39 【中秋の名月特別編】 満ちちゃった!水瓜月の夢
「私はね、こんなに綺麗な月の日には、いつも歌劇かチルに呼ばれて出番なしなのさ。とほほ……」
セリアンは水面に映る月を見上げ、ため息まじりに笑った。
アオハの町では、今夜が一年でいちばん満ちた夜――【水瓜月】。
丸い満月をスイカに見立てて、団子とキュウリをお供えし、水面に願いを映す日だ。
「人は夢を語り、水はその夢をひと晩だけ預かる。
いい風習だと思わない? ……ま、預けた夢が翌朝どんな形で返ってくるかは、誰にもわからないけどね」
月明かりは静かに川面を撫で、流れていく灯籠のひとつひとつが、小さな心の願いを運んでいるようだった。
「ほら、見てごらん。いろんな人の願いが流れてくる――」
詩人の声に導かれるように、水面の光がゆるやかに揺れる。
そしてその夜、アオハの町はほんの少しだけ、夢の世界と交わった。
アオハの町の上空には、磨かれた水面のように澄んだ満月が浮かんでいた。
今宵は日本でいう中秋の名月にあたる、キュリシアでは――水瓜月。
ひんやりとした風が通り抜ける。
水の香り、夏の名残、命の瑞々しさ……すべてが一つの月に映っていた。
十五夜のほんのり赤く光る月のまるさは、“水瓜”の実にも似ているのが由来だとか。
「ほら、水瓜月だ。今年も流れに感謝して、水を味わう夜だね」
キュリシアではこの夜、“水瓜の輪切り”を月に見立てて供える風習がある。
キュウリの薄切りを水面に浮かべ、「流れの円」を祈るのだ。
子どもたちはスイカの果汁を少しだけ水に落として、「月の色が甘くなるように」と願うという。
記録師たちにとっては「水鏡に月が満ちる夜」。
願いや記録を灯籠や詩に託して流す、特別な日でもある。
──そんな、水瓜月の夜。
満ちた月が、まるで冷えたスイカのように、湖面にぷかりと浮かんでいた。
アオハの町は灯りを落とし、代わりに無数の灯籠が水路を流れていく。
風が通るたび、きゅうりと果実の甘い香りが混じりあった。
僕は縁台に腰をおろし、冷えたキュウリをひと切れ口に含む。
「……いろんな人の願いが流れてくるね」
――ぽちゃん。
波紋の中に、古びた羽ペンが浮かび上がった。
淡い銀光を放ち、月の光をすくい上げるように。
「……わあ!もしかして月の筆かな?」
「きっとそうだ! 水の祈りで目覚めた“月の筆”が、言葉を月へ送り届けてくれるんだったっけ?」
「そうホン。瀬音は今夜だけの月の記録師だホン!いっぱい書くのだホン!」
禁書ホンホンと闇精霊カゲミ、そして僕は、伝説に近い“月の筆”に胸を躍らせていた。
風が吹き抜け、満月が雲間から顔を出した。
光が水盤いっぱいに広がり、まるで湖のように大きくなっていく。
そこに映ったのは、数えきれないほどの祈りの波。
この世界で失われた“記録”たちが、月に導かれるように静かに輝いていた。
僕は銀色の羽ペンを胸に抱き、微笑んだ。
空を見上げると、月の中で水面がきらめき――まるで、僕の祈りに応えるように光の波紋が返ってきた。
「今日はなんか、ちゃんと残したい気がしてる」
今宵の僕はルナ・ノートリア。記録を残して、月へ願いごとを届けよう。
カゲミは、小さな手で団子をつつきながら、すっかり“見物モード”だ。
禁書ホンホンがぴょこんと跳ね、お団子を抱える。
「ホンホンの願いはひとつ!ぜーんぶの水が幸せでありますようにホン!もぐもぐ……」
水面に反射した月光が、まるで拍手のようにきらめく。
ツバネはスイカにかぶりつきながら空を仰ぎ、淡く笑った。
「……こんな夜に記録師協会の話なんて似合わんな」
そう言いながらも、心の奥でひとつだけ祈る。
――どうか、誰も涙で流されませんように。
タリクは串に刺したキュウリを見つめ、ふと呟いた。
「願いってのは、風に言うもんやない。……けど今夜だけはええか」
空へ向けて一口かじる。
――“誰かの帰る場所でありたい” その小さな祈りが、音もなく風に溶けた。
リウラは灯籠に筆を走らせていた。
「みんなが笑顔でいられますように」
彼女の文字は、波に触れても滲まなかった。まるで水に受け入れられているようだった。
ゲルは黙って空を見ていたが、やがて小さく口を開く。
「……ゲルは明日もお役にたてます」
大きな手が灯籠を水に浮かべると、波紋が一瞬きらめいた。
町の人々の声が重なっていく。
「家族が元気でいられますように」
「今年も作物がよく実りますように」
「大切な人が、無事に帰ってきますように」
アオハの流れに、祈りがゆっくりと溶けていった。
「みるんもお願いごと~!」
「きくんは、よく聞こえるから感謝を!」
「夏を過ぎても、スイカが食べられて幸せ~!」
三人衆も、流れに声を重ねていた。
そして――誰もいない高台で、クロム・リーフはひとり空を仰ぐ。
「流れを止めるものは腐る。流れを支配するものこそ、美しい」
彼の言葉が夜風に乗り、月の輪郭を淡く揺らした。
「……人は、水の記憶に願いを託す。
ならば私は――その記憶を、もう一度形にしてみせよう」
彼の影が川面に映る。
――飢饉で家族を失ったあの日から続く、水への歪んだ執着が。
その瞬間、アオハの空が少しだけ白んだ気がした。
スイカの赤と、キュウリの緑と、月の光がひとつに溶け合う。
まるい流れができた。
僕は静かに両手を合わせる。
「ありがとう。今日も、水が、きれいです」
その声が消えると、水盤の月がふっと揺れた。
まるで水の底から、誰かが応えるように。
夜風が、すこし冷たくなった。
丘の上から見えるアオハの町は、提灯の光がまるで地上の星のように瞬いていた。
「すげぇ……きれいだな」
背後から、声がした。
カゲミが月明かりの中に現れ、手のひらにひとつだけ灯籠を抱えている。
「セオト!お前の分、持ってきた」
「ありがとう」
僕は受け取った灯籠の中に、小さな紙片をそっと入れた。そこには短い言葉。
“みんなの記録が、水に流れず残りますように”
カゲミがそれを覗き込んで、鼻を鳴らす。
「また真面目なこと書いてんな」
「だって、願いごとって、流しても記録しておきたいじゃないか」
「……変なやつ」
そう言いつつも、カゲミは灯籠を水面に浮かべた。
光がゆらゆらと揺れながら、遠ざかっていく。
川の流れが、まるで誰かの祈りを運んでいくみたいだった。
「……いろんな人の願いが、流れてくるね」
僕がつぶやくと、カゲミは静かに答えた。
「うん。いま、たぶんみんな――それぞれの誰かを思ってる」
「だれか?」
「うん。会いたい人とか、忘れたくないこととか」
カゲミは少し黙って、流れる灯籠を目で追った。
やがて、ぽつりと呟く。
「……俺も、願っとくか」
「何を?」
「……言わねぇ」
顔をそむけたカゲミの頬が、月明かりに赤く染まっていた。
そのとき――風が止んだ。
月が息を潜めるように、静かに川を照らしている。
「カゲミ」
「なんだよ」
「……ありがとう」
「は?なんで急に」
「ううん。なんか言いたくなっただけ」
短い沈黙。
カゲミは、ほんの少しだけ笑った。
「……ったく。お前のそういうとこ、嫌いじゃねぇよ」
川の流れがゆっくりと灯籠を運んでいく。
満月の光を抱きながら。
その光がふたりの願いを包むように、夜空へ昇っていった。
――祈りと、記録と、絆。
誰の願いも、水の奥でひとつにつながっている。
夜が明けるころ、羽ペンは淡い光を残して消えた。
僕の手のひらには、かすかな月光の痕が残っていた。
──そんな水瓜月の夜。
そして、朝。
アオハの町をやさしく照らす陽光の下、昨夜の灯籠は静かに町じゅうを巡り、
誰にも気づかれぬまま“願い”を運んでいた。
井戸の水をくみに来た老夫婦が顔を見合わせる。
「ほら、今年も水が澄んでる」
干上がりかけていた湧水は、灯籠の祈りを受けて再び流れはじめたのだ。
畑の作物が青々と輝き、笑顔が町に戻る。
転んだ子どもを抱き上げる母の足元には、小石の橋が――昨夜の誰かの思いやりの跡。
空を見上げたツバネは小さく息を吐き、遠くの空に微笑んだ。
「……少しは安心できるのかな」
タリクは川辺で迷子の子を助け、流れに導かれるように思う。
“迷いながらでも進める自分”は、もう孤独じゃない。
ホンホンは灯籠の残り火をくんくん嗅ぎながら跳ねた。
「みんな、幸せホン! 本も破れないホン!」
その声が町の空気を明るくしていく。
誰かが誰かを思いやる。キュリシアの愛が満ちる、そんな一日がはじまった。
僕は川辺で灯籠の最後の残り火を見つめる。
「いろんな人の願いが、ちゃんと届いたみたいだね」
カゲミは小さく頷き、ひそひそ声で言った。
「……オレたちのも、きっと、どこかで誰かを支えてる」
水面に反射する朝日の光が、ふたりの顔を柔らかく照らす。
灯籠の波紋はまだ消えていない。
誰かの願いが誰かを照らし、また新しい一日が始まろうとしていた。
──それはいつもの朝。
満月は明日ですが、今夜の中秋の名月はとっても綺麗ホンね~。
水瓜月の光が、水面をゆらゆら照らして……まるで、みんなの願いが月に届いてるみたいホン。
本編ではなく【特別編】でしたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
カゲミも、ツバネさんも、みんなちょっとだけやさしくなってた気がするホン。
月の魔法って、ほんとうに不思議ホンね。
次回は、またいつもの“水の世界”でお会いしましょう。
お団子とキュウリ、どちらもまあるくてやさしい味ホン。
どうぞ、いい夢を見てくださいホン。
――禁書ホンホン




