149 気になっちゃった!?青鮎の“右手”!?
檻ではなくなったアクアプリズン。
その静けさを破るように、やたらと元気な声が飛び込んできた。
「セオトー!!ここにいたのか! 助けにきたぞー!!」
怒涛のごとく影が一直線に迫ってくる。
「……カゲミ?本物!?」
一瞬、現実感が追いつかなかった。
「ぐすっ…………無事そうでよかった」
次の瞬間――
「オトちゃん!無事でよかったぁ……!本当に、心配したんだから!!」
エイミがほっと息を吐き、胸に手を当てる。
「え?母さん!?」
「正面突破してたら、もっと早く会えたホン!」
ホンホンが胸を張る。
「あ、ホンホン。カゲミと一緒だったのか!」
「いやいや、結果オーライだ。ちゃんと生きてた。まずはそれで十分だ」
マモリが肩をすくめる。
「父さんまで!どうしてここに!?」
思わず、笑ってしまった。胸の奥で張りつめていたものが、ほどけていく。唖然とする僕に、母さんが簡単に状況を説明してくれた。
「……うん、来てくれて、ありがとう」
短く、けれど確かに頷く。
そのときカゲミの視線が、ふと僕の右手に留まった。
「……セオト、そのアザ……?」
左手は、何もないまま自由だった。 右手には、淡く光る刻印が残っている。
カゲミは、じっとそれを見つめたあと、何も言わなかった。ただ、少しだけ口元を緩める。
「……そっか。ちゃんと……選んだんだな」
小さく、けれどはっきりと。
マモリも、静かに頷いた。
「刻む形を、外じゃなく内に変えたか。重いぞ、その覚悟」
「うん。でも僕には……必要だった」
「セオト。枷は、外すものじゃない。森では、縛る縄は――朽ちるまで待つものなんだ。この鎖は、“未来が一つしかない”という前提で編まれていた。だが……」
父は、わずかに笑った。
「お前が正解だったな」
歌。ズレた行進。笑う魔物。逃げない青鮎記録師。
「未来が増えた。お前の覚悟が創ったんだ――」
森の記録師は、穏やかにそう告げた。
そのやり取りを、周囲の青鮎記録師たちも息を潜めて見ていた。
歓声でも、拍手でもない。ただ確かめるような視線が、僕たちへと集まってくる。
「……外から、来た人たち……?」
「いや……違う……」
誰かが、囁く。
青鮎記録師の一人が、ふとマモリの姿に気づいた。水草の揺れに溶けるように立つ、落ち着いた背中。森の気配をまとった、その在り方。
「……まさか……」
「……森の……?」
「記録師……?」
声が、震える。水が、ざわ、と鳴った。恐怖ではない。期待とも違う。長く閉じ込められていた場所に、外の名前が落ちたときの音。
「……森の記録師、マモリ……?」
「生きてたのか……」
「本当に……来たんだ……」
名が広がるにつれ、ざわめきは、次第に静まっていった。騒ぐ者はいない。ただ、信じられないものを見る目が、ひとつ、またひとつと増えていく。
マモリは、その視線を受け止めて、静かに一歩前へ出た。肩の力を抜いたまま、いつもの低い声で言う。
「……久しぶりだな。青鮎の者たち」
水草が、彼の足元でゆっくりと揺れた。
「ここまで、よく耐えた」
その一言で。何かが、ほどけた。
「……俺たち……」
「……見捨てられて、なかった……?」
誰かの声が、泣きそうに掠れる。
マモリは、首を横に振った。
「記録師は、仲間を切り捨てない。それだけは、昔から変わらない」
水底に、深い静寂が落ちた。歓声はない。けれど、誰も俯かなかった。
青鮎記録師たちは、この場所の外と――確かにつながったのだと、理解していた。
「……そうか。マモリさんの息子だったのか、お前は……」
そして僕は、その輪の中心で、右手の刻印を、そっと意識する。
――この人たちも、同じ重みを、知っている。
だから――胸の奥に不思議な安心が広がっていった。
エイミが一歩前に出る。微笑んで、指を鳴らす。
「さぁ!ここからは、ひとりじゃないわよ」
「うん。母さん、父さん、カゲミ、ホンホン。青鮎記録師のみなさんも。行こう!」
その言葉に応えるように――水の奥で、音が膨らんだ。
拍子。旋律。泡が弾ける軽やかなリズム。
「魔物たちのパレードが……始まった」
マモリが前を見る。
魔物たちが、動き出している。だが、もう恐怖はない。整列でも、拘束でもない。
歩調だ。
「これがオラクルパレード……でも、なんか……雰囲気が楽し気だホン?」
ホンホンが目を丸くする。僕は、右手を胸に当てたまま、左手を前に伸ばす。
「うん。これは……奪う行進じゃない」
「カゲミ……一緒に!」
「おう!置いてかれる気、ないからな!」
僕たちは手を握りあった。久しぶりのカゲミだ。
「ウフフ。私たちも、記録師さんたちも、全員参加で。魔物のお祭りね!」
「護りは任せろ!道は、森が読む」
マモリが低く言う。
青鮎記録師たちも、動き出す。鎖はない。だが、右手の重みは、皆同じだ。それでも足取りは、確かだった。
魔物と、人と、記録師と。立場も、過去も違う者たちが、同じリズムで進む。
オラクルパレードは、今や祝祭だった。生きている者が、生きたまま、選び続けるための行進。
水底の舞台で、僕たちは一歩を踏み出す。
左手は、未来へ。右手は、記録と共に。
水底が、騒がしい。だがそれは、恐怖のざわめきではなかった。
触手の魔物が、音に合わせて揺れている。鱗の魔物が、隣とぶつかって笑っている。隊列は崩れ、拍子はズレ、儀式としては致命的。
それでも、止まらない。
太鼓のような水圧。泡の弾ける音。どこか――祭りの失敗みたいな、陽気さ。
「何かが……やって来るぞ……!」
森の記録師、父さんが何かを察知する。
歌とリズムが重なり、光が水に踊るその只中で、ふいに音が消えた。
静寂。
打楽器も、泡の弾ける音も、誰かの笑い声も――すべてが、一拍だけ息を止める。
次の瞬間。
水が、沈んだ。重く、深く、引き込まれるように。水圧が変わる。流れが反転する。まるで、この水域そのものが――頭を垂れたかのように。
「……なに、これ……」
誰かの声が、震えた。
最深部の闇が、ゆっくりと裂ける。白銀の光が、一本の線となって現れ、次第に輪郭を持ちはじめた。
それは鱗だった。巨大で、透きとおるようで、光を拒まず、抱き込む。
龍のようで、魚のようで――いや、そのどちらでもない。
水の中に溶け込みながら、確かに“そこにいる”存在。
長大な身体が、しなやかにうねる。尾が揺れれば、余波だけで水が澄み、濁りが剥がれ落ちていく。ひと振りごとに、歪められた記録が、泡となって浮かび、消えた。
「こんなところにいたのね……古代水霊獣……」
エイミが、息を呑み涙ぐむ。
「シュレイヴァ……ちゃん」




