34 聞けちゃった!水龍の始祖秘話
酒宴の翌日。
まだキャラバンチルのあちこちに笑い声と歌の余韻が漂う頃、カゲミ、ゲル、リウラの三人は水面を渡る風に導かれるように、水龍の眠る泉へと足を運んだ。
澄んだ水の底から現れたのは、昨日と変わらぬ穏やかな龍の姿だった。
「おい、水龍さま」
カゲミが小さな体で腕を組み、泉の縁に腰を下ろす。
「教えてくれよ。ラグ・ノートリアの始祖って、水龍さまなんだろ!どんな奴だったんだ?」
龍はゆったりとまぶたを開き、しばし三人を見渡した。
「……始祖か。ひとことで言うのはむずかしいな」
重々しい声が泉の波紋を震わせる。
「むずかしい、ですか?」ゲルが首をかしげる。
「偉人や英雄と呼ぶにふさわしい存在だったのでしょう?」
水龍は静かに首を振った。
「英雄と呼ばれる前に、ただのひとりの記録師であった。
大洪水の時代、誰もが流され、声も歴史も途絶えかけた。
だが我の分身とそれに寄り添った彼らは、その混沌の只中で水に耳を澄まし、“忘れられゆく声”を書きとめ続けたのだ」
リウラがそっと息をのむ。
「忘れられゆく声……」
「そう。鳥の鳴き声も、沈んでいった村人の歌も。彼らはすべてを記録することを自らに課した。
その積み重ねが“ラグ・ノートリア”の礎となったのだ」
カゲミは泉を見下ろし、眉をひそめた。
「……じゃあ、すげぇやつだったわけじゃなくて、ただ“聞いてた”だけか?」
龍の瞳が柔らかく笑んだように揺らめいた。
「“ただ聞く”ことがどれほど困難か。人はすぐに忘れ、時に耳を塞ぐ。
だが、彼らは流されずに耳を澄ませ続けた。水のように。――それが始祖の強さだった」
ゲルが感嘆の声をもらす。
「……わかります、すごく勇気がいることだと……」
リウラは胸に手を当て、しんとした声でつぶやく。
「でしたらワタシたちも、耳を澄ませて歩いていかなきゃ……いけませんわ」
カゲミはむっと顔をそらしながらも、小さな声で呟いた。
「チッ……まぁ、聞くくらいなら俺にだってできるしな」
カゲミはしばらく唇をかみしめていた。
水面を見つめる瞳には、酔いも眠気もなく、ただ素直な問いがにじんでいる。
「……なぁ、水龍さま」
不意に声をあげた。
「どうして俺は、闇精霊になったんだ?」
ゲルとリウラが思わず顔を見合わせる。問いの重さを知り、息をのんでカゲミの背を見守った。
水龍はしばし沈黙した。泉の奥深くから泡がひとつ浮かび、消える。
やがて龍の声が、深淵から響くように返ってくる。
「……闇とは、拒絶や滅びだけではない。
光の届かぬところを受け止め、抱え込む“器”でもある」
「器?俺が?冗談だろ。俺は鮎の囮で、何度も喰われて、最後には……」
龍の瞳が水にゆらめき、彼の言葉を遮るように光を放った。
「だからこそだ。幾度も散り、幾度も戻ろうとする“渇き”を、闇は覚えていた。
お主の心は、光にすがらずとも消えなかった。――闇はその強靱さを求め、お主を選んだのだ」
カゲミは拳を握り、泉に拳を映した。
「選ばれた……?ふざけんなよ。そんなの、望んでねぇ」
リウラが声をかけようとしたが、水龍が続ける。
「望むと望まぬは別だ。
だが忘れるな、闇精霊とは“影”ではなく“隣”だ。光に寄り添い、失われた声を見つめる役目を担う。
お主がいることで、彼――瀬音もまた孤独に呑まれずにすむ」
カゲミの喉がごくりと鳴った。何かを言い返そうとしたが、声にならない。
ただ泉の水面に映る、自分の小さな姿を見つめ続けた。
水龍の声は、泉の奥から重ねるように響いた。
「カゲミよ。お主は鮎の輪廻から外れた。
そして今、セセラギであった――瀬音の隣に存在している。それに、不満があるのか?」
カゲミはぐっと目を見開いた。胸の奥でかすかなざわめきが広がる。
「……不満、って言われても……」
龍は続けた。
「難しく考えるな。答えは……そう遠くないぞ。
お主の心が選ぶ。光でも闇でもない、自分の居場所をな」
泉の水面に映る小さな影――それが闇精霊となったカゲミ自身だった。
カゲミは思わず目をそらし、拳を握りしめる。
「……チッ。そんな簡単に言いやがって……」
だが心の奥底で、微かな温もりが残っているのを、否定できなかった。
泉を渡る光が、水龍の鱗に淡く揺れた。
「カゲミ。お主が隣にいること――それ自体が瀬音を支えているのだ」
「……俺なんかが?」
龍は静かに首を垂れた。
「光を求める者には影が必要だ。影があってこそ、光はまっすぐに輝ける。
瀬音にとって、その影はお主だ。
お主が笑い、怒り、隣にいる。――それだけで十分なのだ」
ゲルが思わず笑みを浮かべる。
「結論が導かれましたね、カゲミさんは必要とされている」
リウラも小さくうなずいた。
「……そうよ。闇でも、光でも、カゲミが一緒にいてくださいな」
カゲミは視線を逸らし、頬を赤くしながら泉を蹴った。
「バカ言え。……俺は、俺だ」
その小さな声は、泉に溶けて柔らかな波紋となった。
水龍の言葉が泉に沈むと、あたりはしんと静まりかえった。
ゲルとリウラは互いに顔を見合わせ、何か声をかけようとしたが、カゲミは小さく手を振って遮った。
「……もういい。聞きすぎても、頭がパンクしそうだ」
短くそう告げて、泉の縁から立ち上がる。水面に映る自分の姿を見ないように、視線を逸らした。
胸の奥で言葉が渦を巻いていた。
“鮎の輪廻から外れた今の俺に、不満があるか?”
“俺が隣にいることって、支えになってる?”
――そんなことを、瀬音に言えるはずがない。
カゲミは唇を噛み、心の底に問いと答えを沈めた。
泉の水音が遠ざかるように静まった。
カゲミはしばらく黙っていたが、不意に肩をすくめて笑った。
「……ま、オレはオレだしな。闇だろうがなんだろうが、関係ねぇ」
その胸に残ったざらつきは、誰にも告げられることなく、ひとしずくの波紋のように心の奥底へ沈んでいった。
空を見上げた小さな影を、ゲルとリウラはただ無言で見守っていた。
酒宴の翌日は、どうしてこうも忙しいのでしょう……。
キャラバンチルの巫女、ユラナです。
あれだけ盛り上がった宴の後ですから、片付けの量も当然といえば当然。
ですが、今回は――ありがたいことに、手伝ってくれる仲間がいます!
え?もしかして、あのカッパ様が?ですって!?
そんなわけないじゃないですか!あの方はご自分の頭のお皿のことで頭がいっぱいになるのです!
正解は、精霊さんたちですよ!
ゲルさんは器をひとつひとつ丁寧に水で清めてくれるし、
リウラさんは歌うように布をひらめかせて、宴の残りを手際よく片づけていく。
カゲミさん? ……あの方は「重いのは俺に任せろ!」と、樽を軽々とコロコロと転がしてくださってます。
ええ、背丈からは想像もできない力持ちで……。
おかげで今回は、前ほど涙目にはなっていません。
ほんの少し、ですけれど。
宴は終わっても、笑い声と歌の余韻がまだ胸に残っています。
……これなら、片付けだって悪くありませんよね。
さて、次にどんな騒がしい出来事が待っているのかしら――。
またキャラバンチルにてお会いしましょう!




