118 【特別編】笑わせちゃった!?ミラソムの七不思議!?
「あれ?きゅりの精霊って、頭に透明のお皿があるんじゃなかったっけ?」
舞台脇で僕が小声で尋ねると、即座に返事が飛んできた。
「言い伝えと精霊劇は別物です。何の問題もありません」
きっぱり言い切ったのは、ラボチルの店員、演出担当だ。台本を胸に抱え、眼鏡の奥で一切の異論を受け付けない目をしている。
今回の劇の主役――きゅりの精霊。その大役を演じることになったのは、ゲルだった。
ただし、本人は最初からあまり乗り気ではなかった。
「……皿は、割れる確率が高いです」
楽屋で衣装を確認しながら、ゲルがぼそりと呟く。
「割れません。強化加工されたお皿ですよ」
「それでも、嫌だ……いえ、なんでもないです」
その結果、完成した衣装は――頭に皿はない。代わりに、淡い緑の光を帯びたマントと、水滴模様の刺繍。きゅりの精霊というより、“水辺の守り手”といった風格だ。
「ずいぶん……かっこいいじゃないか!」
「妥協の産物ですよ」
そう言いながらも、ゲルはマントの裾を指でつまみ、そっと揺らしている。
舞台の向こうでは、モミの木の灯りがゆっくりと明るさを増していた。精霊キュリの気配が、確かにそこに集まってきている。
「ほら、始まりますよ」
合図の鈴が鳴る。
ゲルは一度だけ深く息を吸い、舞台へと足を踏み出した。
――皿はなくとも。今夜、この場に立つのは、紛れもなく“きゅりの精霊”だった。
大きなモミの木の根元に、籠いっぱいのキュウリが次々と積み上げられていく。深い緑、瑞々しい香り。まるで水気をそのまま形にしたようだ。
「このキュウリ、今が最盛期で、近くの畑で採れたばかりなんです!」
胸を張るラボチルの店員さん役――セリアンに、ゲルは思わず目を丸くした。
「へええ。畑ですか。見てみたいなぁ」
「どうぞどうぞ。もぎってきていいですよ」
そう言って差し出されたのは、マヨネーズがたっぷり入った、深めのお皿だった。
ずしりとした重み。
なぜか覚悟を問われている気がする、真っ白な存在感。
「……え、畑で?」
戸惑うゲルが「畑の恵みに感謝を――」と言い終える前に、水音がした。
「当然だろう。屁のカッパなのだ!」
ぬ、と姿を現したのはカッパ様だった。腕を組み、キュウリの山を神妙な顔で見上げている。
――あら。カッパ様、精霊劇に呼ばれてはいないはず……!?
「誰に呼ばれなくても、吾輩はキュウリに誘われるんだッパ!」
「キュウリは飾ってよし、供えてよし、そして――」
ちらりと、ゲルの手にあるマヨ皿を見る。
「――マヨで食って完成だ」
「完成ですか……?」
「完成だ」
疑いの余地のない断言だった。
モミの木の上では、すでに精霊キュリの気配が淡く揺れている。葉擦れに混じって、くすぐったそうな笑い声がした――気がした。
「行くぞ! さあお祝いだッパ!」
カッパ様が両腕を広げる。
「――ハッピーキュリスマス!」
「ハッピーキュリスマース!」
客席から一斉に返る声。自然とコール&レスポンスが生まれ、場内の空気が一段、跳ねた。そのまま、カッパ様がビートに乗る。床を鳴らし、甲高く、低く、即興のラップが走り出した。
「キュウリをもいで 飾って 食って きゅりも歌う!」
「……最後、歌うの確定なんですか?」
「当たり前だッパ! きゅりの精霊よ! 今日はキュリスマスだYO!」
ゲルはずっこけそうになりながらも、なんとか体勢を立て直す。皿を持ち直し、キュウリに白いマヨネーズをたっぷりつけて、そっと差し出した。
「うまい!セオトー!マヨがキュリシアにもどってきたYO!ありがとうー!」
カッパ様は、カッパ様だった。
――あはは……なんだか、とんでもない夜になりそうだ。
そう思った瞬間、ドン、と遠くで太鼓が鳴った。
見ると、ミラが舞台の端でパーカッションを構え、太鼓、鈴、木片――いくつもの楽器を同時に操っている。
そのリズムに、セリアンがすっと息を吸い、声と手拍子を重ねた。
「さあ――」
合図のように、ゲルが一歩前へ出る。。照明が落ち、モミの木の飾りだけが淡く輝く。深緑のマントが揺れ、水面のような光がその身を包んだ。
ゲルは胸の前で両手を重ね、静かに目を伏せる。
――そして、歌いだす。
「水の底で 名を待っていた 小さな灯と 小さな祈り」
低く、澄んだ声。一音一音が、水滴のように空間へ落ちていく。
「呼ばれなくても 忘れられても 流れを 止めぬように 私は ここにいた」
客席が、しんと静まった。
葉擦れの音。モミの木の上で、精霊キュリの気配が、そっと揺れる。
「傷つく夜を 越えるため 冷えた手を 包むため」
ゲルはゆっくりと顔を上げた。その瞳に、淡い光が宿る。
「私は きゅり 水と祝いの精霊 今日という夜に 歌を 捧げよう」
最後の音が、余韻を残して消える。
一拍。
そして――セリアンが、笑って手を打った。
「いい声だよ、精霊さま」
「――Yo」
低く、水を打つような声が割り込んだ。
「静けさもいいが 止水は好みじゃないッパ!」
カッパ様が肩を揺らし、足で拍を刻みはじめた。ミラの打つ太鼓が、わずかにテンポを上げ、鈴も加わる。
「祝いは流れ 流れは歌 歌は笑いに 変わるんだッパ!」
セリアンが即座に手拍子を重ね、声で応える。
「はい、いち、に、さん!」
ゲルは一瞬、驚いたように目を見開いたが――すぐに、くすりと口元を緩めた。
「……ふふ」
それは、演技ではなかった。
モミの木の上。飾り付けられたキュウリが、きし、と小さく鳴った。
「――あははっ!」
澄んだ笑い声が降ってきた。
誰の声でもない。けれど、確かに“ここ”にいる。
精霊きゅりだった。
キュウリの飾りが、ひとつ、またひとつと揺れ始める。風もないのに、楽しそうに、くるり、くるりと。
「おっ?」
カッパ様が歯を見せて笑う。
「来た来た来たッパ! 本物のお出ましだ!」
リズムはさらに速くなる。太鼓が跳ね、鈴が踊り、手拍子が波になる。
「あははっ、あははは!」
精霊きゅりの笑い声が、音楽に混じり、溶け込み、まるで最初から歌の一部だったかのように響いた。
ゲルのマントがふわりと持ち上がる。キュウリの緑が光を反射し、舞台全体が揺れているようだった。
「ほら 見てみろYO!」
カッパ様がラップで煽る。
「楽しけりゃ それで正解! 祝祭は 理屈じゃないッパ!」
厳かな精霊劇は、いつの間にか――本物のキュリスマスへと変わっていた。
「あははっ、きゅりを祝ってくれてありがとう!」
澄んだ声が、はっきりと言葉になる。
その瞬間――
モミの木のてっぺんから、やわらかな光が弾けた。
精霊きゅりが、ミラソムに魔法をかけたのだ。光は波のように町へ広がり、石畳を撫で、屋根を越え、窓という窓に染み込んでいく。
キュウリの飾りが、いっせいに鈴のような音を立てた。水気を帯びた風が吹き抜け、笑い声と歌声が混じり合う。
「……これが」
誰かが、呆然と呟いた。
「ミラソムの七不思議のひとつ、か」
その夜、町の水はいつもより澄み、灯りは長く、温かく揺れ続けたという。
理由を正確に説明できる者はいない。ただ――精霊きゅりを祝った夜は、なぜか皆、少しだけ幸せになる。
「また来年もキュリスマスパーティーをしよう!」
町中が、歓喜に包まれていた。
それが、ミラソムという町だった。
「……かわいい精霊だったな」
帰り道、ぽつりとタリクが言った。
「精霊きゅりは、私は見えませんでしたが……」
真面目に返すと、タリクは一瞬、視線を逸らす。
それから、ほんの少しだけ照れたように言った。
「違う。ゲル、お前のことだ」
「……え?」
「今日はさ。衣装もよかったが、
なんていうか――きれいだった」
ゲルは一拍、言葉を失ってから、小さく息を吐いた。
「……それは、光栄です」
徐々に顔が赤くなっていくゲルであった。
モミの木の灯りは、もう遠く。
けれど胸の奥では、まだどこか、くすぐったい光が揺れていた。
その夜、ミラソムにはもうひとつ、小さな七不思議が増えたのかもしれない。
皆様もあたたかなクリスマスをお過ごしください。




