127 見られちゃった!?エルフの森の“王”!?
「セオト。エルフの森と似てると思ったのなら――」
ミラは歩みを止め、振り返らないまま言った。
「君にも、わかってきたんじゃない? この現象の意味が」
まるで、答え合わせを促すような口調だった。
「え……!?」
思わず声が漏れる。
「似てるから、って言われても……」
「ふふ、推理っていうのはね、確信より“引っかかり”から始まるものなんだよ」
ミラは小さく笑い、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「森が形を変えたのも、視線を感じたのも、問いを投げかけられたのも――全部、“通すかどうか”を量られてた」
胸の奥で、何かが静かに音を立てた。
「……じゃあ、これも?」
ミラはきっぱりとうなずく。
「そう。ここでも君が試されてるんだよ。記録師として――いや、セオト自身としてね」
そう言って、ふっと足を止める。
「そうだよな」
その一言とともに、ミラはゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、さっきまで“何もない”はずだった空間がある。けれど僕にはわかった。
――見られている。
森のときと同じだ。直接姿を現さなくても、問いだけは、確かにそこにある。
答えるのは、もう逃げられない。
――エルフの森での出来事が、脳裏によみがえる。
あのときも、エルフは何も語らず、ただこちらを見ていた。見張っている、というより――“役目を果たしている”ような視線。ふと、胸の奥に小さな棘のような違和感が引っかかる。
――どこにいるかわからないが、確実に見られている。
気配は濃いのに、敵意はない。むしろ静かすぎるほどで、森の呼吸に溶け込んでいる。
……初めて、来たはずだ。
そう、頭では理解している。けれど――。
「……変だな」
思わず、独り言が漏れた。
「どうした?」
タリクが小声で訊ねてくる。
「いや……この森……」
視線を逸らさないまま、言葉を選ぶ。
「初めて来たはずなのに、そう思えない」
カゲミが、わずかに眉を動かした。
「記憶のズレか? それとも……」
いずれにせよ、ひとつだけ確かなことがある。この森で起きている違和感は、自然だけのものじゃない。
記録には残らない形で、誰かの意図が――確かに、ここに触れている。
張りつめた沈黙を、ふっと切ったのはミラだった。
「ねえ」
穏やかな声色で、けれど一切の冗談を含まない目で、門番のエルフを見据える。
「君は――誰なんだい?」
エルフはすぐには答えなかった。風が枝を揺らし、葉擦れの音が、間に流れ込む。
その沈黙こそが、答えの一部だった。
――森が、変わりはじめた。
ざわ、と音を立てて揺れたのは一本の木ではない。連なり、重なり、呼応するように、周囲の木々が同時に軋んだ。枝の角度が、わずかにずれる。葉の重なりが、意図をもってほどけていく。さっきまで遮っていた視界が、ゆっくりと開かれた。
「……これは」
誰もが、息を呑む。
道だ。 いや――配置の変更。森そのものが、構造を書き換えている。
木々は排除するでもなく、押し退けるでもない。ただ“必要な分だけ”場所を譲り、余計な影を引き取っていく。その動きに、敵意はない。だが、明確な意志があった。
――問いは、受け取られた。
エルフは動かない。だが、その背後で、森が先に答えている。
ここにいる彼は、単なる門番ではない。誰かの操り人形でもない。
森が、彼を今もなお「自分の一部」として扱っている。それだけで、十分だった。
風が、一本の幹を撫でるように抜けた。
――通れ、とも。
――入るな、とも言わない。
ただ、選べと。 その先に進む覚悟があるのかを、森は静かに示していた。
森が静まり返る。
軋んでいた枝の音が収まり、葉擦れも、風の気配も、嘘のように遠のいた。まるで、世界が一度、息を止めたかのように。
その沈黙の中で、ようやく――声が落ちた。
「エルフの血を引くものが、記録師とはな」
低く、抑えた声。嘲りではない。驚きと、ほんのわずかな感心が混じっている。
エルフは、こちらを見たまま、目を細めた。
「王も……粋なことをする」
その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。
知っている。血のことも、立場のことも。――それを、森ではなく“個として”認識している。
操られているだけの存在なら、こんな言い方はしない。
ミラが、半歩だけ前に出た。軽い口調のまま、だが視線は逸らさない。
「……へえ。あなたたちの王は、ずいぶん通だね」
エルフは答えない。代わりに、森の奥で、一本の木が静かに軋んだ。
――まだ、終わっていない。この出会いは、確認だ。
誰が、何を知っていて。誰が、どこまで関わっているのか。
そして――誰が、書いてはいけない領域に、足を踏み入れたのか。
「……なるほどね」
短く、独り言のように呟く。それだけで十分だったらしい。
――けれど。
僕だけが、取り残されていた。
「……ミラさん、どういうこと!?」
思わず声が出る。
王? 血? 記録師?
どれも言葉としては知っているのに、いま目の前で起きていることと、うまく繋がらない。
ミラは、ちらりと僕を見る。すぐには答えない。その一拍が、余計に不安を煽った。
「今は、全部は言えないよ」
そう前置きしてから、視線を森へ戻す。
「でもね――」
声を落とし、静かに続けた。
「君は“偶然ここにいる記録師”じゃないってことだけは、向こうにバレてる」
胸の奥が、ひやりと冷える。
「……それって」
「うん」
ミラは、あっさり頷いた。
「この森は、君を“試す場所”として見てる」
エルフの視線が、僕と交差した。深く。重く。
理解できていないはずなのに、逃げ場がないことだけは、はっきりと分かった。
エルフは、ミラの言葉に小さく口角を上げた。それは笑みというより、「理解者を見つけた」者の表情だった。
「察しがいいな、さすがエルフの吟遊詩人よ」
森の奥から、低く澄んだ声が響く。木々がざわめくたび、その声は幾重にも反響し、どこから発せられているのか分からなくなる。
「……だから、何の話なんですか」
喉が乾いているのが、自分でも分かった。
「僕は、ただ行方不明の冒険者を探しに来ただけで――」
「それが“ただ”だと思えるうちは、まだ浅い」
言葉を遮るように、エルフは告げた。
「この森はな、記録を嫌う。 だが同時に、“記録されなかった選択”を、最も重んじる」
枝が軋み、地面の影がゆっくりと動く。木々が、位置を変えていた。道だったはずの場所が閉ざされ、逆に、何もなかったはずの場所に、細い獣道が浮かび上がる。
――森が、形を変えている。
「お前たちがここに来た理由は、すでに知っている。行方不明の冒険者。傷を負い、歩けぬ者だ」
胸が、強く脈打った。
「……生きているのか?」
問いかけに、エルフはすぐには答えない。代わりに、僕を見つめたまま、こう言った。
「問おう。ノートリアの同胞よ。 お前は――」
森が、静まり返る。風も、鳥の声も消え、世界に残っているのは、その声だけだった。
「その者の“すべて”を、書くか?」
息を呑む。
「恐怖も、弱さも、迷いも、後悔も」
「生き延びた理由も、死にかけた理由も」
「それらを“正しい記録”として残すか?」
これは、選択だ。
あのときと同じ――いや、それ以上に重い。
僕は、無意識に拳を握りしめていた。
「……書きません」
声は、震えていなかった。
「その人が、自分で語ることまで、僕が奪うつもりはない」
「生き延びたことだけで、十分です」
エルフの瞳が、わずかに細まる。
「理由は?」
「理由を書くと、それは“罰”になる」
言葉は、自然と続いた。
「記録が、誰かを裁くためのものになるなら……それは、違う」
長い沈黙。
そして――。
森が、深く息を吐いたような音を立てた。
枝が割れ、影が退き、一本の道が、確かに開かれる。先ほどまで存在しなかったはずの、小さな谷間へと続く道だ。
「……通れ」
エルフは、初めて一歩だけ後ろへ退いた。
「その選択、覚えておけ」
「いずれ――森よりも厄介な場所で、同じ問いを突きつけられる」
ミラが、ふっと息を吐く。
「合格、ってやつだね」
エルフは答えない。ただ、森の一部へと溶けるように消えていった。
僕たちは、開かれた道を進んだ。やがて、谷の奥。倒木の陰で――見つけた。
「……誰か……いるのか……?」
かすれた声。血の跡。破れた装備。
「いた……!」
生きている。確かに。
駆け寄ろうとした、その瞬間。
「焦るな」
ミラが、静かに言った。
「この森はもう、邪魔しない。けど――」
視線を、僕に向ける。
「ここから先は、“森じゃなくて人の世界”の話だ」
僕は、うなずいた。
――書かなかった選択は、確かに命をつないだ。けれど同時に、それは次の問いを、確実に呼び寄せている。
森を抜けるとき、背後で木々が、元の位置へ戻る音がした。
まるで何事もなかったかのように。だが、胸に残った感覚だけは、消えなかった。
記録師であることは、選ばれることではない。選び続けることなのだと――
「も、もしかしてエルフの森の王って!」




