33 空耳しちゃった!?酒盛りの宴……
「さて――宴の時間ッパ!」
突然そんな声が響き、タリクも僕も思わず振り返った。
「えっ……なんでカッパ様がここに!?」
ツバネが目を剥く。確かに、カッパ様はキャラバンチルに置いてきたはずだった。
「ふっふっふ、キャラバンチルの巫女や料理人たちを連れて参上ッパ!」
どこから持ってきたのか、桶に酒、山のような料理、ついでに煌びやかな提灯までぶら下げて現れる。
「うわー!屋台の匂いがするー!」美味しそうな匂いに、みるんがクンクン嗅いでいる。
「はなすん、腹が鳴ってるよ……」
「きくんも鳴ってるよ!」
巫女たちが笑いながら料理を並べていく。
焼き魚、煮込み、果実酒――滝の轟音を背に、広場は一気に祭りの空気へ変わった。
「おいおい、こんなときに酒盛りか?」タリクが眉を寄せるが、その声にはどこか和んだ響きがあった。
「だからこそッパ!継承の儀が無事に終わったんだろう?なら祝わねばなるまいッパ!
水龍さまの大好物、そ、れ、は――!」
カッパ様がわざとらしく間を取って桶を掲げる。
「……お、おい、まさか」僕がつぶやいた。
「そう!お酒ですッパーーー!!」
ドゴォォン!
滝が共鳴したように鳴り響き、蒼い水龍が顔をのぞかせた。
その巨大な口がわずかに緩む。……いや、あれ、笑ってない?
「くはは……久しぶりよ、この香り……」水龍さまが鼻先を酒樽に近づけ、嬉しそうに目を細める。
「ま、まさか水龍さまが……酒好き!?」ツバネが剣を落としそうな声を上げる。
「あっはは……水龍さま、酔ったりしませんよね?」セリアンが不安げに竪琴を抱きしめる。
「心配いらぬ……我は水の化身。酒は我が血潮を潤す妙薬ぞ!」
ゴゴゴッと音を立て、水龍さまが桶の酒をひと息で吸い込んだ。
「ぷはぁーー!これぞ生命の泉よ!」その声が空に轟き、星々がきらめいた。
「ちょ、ちょっと待って、滝つぼが……泡立ってない!?」
僕が目を凝らすと、滝の水面に無数の泡が弾けていた。
……まるで巨大な炭酸水。
「うわー!滝がシャンパンファイトみたいになってるー!」
「泡かぶった!」
「髪がぺったんこだよ!」
ベトベトの三人衆にくらべ……。
「防水モード発動だホン!」禁書ホンホンは冷静であった。
カッパ様は腹を抱えて笑った。
「これぞ水龍さまの宴ッパ!さぁ、皆で飲み明かすッパー!」
「タリク兄ー!かんぱーい!」
ミレイまで混ざってきて、タリクは一瞬たじろいだが、結局笑って杯を掲げた。
「かんぱい!」
滝つぼの光に杯がきらめき、笑い声がどっと広がる。
滝も、空も、光も揺れて――その夜は笑いと酒気に包まれていったのだった。
残念なことに、ただ一人。その笑いの夜を知らない人物がいた……。
重い扉を押し開けた瞬間、湿った空気が押し寄せた。
かつて清潔だったであろう館内は、今やカビと海藻のにおいで満ちている。
足を踏み入れると、砕けたガラス片。
水がにじみ出て、小さな流れを作っていた。
……ドボン。
割れたガラス水槽の奥で、水音がやけに大きく響く。
苔むした、誰も来ない廃墟と化した水族館。
その影に、ひとりの男が座していた。
「……はっ。空耳か?」
クロム・リーフは、冷たい水の匂いに満ちた空間で、眉をひそめる。
「……楽しそうに……酒盛りしてやがる残像が……見えた気がした?」
小さく吐き捨てるように笑った。だが、その声音には寂しさが滲む。
水槽のひび割れから滴る水が、まるで遠い笑い声のように耳にまとわりついて離れない。
賑わう幻の中に、決して自分は招かれることがないと知っているからこそ、心をざらつかせた。
「ふん……戯れ言だ。宴など……私には不要」
クロムは目を閉じる。だがその手は、膝の上で強く握られていた。
――暗い水族館の天井に、ただ自分の呼吸音だけが虚しく反響する。
その響きさえ、遠くで鳴る祭囃子にかき消されてしまうのではないかと思えるほどに。
「ここに仕掛けを施した。瀬音が兄を探しに来れば、必ず引っかかる……」
満足げに頷き、じっと入口を見張る。
だが――待てども待てども、人影は現れない。
「……おかしいな。まさか先に中に入ってしまったのか?」
眉をひそめ、しばし逡巡したのち、静かに吐息を漏らす。
「仕方あるまい。こちらから確かめるとしよう」
そう言って、堂々と自ら入口をくぐった瞬間。
――ガシャンッ!
「ぐっ……な、何っ!?」
宙吊りになった鎖の網がクロムを絡め取り、逆さまに吊し上げてしまった。
それは、彼自身が瀬音を捕らえるために仕掛けた罠だった。
「……っ、馬鹿な。これは……俺が仕組んだものだろうがっ!」
ぶら下がるまま、クロムの赤い目が悔しさと怒りに燃える。
だが廃墟に響くのは、彼のうめきと軋む鎖の音だけだった。
もがいて網から逃れると、バシャァンと頭上から水が落ち、クロムはびしょ濡れになった。
「……誰だ、こんなくだらぬ罠を――……はっ」
鏡面に映る自分の顔と、ガラスの奥で揺れる魚影。
策士の冷たい瞳が、みるみる赤面したように揺れた。
「……私が……仕掛けたのだったな……」
廃墟の水族館に、しとど濡れのクロム・リーフの呻きが虚しく響き渡った。
奥へと進むと、巨大な水槽が並んでいた。
かつては海の生き物が泳いでいたであろう透明な檻
――今は、黒く濁った水が淀み、冷たい監獄と化している。
クロムの赤い目が、鋭く光を探った。
「ここか……瀬音の兄が囚われているという檻は」
だが、近づいた瞬間、その表情が硬直する。
――水槽の中には誰もいなかった。
床に転がる枷は、すべて外され、鎖の音すら残っていない。
「……なに……?いない、だと……」
指先がわななき、強くガラスを叩く。乾いた音が廃墟に虚しく響く。
「俺を……欺いたのか。誰が――」
苛立ちが爆発し、クロムの黒衣が水槽の影に広がる。
だがその声に応えるものはなく、ただ水滴の音だけが、広い館内にぽつりと落ちていた。
クロム・リーフは、完全に空振ったのだった。
その瞬間。
廃墟の水族館全体に、錆びついたスピーカーから不快な音が響いた。
ジジッ……バリバリ……!
『――クロムよ!』
耳障りなほどひび割れた声が、水音をかき消す。
『おまえ、どこで何をしておる!協会長からの水鏡をまだ見ておらんのか!?
リヴァー・プリスティンだけではない!
影狩り一族も、旧き記録師も、挙げ句は吟遊詩人までもが
――光となり、世界中に届いているのだぞ!』
残響が壁を震わせ、砕けたガラス片がカラカラと落ちた。
「……うるさい」
クロムは苔むした床に吐き捨てる。
だが告げられた光景は否応なく胸を刺す。。
自分だけが取り残されているという現実を、嫌でも突きつけられる。
「光……か」
やがて――肩が震え、指が、こめかみを押さえながら、ぎゅっと歪んだ笑みを形作る。
「ああああああはははははは! おもしろい! 実におもしろいよ!」
狂気の響きが館内に木霊する。
黒衣の裾が水面を叩き、波紋を広げる。
「君も……小魚くんも……小悪魔ちゃんたちも……!みんな知ってたんだねぇ!私が踊らされるとは!」
目を爛々と輝かせ、両腕を大きく広げて天井を仰ぐ。
「なんて!おもしろいんだ!あはーーっ!」
笑い声はいつしか咆哮へと変わり、水槽のガラスが震える。
クロムの狂笑が、空振りの悔しさを掻き消すかのように館全体を揺らした。
――だが、不意に。
クロムは笑みを消し、すっと無表情に戻る。
「ならば――囮を造ればいい」
紅い目が細く歪み、指先で水滴を弄ぶ。
ぽたりと落ちた滴は、歪な魚影となって蠢いた。
「小魚くんが焦って動くように。小悪魔ちゃんが飛び込まずにいられぬように。
……見事な罠を仕立ててやろうじゃないか」
――影に潜む裏記録師たちの動きも、計算のうち。
「さあ、踊ろうか。君たちの命の糸が、どれほど美しい音を奏でるのか……。
遊びは終わりだ。必ず、捕らえる。次は……逃がさないよ」
廃墟の水族館を満たすのは、狂笑の残響ではなく、冷酷な誓いだった。
黒い影は波間に溶け、次なる舞台へと歩を進めた。
「ひっく……あ、あとがきぃ〜……ホンホンだホン……。
ちょっと飲みすぎたホン……でも、がんばって……語るホン。
むかしむかぁ〜し……あるところに、クロムっていう男がいたホン。
そいつはね……みんなが酒盛りしてる幻を、ひとりで、空耳しちゃったんだホン。
『おーい、楽しそうだなぁ〜!』って思ったけど……実際は、廃墟の水族館。
カビと海藻のにおいだけ〜! さみし〜!
でもクロムは強がるホン。
『宴などいらぬ!』とか言ってたけど……ほんとはね、カンパイしたかったんだホン。
だって、網にひっかかって、逆さまになってるとき……ちょっと涙目だったホン。
あれはね……絶対に、かわいそうの証拠だホン。
けど、童話だから言うホン。
いつかクロムも……誰かと笑う日が来るホン。
そのときは、ぜったいホンホンが乾杯してやるホン。
ひっく……約束、だホン……。
おやすみなさいホン……Zzz……」




