136 言えちゃった!?甘くとも僕の誇り!?
檻の中に、重たい沈黙が落ちていた。水の気配すらないこの場所で、誰もが流れを失った魚みたいに、口を閉ざしている。
その沈黙のただ中で、僕は囚われた記録師たちに告げた。膝が笑っているのが、自分でもわかる。
「……僕は、あきらめない」
声は震えていた。強がりだと、笑われても仕方ない。自分でも、甘い考えだと思う。
「甘い考えかもしれない。でも……」
檻の向こうにいる年老いた記録師たちを見る。長い時間を生き延び、流れを知り尽くした目。その視線が、胸に刺さる。
「今日を生きたことを、誇っていいと思える世界を……残したいんです」
一瞬、誰かが息を呑む音がした。僕は拳を握りしめる。逃げないために。
「誇りが、直接助けにならなくてもいい」
言葉を選ぶ余裕なんてなかった。胸の奥から、逆流するみたいに感情が溢れてくる。
「誇りを捨てたら……助かったとしても、それは“生きてる”って言えない」
静まり返った檻の中で、僕の声だけが残る。誰も拍手しない。誰も同意しない。
――それでも。
年老いた記録師の指先が、檻の影でわずかに止まった。水の流れをなぞるみたいだったその動きが、ほんの一瞬、揺らぐ。
僕は、その小さな揺れを見逃さなかった。流れは、まだ消えていない。そう、信じられた。
「これが、僕の誓いだよ。ホンホン」
胸元に視線を落とし、いつもの調子で声をかける。返事があるはずだった。ページをめくる音か、呆れたような相槌か。
――何もない。
「……あれ?」
思わず、鎖に繋がれてない左手で胸元を探った。あるはずの重みが、ない。
「ホンホン?」
呼びかけても、沈黙だけが返る。
「……え?……うそ……いつから?」
そのころ――
ホンホンとカゲミは、ミラソムの劇場を目指していた。
石畳の道は緩やかに続き、遠くに尖塔の影が揺れている。だが、影の中を歩くはずのカゲミの足取りは、どこか不安定だった。
「ねえ、カゲミ」
ホンホンが、ぱたぱたとページを揺らしながら声をかける。
「疲れたんじゃない? カゲミ。ちょっとチルしようホン!」
いつもの軽い調子。けれど、その声に、カゲミはすぐに返事をしなかった。
慣れない影占い。 流れを読む代わりに、無理やり影を引き寄せた反動が、まだ体に残っている。
歩くたびに、影の輪郭がわずかに揺れ、震えが隠しきれない。
「……」
ホンホンは、その変化を見逃さなかった。
(いつものツンが出ない……やっぱり疲れてるんだホン)
「カゲミ?」
少しだけ声の調子を落とす。
カゲミは、影の縁に手をつき、立ち止まった。短く息を吐き、ぼそりと呟く。
「……そうだな」
一瞬の沈黙。強がりを探す間もなく、素直な言葉が落ちた。
「休憩したい……かも」
その言い方が、あまりにも小さくて、ホンホンは一瞬、ページをめくるのを忘れた。
「あそこ、屋根見えてるホン!チルできるとラッキーだホン!」
カゲミは、しばらくその背中を見つめてから、小さく頷いた。
「……助かる」
石畳の脇に、屋根付きの小さな休憩所があった。公園のベンチのような造りで、柱には蔦が絡み、風を避けるのにちょうどいい。
――いい具合に、休めそうだ。
「ここで休憩だホン!」
ホンホンが先にふわりと滑り込み、ベンチの上でぴょこんと弾む。
だが、近づいてみると、すでに先客がいた。
「あら」
明るい声が、影の中に響く。
「旅人さんが来たわよ、守杜」
声の主は、美人で、しかもどこか親しみやすい女性だった。陽だまりみたいな笑顔で振り向いた、その次の瞬間――
「あらあら? ホンホンちゃんじゃない!」
ぱっと表情が輝く。
「久しぶり~!」
「えっ?」
カゲミが驚くより先に、
「うわーい!!」
ホンホンが、勢いよく宙に跳ねた。
「エイミさんとマモリさんだホン! 会いたかったホンホーン!!」
ページをばさばささせながら、全身で喜びを表現する禁書。そのテンションの高さに、カゲミは思わず一歩引いた。
「……知り合い?」
「知り合いどころじゃないホン!」
ホンホンは胸を張る……ように見えるページの反り。
ベンチの奥に座っていた男性が、ゆっくりと立ち上がった。穏やかな眼差し。木立のように静かな佇まい。
「ホンホン……紹介してもらえるかな?」
カゲミが、少しだけ困ったように言う。
「あっ、そうだったホン!」
ホンホンはくるりと向き直る。
「こちら、瀬音のお父さんだホン!」
男性が、軽く会釈をする。
「森の記録師、守杜だ」
続いて、先ほどの女性が一歩前に出る。
「私は瀬音の母、水巫女の詠水よ」
その瞬間、詠水はカゲミを見て、ぱっと目を輝かせた。
「――あなたが、カゲミちゃんなのね!」
距離を詰めるのが、やけに早い。
「オトちゃんから聞いてたわ! 影の子で、口は悪いけど根は優しくて……」
「ちょ、ちょっと!」
カゲミが思わず声を上げる。
「会いたかったのよ~!」
両手を広げて、にこにこと笑うエイミ。カゲミは一瞬たじろぎ、それから観念したように肩をすくめた。
「……どうも」
短く返したカゲミの声に、マモリが小さく笑った。
「ここは休憩所だ。よかったら、一緒に休んでいくといい」
その言葉を待っていたかのように、エイミが一歩近づく。
「カゲミちゃん、調子悪いんじゃない!?」
覗き込むようにして、その手を取った。
「ほら、ここ座って。こんなに冷えて――」
両手が包み込むように重なり、エイミは静かに癒しの力を流しはじめる。じんわりと、体の奥から温かさが広がっていった。
張りつめていた影がゆるみ、歩き続けていた疲れが、ようやく表に出ていく。
「あ……ありがとう、エイミさん」
思わず、素直な声がこぼれる。
「うんうん。無理してたでしょ」
エイミはにこりと笑い、肩にそっと手を置いた。
「少し眠ったほうがいいかもね」
ふと、背後の小鍋に視線を向けた。湯気がふわりと立ちのぼり、やさしい香りが屋根の下に広がっている。
「今、お湯わかしてたところなの。水巫女特製ハーブティ、どう?」
「……いただきます」
カゲミがそう答えるより早く、胸元から弾んだ声が飛び出した。
「ありがとうホン!回復しちゃうホン!」
「ふふっ」
エイミは楽しそうに笑って、両手を軽く振り上げる。
「疲れなんか――ワンッ、トゥ!アタッック!よ!!」
言葉と一緒に、温かな気配がふわっと広がった。影に溜まっていた重さが、少しずつ溶けていく。
屋根の下、並んだベンチの上。湯気の立つ香りと、人の気配。
偶然の再会は、張りつめていた旅の疲れを、静かに、そして確かに溶かしていった。




