だ」
風が巻き、空気が焼ける。水面が歪み、波紋の中心で何かが崩れていく。
カゲミが息を呑む。
「記録……が、壊れてる……?」
胸の奥が冷たくなる。あの蒼い光は、まるで“記録”が消滅する時の色――。
僕は拳を握りしめた。
「行くしかない。何が起きてるのか、確かめよう」
水紋亭の巫女たちがざわめく中、僕たちは光の柱を目指して駆け出した。
風が、どこかで泣いている。
それは、“記録の穴”が世界に生まれた音だった――。
はぁ……もうダメだと思った(2回目)!
檄音の振動で、水紋亭の棚も壁も床もビリビリ震えて、床に置いてあった水晶が飛び散る。
「うわっ、今日も大暴れ……!」思わず声が出ちゃった。
「風に流れゆくものよ、名を記せ――」
手を合わせ、指先で水紋を描きながら祈る。
……でも今回は、それだけじゃ足りなかったみたい。
記憶の穴が、ぽっかりと生まれた。
空間がぐにゃりと歪み、世界がちょっとだけひんやり揺れてるみたい。
……ええ、心臓に悪い!
でも、だからって立ち止まるわけにはいかない。
今日も無事にここにいられること――それが奇跡だから。
やっぱり私ってばラッキーすぎる!
アハハ、まったく……毎回毎回、世界って手強いんだから。
でも、研究者として、巫女として、まだやれることはある。
祈りを紡ぎ、水紋を描き、できることをひとつずつやる。
それが私の仕事であり、楽しみでもあるのだから。
今回も、無事だったことをちゃんと心に刻もう。
水紋亭は私たちの拠点。記録の穴もあって大変だけど、まだまだ先は長い。
……さあ、今日も祈って、描いて、ちょっと笑って。
私にできることは、まだまだある!
――巫女リィナ




