43 約束しちゃった!紙ひこうきのホンホン!
――静かに、空気が反転した。
もはや原型を留めていないが禁書庫の奥。
長いあいだ封印されていた扉が、ひとりでに軋んで開く。
壁は呼吸をはじめ、棚は大地のように隆起し、書物たちが魔力の光を帯びて脈打っている。
“禁書庫”は、ゆっくりと――ダンジョンへと変貌していた。
「不思議だな……お前は怖くないのか?」
黒い禁書には、どこまでも明るいホンホンが理解できなかった。
禁書ホンホンが、ふわりと浮かびながら舞い降りる。
「……ここが変わっちゃうホンね。ホンホンもびっくりしてるホン!」
「そうじゃない!お前に”恐れ”はないのか?」
足元では、黒い禁書が静かに揺れていた。
かつて誰にも読まれず、埃に埋もれていた“ひとりぼっちの本”。
表紙には、もう題名も読めない。
ホンホンはその上にちょこんと降り、楽しそうに言った。
「ねえ、怖くないホン。ダンジョンになっても、本は本ホン!」
――にょき。
ホンホンのダジャレで草が生えた。
「草が……」
まるで泣いているように、黒い禁書のページが震える。
ホンホンはくすりと笑う。
「じゃあ、泣かないホン。でも涙の量は“かなわない”ホン!」
――にょき にょき。
小さな草が次々と芽吹いていく。
黒い禁書は、ホンホンを理解できない。
けれど――寂しかったのだと、確かに感じ取った。
「これで、もう寂しくないホン。笑ってホン。きっとまた来るホンホン!」
禁書たちの間を、風が通り抜けた。
積もった埃がふわりと舞い上がり、光の粒子となって宙に散る。
それはまるで――禁書庫そのものが、微笑んだようだった。
ホンホンは、芽吹いた草をそっとなでた。
「みんなが帰ってくるまで、ここを守ってホン!」
そして、奥へと続く暗がりを振り返る。
「冒険にスリルは付き物なんだホン!キミに会えてよかったホン!バイバイ~!」
そう言うと、ホンホンは小さな光の尾を引いて――闇の奥へと飛び込んでいった。
――崩壊しはじめた記録師協会内。
一旦、安全を確保した僕たちは瓦礫の隙間から見上げ、ホンホンを探した。
天井のひび割れから、光と紙片が雨のように舞い降りる。
「ホンホンー!返事して!」
「瀬音ー!約束どおり帰ってきたホン!」
インクの香りをまとい、くるくると回転しながら舞い降りてきた紙ひこうき。
僕は思わず息をのむ。
「……ホンホン、すごい!君は……最高の旅仲間だよ!」
禁書ならぬ紙ひこうきホンホンは、両翼をぱたぱたさせながら、顔を真っ赤にして叫んだ。
「ただいまホンー!」
――協会の入口にいた時のこと。
ホンホンが分かれて行動するって言い出したんだ。
「協会の奥まで行かないといけないホン!この風じゃ飛べないホン!瀬音、ホンホンを――折って!」
「えっ……折る!?禁書を!?いいの?」
そしてホンホンは、ちょうどいい厚さの紙になった。
「そうホン!紙ひこうき!“よく飛ぶやつ”お願いするホン!!」
僕は一瞬ためらったが、すぐに笑った。
「……わかった、信じるよ。」折り紙なんていつぶりだろ……。
僕はそっとホンホンを両手に乗せ、手早く折り目をつけていく。
古文書の紙の感触、インクのにおい、そして小さなぬくもり。
「ちょ、ちょっと……くすぐったいホン……!」「我慢して!飛ばすから!」
最後の折りを決め、僕は吹き抜けに立った。
「行くぞ、ホンホン!」
「――ホンホンを、信じてホン!」
「わかった、いくよ!」
紙ひこうきは音を立てて風を裂き、崩れゆく書架を縫って飛ぶ。
光の粒とともに、まるで希望そのもののように――。
「うわっ、速い……!本当に飛んでる!」
「当たり前ホン!禁書ホンホンは、“記録の風”に乗って飛ぶホン!」
紙ひこうきホンホンは、ひゅるると旋回しながら笑った。
「これで、崩壊した通路も怖くないホン!行ってくるね――出発ホン!!」
その姿は、闇の奥へと一筋の光を引いて消えていった。
――そして、紙ひこうきホンホンは無事に戻ってきた。
「水紋亭を残してくれてるホン!黒い禁書と約束したホン!」
「え!?すごい!」「やるね!ホンホン!」
ツバネたちの行方も気になる。
僕たちは、安全が確保されているという“水紋亭”を目指すことにした。
崩壊の振動がまだ遠く響く中、ツバネたちは静まり返った回廊を進んでいた。
足もとに散らばる紙片がざわめき、誰かの囁きを真似る。
「こんな図書館の奥に何が……?」
革表紙が勝手に開き、そこから声が漏れ出す。
「記録師ツバネ……閲覧、許可……」
ツバネは眉をひそめる。「……許可って、何の?」
ページがひとりでにめくられ、空気が変わる。
無数の禁書が、呼応するように目を覚ます。
背表紙の紋が淡く輝き、記録が水のように流れ始める。
「ここは君たちの協会が、ずっと隠してきた場所。ようこそ、“禁書たちの座”へ。」
青年の瞳に宿る光は、水面よりも静かで、どこか祈りの色を帯びていた。
ツバネの喉が鳴る。「……あなたは、何者なんですか」
「俺は瀬音の兄――碧貴汐真。ただの”記録の見届け人”さ」
汐真が手をかざすと、本棚が震え、禁書たちが一斉に開いた。
文字が光を帯び、空気中に無数の「記録」が溶け出していった。
「君たちは“記録”を守るために存在している。
だが、守るということは、同時に“流れを止める”ということでもある」
ツバネが拳を握る。
「止めるって……何を言ってるんですか。私たちは、水の流れを――人の記憶を繋ぐために――」
汐真は首を振った。
「違う。君たちが繋いでいるのは、協会の望む記録だけだ。都合の悪い流れは削がれ、異端の祈りは封印された」
リウラが息をのむ。
ゲルが小声でつぶやく。「じゃあ、この禁書たちは……」
「そう。“協会に認められなかった真実”の断片たちだ。流れを封じられ、声を奪われた者たち。
私は――彼らを“解き放ちに来た”。」
その言葉に呼応するように、禁書たちがざわめいた。
光が波紋のように広がり、ツバネたちの足元の紋章が淡く浮かび上がる。
「禁書は、ただの記録じゃない。それぞれが“祈り”の形なんだ。
封じることは、祈りを殺すこと。君たち記録師は、その罪の上に立っている。」
汐真の瞳には“敵意”よりも“哀しみ”が映っていた。
ツバネの胸の奥で、何かが崩れ落ちた。
「まさか……」
汐真は振り返り、禁書たちへと手を伸ばす。その指先から、水のような光が広がった。
「今こそ、流れを戻そう。――記録師協会は、今日で“終わり”だ。」
次の瞬間、図書館全体が低く唸る。
禁書たちが一斉にページをめくり、封印の鎖が砕けていった――。
あのホンホン言う禁書が、生やしていった草、草、草。
ここはもう、静寂の禁書庫ではなくなった。
ざわざわと、紙の間から芽が伸び、風が通るたびに、ささやくように葉がふるえる。
草は喋らない。けれど、生きている。
それは――あの禁書が、泣き声のかわりに残していった命なのだろう。
あの禁書は、恐れというものを知らなかった。
崩壊の中で笑い、古い言葉たちに草を生やしていった。
まるで、“終わり”さえも愉しむように。
禁じられた書に、好奇心など宿るものかと思っていた。
だが、あいつの頁には風があった。
風は未来をめくる。
主様にはもうお目にかかれまい。
だが――あの禁書には、また会える気がする。
紙ひこうきの形をして、笑いながら戻ってくる気がする。
……草よ、
そのときはまた、風を迎えてやってくれ。
――黒い禁書の残響




