129 宣戦布告しちゃった!?僕は――僕だ!?
メリフル村は、平穏だった。
――少なくとも、表向きは。
朝の空気は澄み、畑は手入れが行き届き、家々の煙突からは細い煙が立ちのぼっている。泣き声も、怒号も、争いの気配もない。
けれど、村に足を踏み入れた瞬間、胸の奥がひどくざわついた。
「……やっぱり変だな」
思わず、呟いていた。通りを歩く村人たちは、確かに動いている。洗濯物を干し、畑を耕し、荷車を押している。生活は、完璧に回っている。
――回りすぎるほどに。
誰一人として、こちらを気に留めない。
視線は合う。合うのに――反応がない。
「おはよう」
村長のツバネが声をかける。返事は、なかった。
しばらくして、一人の男の口が、ぎこちなく動いた。
「……作業を……続けなければ……」
感情の抜け落ちた声。“話している”というより、決められた言葉を再生しているようだった。
「村人たちが……操られてるのか?」
タリクが、声を潜める。
「それは違うな」
ミラが、即座に首を振った。
「これは“命令”じゃない。“確定”だよ」
――確定。その言葉に、背筋が冷えた。
魔法でも、呪いでもない。“こうあるべきだ”と、誰かが決めてしまった結果。村を覆っているのは、その結論そのものだった。
村の中心に近づいた、そのとき。
空気が、きしんだ。
風が止み、音が消える。まるで村全体が、同時に息を止めたかのように。
そして――村人たちが、一斉にこちらを向いた。
その動きは揃いすぎていて、ぞっとするほどだった。
一人の老人が、前へと進み出た。
「記録師さま」
低く、平坦な声。
「この村は、平穏だ。このままでいい。書き換える必要は、ない」
胸の奥で、嫌な予感が、はっきりと形を持つ。
「……誰の記録だ?」
ミラが問う。
老人は、わずかに首を傾げた。
「書かれなかった、ほうの記録……守られた選択」
その瞬間、すべてが繋がった。
――“書かなかった”結果が、ここにある。
誰かが争いを避けるために。悲しみを残さないために。書かず、選ばせず、決めてしまった。
その“優しさ”が、村を縛っている。
「……ホンホン。気がついたね?」
声をかけると、禁書は小さく震えた。
「……裏記録師の痕跡だホン」
それだけで、十分だった。
やはりこれは、裏記録師の痕跡だ。だが――完成形じゃない。途中で止められた、“なりかけ”の村。
「このままなら、村は壊れない」
老人が、静かに告げる。
「悲しみも、後悔も、生まれない」
「代わりに、選ぶ未来も、生きる実感も、消えるけどね」
ミラが、落ち着いた声で続けた。
村人たちは、何も言わない。――言えない。
僕は、一歩、前に出た。
「……悲しいな。あんなに元気な村だったのに……」
喉が、ひりつく。
「それでも、この村は“生きてる”って言えるのか?」
老人の目が、初めて揺れた。
その揺らぎを見て、確信する。この“記録”は、絶対じゃない。
「僕は、書かない」
一拍置いて、言葉を重ねる。
「決めもしない」
前を見据え、はっきりと言った。
「この村を愛してる人たちに――委ねるよ!」
空気が、割れた。ざわ、と音が走る。村人たちの動きが、ばらつく。誰かが立ち止まり、誰かが膝をつく。
「……あれ?」
「……なんで、ここに……?」
声が戻ってくる。迷いと混乱と、不安と一緒に。
老人の姿が、ゆっくりと崩れた。そこに残ったのは、誰かの“残した意志”だけだった。
「元の村に……戻った……!?」
「あの老人は……!?生きてなかった、のか?」
「幻には見えなかったけどね……まあ、これでいい」
ミラが、小さく息を吐く。
村は、再び“生き始めた”。
泣く者もいる。
怒る者もいる。
混乱も、後悔も、これから生まれるだろう。
それでも、メリフル村は自分たちが選ぶ場所に戻った。僕たちは、間に合ったんだ。
仲間たちに向き直る。
「聞いてほしい。……エルフの森で、わかったことがある」
自然と、視線が集まった。
「この現象に、裏記録師が関わっている」
きっぱりと言う。
「これは、確信だ」
だからこそ――言う。
「僕たちは戦うべきかもしれない。裏記録師とも、記録師協会とも」
「……っ、セオト!」
「でも僕たちは、ノートリアだ。だからノートリアにしかできない革命を起こそうよ!」
拳を、軽く握る。
「オルグみたいに権力を振りかざさないし、裏記録師のように、誰かを粛清もしない」
そして、僕はやっぱりこう言うんだ。
「きれい事に聞こえるかもしれないけど。僕は――僕だから!」
不意に、くすりと笑う気配がした。
「フフッ。そこの影が聞いてるよ、セオト。宣戦布告して良かったのかい?」
楽しそうな声のルミアは顎で示すように、少し離れた建物の影を指さす。そこは、光の届かない静かな場所――けれど、何もいないとは言い切れない場所だった。
僕は振り返らない。もう、隠す必要はなかった。
「はい。兄さんたちに、僕の気持ちを言っておきたかったから」
僕に迷いはなかった。
――僕の兄、シオマと、ツバネの兄、カナエ。いずれ二人と対峙することになると思う。
(……あの時、別れてしまったカルマも)
胸の奥で、その名を思い出す。
(無事だと、いいんだけど……)
風が、メリフル村を吹き抜けた。
もう、戻れない。
でも――進む理由は、はっきりしていた。




