131 早まっちゃった!?封印の記録師、たち!?
セリアンとミラの力によって、村はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
ツバネは見回りのため、村を離れている。
その隙に――異変は起きた。
「ツバネさん!水路と畑が、おかしなことになっちまってる!」
「流れが、変だ!」
最初に気づいたのは、畑に出ていた村人たちだった。
ツバネの姿はない。ざわめきの中で、僕は一歩前に出る。
「僕が行きます。誰か、ツバネに知らせてください!」
止まっていられなかった。判断する人間が、今ここに必要だった。
村の外れ。古い水路のそばで、地面が歪んでいる。
その痕跡を見た瞬間、背筋が冷えた。
「……これ、放っておいたらまずい」
記録に残っていた現象と、よく似ている。小さな歪みが、やがて周囲を巻き込み、崩壊へと広がる――。
広がる前に封じる。それが、教えられてきた正解だった。
「僕が、封じてみるね」
迷いはなかった。正しいと、信じていたから。
「待て、セオト! 早まるな!」
カゲミの声が飛ぶ。
けれど、その前に――僕は札を、水路の要へと打ち込んでいた。
光が走り、結界が展開する。歪みは、確かに止まった。
「……よし」
息をつく。成功だ、とその時は思った。
「セオト、早計すぎるだろ。うまくいったんならいいけどさ」
カゲミがため息をつく。
――だが。
水の音が、消えた。
「……え?」
流れが、ぴたりと止まっている。
次の瞬間、村の方角から声が上がった。
「水が来ねぇ!」
「畑が……!」
「井戸が、空だ!」
胸が、冷たくなる。
封じたのは歪みだけじゃなかった。村を生かしていた――流れそのものを、止めてしまったのだ。
「ち、違う……これは……」
慌てて札に手を伸ばす。剥がそうとするが、結界はびくともしない。
そのとき、足音が駆けてくる。
「セオト」
振り向くと、ツバネが立っていた。
「……何をした」
責める声じゃない。だからこそ、胸に深く突き刺さった。
「僕は……正しいと思って……広がる前に、止めないといけないって……」
言葉が、途中で折れる。
村人たちの視線が集まる。怒り。困惑。不安。
――全部、自分が招いたものだ。
「……僕のせいです」
視線を落とす。
「カゲミが止めようとしたのに、先走ってしまった。守りたかった。役に立ちたかったんだ……」
拳が、震える。
「でも……僕が、村を止めました」
沈黙が落ちた。 しばらくして、ツバネが一歩前に出る。
「失敗だ」
はっきりとした言葉。肩が、びくりと跳ねる。
「だが――隠すな。一緒に、立て直すぞ!」
その言葉に、救われた気がした。同時に、逃げ場を失った気もした。
「うん、ありがとう……」
僕は、歯を食いしばる。
(正しさだけじゃ、足りない。僕は……それを、知らなかった)
封じた歪みの前で、僕は初めて、自分の未熟さと向き合っていた。
歪みは、封じられたままだった。
水は止まり、畑は乾き、村は息を詰めている。
ツバネと数人の村人が応急の水汲みに走り、ミラとセリアンが不安を抑えるために村の中央に残った。
その少し離れた場所で、僕は立ち尽くしていた。
――視線を、感じる。
村の外れ。 壊れかけた石垣の向こう、水路と地面の境目。
そこに、誰かがいた。
姿は、見えない。けれど――確かに、“見られている”。
(……気のせい、じゃない)
背中に、じっとりとした感覚が張りつく。視線というより、観測。存在そのものを測られているような、不快な静けさだった。
記録師としての感覚が、警鐘を鳴らす。これは、偶然の失敗じゃない。
(もしかして……図られている?)
胸の奥が、ひやりと冷える。
歪みが現れ、
記録に従い、
正しい手順で封じた。
――それでも、失敗した。
(同じことが、他の場所でも起きているとしたら)
思考が、止まらない。
変異は、各地で発生している。もし、自分と同じように対処した記録師がいたら。
同じように「正しさ」を選び、同じように、流れを止めてしまった者がいたら。
「……僕だけ、じゃない?」
思わず、声が漏れる。
点だったはずの失敗が、線になる。線が、面に広がる。
世界のどこかで、誰かが同じ選択をし、同じ後悔を抱えているかもしれない。
「じゃあ……どうやって、止めるんだ」
小さく呟く。
記録師協会が、脳裏をよぎる。規則。報告。承認。判断。
(……間に合わない)
そう直感してしまった自分が、怖かった。
協会は、頼れない。けれど、今の混乱の速さに追いつける仕組みを他に知らない。
(世界中の歪みを、どうやって……)
答えは出ない。ただ、不安だけが、静かに膨らんでいく。
再び、視線を感じる。
誰かが、この思考すらも、どこかで――見ている気がした。
僕は、拳を握る。
(……考えなきゃいけない)
正しさの、その先を。一人で抱えるには、あまりにも大きな流れを。
水の止まった水路が、何も言わずに横たわっていた。
村の中では、小さなざわめきが残っていた。
「……封じたら、よくなるんじゃなかったのか」
「記録師さんでも、間違うことがあるんだな……」
声は低い。誰も大声では言わない。
だが、沈黙の中に混じる疑念は、かえって重かった。
ツバネは、そんな空気を感じ取り、村人たちに向き直る。
「止まった水は、必ず戻す。この失敗は、拙者たち全員の問題だ」
誰も反論しない。それでも、完全には頷けない顔が、確かにあった。
僕は、その様子を見て、胸の奥が締め付けられる。
(信じてくれてたんだ……だから、余計に)
守ろうとした結果が、信頼を揺らしてしまった。 その現実が、重い。
その夜。
水路の歪みから、少し離れた場所。
月明かりの届かない影の中で、少年が立っていた。
「……なるほど」
裏記録師、カルマ。
少年は、水の止まった流れを見下ろし、静かに呟く。
「封じる判断は、教本通りだね。セオト兄ちゃん。早さも、技術も、申し分ない」
評価するような口調。だが、その目は冷えている。
「――だけど、世界を見ていないよね」
カルマは、指先で水面をなぞる。動かない水が、かすかに揺れた。
「どうするかな?歪みと流れは、切り離せない。守るつもりで止め、止めたことで壊しちゃった」
小さく、笑う。
「いい失敗だよ。 “正しい者”が、必ず通る場所だもん」
視線の先に、村の灯りがある。そして、その中心に――セオト。
「この痛みを、どう扱う?セオト兄ちゃん」
それ次第で……器にも、駒にもなっちゃうけどね。
カルマは、踵を返す。
「……見せてもらうよ」
水音だけが、後に残った。




