137 動きはじめちゃった!?それぞれの流れ!?
「ほぉ。元ノートリアで、ファントムなのに……劇場の支配人か。摩訶不思議だな」
低く落とされた守杜の声は、感心とも警戒ともつかない響きを含んでいた。
屋根付きの休憩所には、ハーブティのやわらかな香りがまだ淡く残っている。
ベンチの端では、カゲミがすっかり眠り込んでいた。影を抱くように身を丸め、規則正しい寝息を立てている。無理を重ねてきた反動だろう。
その横で、禁書ホンホンがページをぱらぱらと揺らしながら、旅のあらましを語っていた。
「それでホン、セオトが消えちゃって、カゲミが影占いして、ホンホンが飛び出して木に引っかかって……」
「順番に話してちょうだい」
詠水が、くすっと笑いながら促す。
「むずかしいホン!でも大事なところは、劇場に行けばわかるホン!」
ホンホンは胸を張るように、少しページを反らせた。
マモリは腕を組み、静かに頷く。
「クロム……か。ノートリアの中でも変わり者だったが……あの場所を守っているとはな」
エイミは、どこか懐かしむように微笑んだ。
「ふふ。過去を背負ってる感じはしたけど……悪い人じゃないわよね」
「そうホン!」
ホンホンは勢いよく同意する。
「ちょっと変だけど、劇場はちゃんと守ってるホン!」
しばしの沈黙のあと、エイミがふと思い出したように声を上げた。
「あらあら……汐くんが、もう記録師協会長なのね~」
指を口元に添え、目を細める。その言葉に、マモリがわずかに目を見開いた。
「……もう、そんな立場か」
「早すぎるくらいよね」
エイミは遠くを見るように続ける。
「でも、あの子なら……背負ってしまうんでしょうね」
ホンホンは、ぴたりと動きを止めた。ページの隙間から、眠るカゲミを一瞬だけ見やる。
「……背負うの、みんな得意すぎホン」
ぽつりとこぼした声は、いつもより少し低かった。
マモリは、その言葉を否定しなかった。
「だからこそ、誰かが隣にいなければならない」
今は不在の息子たちを思いながら、視線は眠る闇巫女と、語る禁書へと向けられていた。
「俺たちも行くか。ミラソムの劇場へ」
「そうね。協会にも行って……驚かしちゃいましょう」
「嬉しいホン! ありがとうだホンホン!」
ホンホンはぱたぱたとページを震わせ、はしゃぐように宙を一回転した。
屋根の下。カゲミのもとに味方が増え、新たな流れが動き始めていた。
そのころ――
村の水源、久潤の泉のほとり。
水面は不思議なほど静まり返り、そこに映る空は澄みきっていた。
泉萬介――人々からは敬意を込めて「亀様」と呼ばれる存在と向き合い、セリアンとミラはすでに言葉を交わし終えていた。
ホンホンから託された伝言は、いったんメリフル村に届けられ、村外れで合流したツバネとも、すでに共有されている。
そして今。旅立ちを前に、村を見渡せる丘の上。
村人たちが円を描くように集まり、誰もが固唾をのんで、二人を見つめていた。
セリアンは一歩前に出て、リュートを構える。深く息を吸い、静かに――弦を鳴らした。
――ひと音。
それだけで、ざわついていた空気が、嘘のように鎮まった。言葉はない。だが音は、水脈のように村全体へと行き渡っていく。
続いて、ミラが微笑んだ。
その笑顔のまま、彼女は歌い出した。明るく、軽く、それでいて芯のある旋律。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ! 流れは止まってないよ!」
歌声は風に乗り、丘を越え、村へと降りていく。
子どもが顔を上げて笑い、大人はふっと肩の力を抜いた。
胸の奥に溜まっていた不安が、音に洗われるように、少しずつ沈んでいく。
協奏が終わると、しばしの静寂。 やがて、セリアンが振り返った。
「それじゃあ、僕たちもセオトを助けに行きます」
穏やかだが、迷いのない声だった。
「各地の異変も……気になりますしね」
ツバネが頷く。
「頼むぞ。拙はここを守る」
そこへ、ミラが笑顔で伝える。
「実は……」
彼女の手のひらで、小さな影がもぞりと動く。
「子亀さまたちが、同行してくれることになった。……ツバネのそばにもいてくれるそうだよ」
「えっ――」
次の瞬間。
「きゃあああ! かわいい亀ちゃん!」
甲高い声を上げたのは、ツバネの胸元にいたリウラだった。目をきらきら輝かせ、小さな手を伸ばす。
「ちっ……かわいいな」
ツバネのつぶやきが、すべての答えだった。
ミラはその様子を見て、くすっと笑う。
「ふふ、守ってくれそうだね」
セリアンは泉のほうへ一礼する。
「ありがとうございます。では行ってきます」
久潤の泉は、何も語らない。ただ、水面がやさしく揺れ、光を返した。
こうして、また一つ流れが生まれる。
それぞれの場所で、それぞれの想いを乗せながら――物語は、前へ進んでいった。
「あれ?」
夕陽に染まるミラソムの丘で、遊び疲れた子どもが足を止めた。
「……ここにも、亀?」
草の影から、ちょこんと顔を出した小さな甲羅。
ゆっくり、のそのそ。逃げるでもなく、威張るでもなく、ただそこにいる。
「ちっちゃ!」
「かわいいね!」
次の瞬間、子どもたちは一斉に声を上げた。
きゃいきゃいと笑いながら、夕焼けの中を駆け回る。
「またねー!」
「バイバーイ!」
誰かが手を振り、誰かが振り返り、
やがて足音は坂の向こうへ消えていった。
丘に残ったのは、沈みかけの夕陽と、静かな風。
そして、草むらの中で並ぶ、小さな甲羅たち。
子亀さまたちは、互いに顔を見合わせるように、
――ぽてん、と首を引っ込めた。
何も語らず、何も誇らず。
けれど確かに、今日もひとつ、流れを見届けている。




