121 見抜かれちゃった!?エルフの森の縁(ふち)で!?
依頼書を読み上げて、思わず聞き返した。
「……行方不明になった冒険者の捜索、ですか?」
記録師協会にも、正式な要請が届いていた。すでに同業の冒険者たちが現地入りしているが、状況は芳しくないらしい。
場所は――エルフの森の“縁”。
ミラソムから北東にある「深緑未踏域」。
地図上では、まだ森の内部ではない。それなのに、誰一人として、そこから先へ踏み込めずにいるという。
現地に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
木々は密集していない。視界も悪くない。なのに、どこか“奥行き”がつかめない。
「……おかしいな」
先行していた冒険者の一人が、眉をひそめる。
「方角がわからん。コンパスが、まったく機能しないぞ」
差し出された方位磁針は、くるくると回り続け、北を指そうともしない。
「魔力も安定しないな」
別の者が、掌に浮かべた光を見つめる。
「術式は組めるのに、流れが定まらない。これじゃ先に進めない」
そのときだった。
「……待て」
誰かが小さく声を上げる。
「今、聞こえた音……」
全員が耳を澄ます。風の音。木の葉の擦れる音。足元の砂利の音。
――どれも、途中で途切れている。
「……吸われた?」
「音が、森に……?」
ざわ、と空気が揺れた。
森は何もしていない。威圧も、敵意も、攻撃もない。
ただ――受け入れていない。
冒険者たちの視線が、自然とこちらに集まる。
「記録師さん。何かわかるか?」
僕は一歩前に出て、ノートを開いた。けれど、書こうとして――ペンが止まる。
(……書かなくても、わかる)
森の“縁”は、境界ではない。これは、試されているのだ。
誰が来たのか。何を持ってきたのか。そして――どう向き合うのかを。
そのとき、隣でミラが小さく息を吐いた。
「……なるほどね。今日は、“進まない日”だ」
「え?」
冒険者の一人が振り返る。
ミラは、森を見上げて、いつもの調子で肩をすくめた。
「無理に入ろうとすると、余計に迷うよ。この森、そういうの……嫌うからさ」
セリアンも、そっと喉に手を当てる。
「……歌、やめたほうがいいですね。今、音が――戻ってこない」
その言葉に、空気が一段、静まった。冒険者たちは、気づいていない。だが確かに、森の“拒絶”は、少しだけ――緩んでいた。
僕は、ノートを閉じる。
「……行けます」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
「ただし、条件があります。“探す”つもりで入らないこと。この森は――見られる側です」
ざわり、と森が鳴った。それは、許可とも、警告とも取れる音だった。
エルフの森の“縁”は、ようやくその輪郭を、僕たちに示しはじめていた。
エルフの森か……。
胸の奥で、その言葉が小さく反響した。父さんとミラさんは、エルフだ。そして――僕とセリアンにも、その血が流れている。
だからだろうか。恐怖より先に、懐かしさが胸を満たしていた。僕は深く息を吸う。
目を閉じる。耳を澄ます。鼻先で、空気の匂いを確かめる。
湿った土。若い葉の青さ。遠くで咲く花の、甘くかすかな香り。
音も、匂いも、魔力も――理屈より先に、身体の奥へ染み込んでくる。
「……この森」
気づけば、言葉がこぼれていた。
「書かなくても、“知ってる”感じがする」
自分でも、何気ない一言だった。
その瞬間――
森が、応えた。
張りつめていた空気が、わずかに緩む。ざわめいていた迷いが、すっと止まる。視界が、静かに開けた。
「……道だ」
セリアンが、小さく息を呑む。
木々のあいだに、今まで存在しなかったはずの一本道が現れていた。無理に切り拓かれたものではない。最初から、そこに“用意されていた”かのような道。
ミラが、楽しそうに口角を上げる。
「ふふ。やっぱりね。この森、血と気配は誤魔化せない」
足元から、柔らかな魔力が流れ込んでくる。拒絶ではない。歓迎とも、まだ言えない。
――確認。
森は僕たちを見ている。敵か、味方かではなく。
“覚えているか”を。
僕はもう一度、森に向かって息を吸った。
大丈夫だ。ここは、知らない場所じゃない。
エルフの森は、静かにその奥を示しながら、僕たちを待っていた。
「――そこのノートリアの……」
森の奥から、低く澄んだ声が響いた。
「……男、か?」
一瞬。ほんのわずかな“間”が、空気に落ちる。その沈黙が、妙に気になった。――前にも、こんな間を感じたことがある。
「我らの血が、混じっているな」
木々のあいだから、姿はまだ見えない。けれど視線だけは、はっきりと感じた。肌をなぞるような、鋭くも冷静な気配。
セリアンが小さく息を詰める。ミラは肩をすくめて、楽しそうに口元を緩めた。
「ずいぶん率直だね。隠す気もないらしい」
僕は一歩、前に出る。
「……はい。ノートリアです。でも、父がエルフで――」
「わかっている」
言葉を遮る、淡々とした声。否定でも、肯定でもない。
「森に入れたということは――」
「お前は、“記録者”として迷っている」
胸の奥を、指先でなぞられたような感覚が走る。
――当たっている。
反論しようとして、言葉が出なかった。
記録とは何か。書くとは、残すとは、選ぶとは何か。ここに来るまで、ずっと考えていた。
「……迷っています」
正直に答えると、森がわずかに鳴った。葉擦れとも、笑いともつかない音。
「ならば、尚更だ」
枝の影が揺れ、ようやく一人のエルフが姿を現す。長い耳、淡い光を宿す瞳。年齢の読めない、静かな顔。
「森は、答えを与えぬ。だが――問いを、映す」
エルフは、まっすぐ僕を見た。
「ノートリアの同胞よ。お前は、“何を書かない”つもりだ?」
その問いは、刃のように鋭く。同時に、どこか懐かしかった。逃げ場はない。けれど、拒まれてもいない。
森は、まだ――僕を、通すかどうかを量っている。
正直に言おう。
俺たちだけだったら、あの森には入れなかった。
方角は狂う、魔力は散る、音は消える。
敵がいるわけじゃないのに、進めない。ああいうのが一番、冒険者には厄介だ。
……ああ、認めるさ。
記録者、すげえ。




