31 映しちゃった!?証人は世界中の水鏡!?
深き洞窟の奥、静まりかえった湖があった。
鏡のように澄んだ水面が一滴の揺らぎを合図に震え、波紋が広がる。
その中心から蒼白の光が生まれ、水の粒が浮かび上がり、渦を巻いて天へ伸びていく。
やがて巨大な影が姿を結んだ。
――水龍。
鱗は月光を飲み込むように淡く光り、しなやかに波打つ体躯は湖そのものが形を得たかのよう。
瞳は深海を思わせる青で、覗き込む者の心を映し出す。
轟音が洞窟を震わせる。
咆哮とも歌ともつかぬ声が四人を包み込み、それは威嚇ではなく――試す声。
「……来たか、記録師たちよ」
音ではなく、心に直接響く声。
天と地を結ぶ水の守護者が、悠久の眠りから目覚め彼らを見下ろしていた。
「ラグ・ノートリアの祖師とは水龍さまなのですか?」
僕の問いに、洞窟の空気がぴんと張りつめる。
静寂を破ったのは、水龍そのものの低い響きだった。
「それは、我が興味心から生まれた“影”よ。
人が欲望と嘘に溺れるたび、そやつは心を傷つけ、記録を歪めた……。
人々は畏れと敬意を込めて、いつしか“祖師”と呼んだのだ」
水面が淡く揺らぎ、一瞬、そこに白い影の人影が浮かんでは消える。
「だが、その影はついに我へ還り、眠りについた。
――ゆえに祖師はもはや存在せぬ。ただ、水に刻まれた記憶だけが残る」
ホンホンが甲羅を叩いて「ぴったり答え合わせ~!」と跳ねる。
一同は、己が触れている歴史の深さに言葉を失っていた。
水龍は深く息を吐き、洞窟全体を震わせる。
その声は滝の轟きにも似て、同時に春先のせせらぎのような優しさを帯びていた。
「……先ほどの誓い、見事であった。嘘偽りない心を見せられるとは。
我は何度裏切られても、こうして真の心を知るたび、嬉しくなるのだ」
鱗が淡く光を放つ。瞳は底知れぬ水の奥を映し出している。
「我が眠りは長く、その間に記録師協会は腐食した。かつての理想は灰となり、欺きが蔓延している。
そこの精霊ゲルよ、直ちにこの不忠を告げよ。我は許さぬ、これより清浄を為す。」
水龍の言葉が洞窟に落ちると、空気が一瞬凍りついた。
ゲルは顔を強張らせ、拳を握りしめる。胸の奥で何かが燃え上がるのを感じながら、低く頷いた。
「わかりました。世界中の水面を水鏡にするご許可をください」
目には覚悟と不安が混ざる。
「……よかろう。許す」
「では、この水鏡を通じて……キュリシア全土に告げましょう。ラグ・ノートリアの継承を!」
「いま再び、我が力を解放する――!」
水龍の声が洞窟を震わせると同時に、水鏡の表面が揺れ、大河のような光が奔った。
光は地下から地上へ、泉から川へ、川から湖へ。
やがて海を渡り、大陸全土へと広がっていく。
アオハの町では、井戸の水面に突如として幻が浮かび、子供たちが「わあ!」と声をあげる。
農村では、田の水鏡に勇姿が映り、老人が手を合わせ涙ぐんだ。
交易都市の噴水広場では、行き交う商人たちが足を止め、目の前に現れた継承の儀にざわめきが走る。
さらに遠く、砂漠のオアシスや雪山の氷湖にさえも、その光景は届いた。
忍の誓いを果たすツバネ。
祖師の記録を受け継ぐタリク。
歌で真実を響かせるセリアン。
そして、青鮎の魂を宿しながら前へ進む瀬音。
彼らの姿が、水鏡を通じてすべての人々の前に映し出された。
人々は息を呑み、その心は――確かに揺さぶられていた。
森深く、息をひそめるように暮らしていたラグ・ノートリアの隠れ里。
井戸水に浮かんだ継承の光景に、子供たちが驚き、大人たちは立ち尽くす。
「……タリク……あの小さかった子が……!」
白髪の老婆が涙を流し、若者たちは拳を握りしめた。
閉ざされてきた扉の外に、希望の光が差し込んでいた。
一方、記録師協会の執務室。豪奢な水盤に現れた映像を見て、執務官たちは顔を青ざめさせた。
「な、何をしている!? あの儀式は……禁忌のはずだ!」
「協会を通さずに……全土へ流しただと……!」
だが足元の弟子や下働きの書記たちは、息を呑み、密かに心を震わせていた。
「これが……本当のラグ・ノートリア……」
荒野の旅商人は水袋の水面に光景を見た。
雪深き山村では、炉端の水椀に映る歌に耳を澄ます子らがいた。
港町の船乗りたちは、樽の水に走る光を見て歓声を上げた。
「……これが、新たな時代の始まりかもしれないな」
それぞれの場所で、人々は同じ光景を目撃し、胸に刻み込んでいった。
その時、水鏡が揺れ、波紋の奥から水龍の声が再び響く。
「よくぞ嘘偽りなき心を見せた……。
この誓いは、もはや一部のものではない。
世界そのものが証人となったのだ」
その宣言は、希望と同時に――大いなる波乱の幕開けを告げていた。
アオハの町にも、水鏡に映し出されたあの光景は届いていた。
誓いの場面を見届けた子供たちは、広場に集まって「継承の儀ごっこ」を始める。
「ぼくが水龍さまだ! ドロドロドロ〜!」
大きな声で唸ると、背中に毛布を羽織って龍の真似をする。
「じゃあ、わたしがツバネ!シュバッ!忍者のかっこいいポーズ!」
木の枝を振り回して刀さばきを真似る子。
「わたしはセリアン! ら〜ら〜♪」
即興の歌をうたって、みんなを笑わせる子。
「タリクのセリフは……『魂を継ぐ!』だよね!」
「じゃあ、瀬音は……『流されても進む!』だ!」
言葉を真似しながら、幼い目はどこか真剣だった。
まだ意味のすべてを理解していないけれど、心には確かに光が宿っている。
見守る大人たちは笑い、時に涙ぐみながら、その遊びに目を細めていた。
彼らの未来に、あの誓いが種のように芽吹いていくことを信じて――。




