115 巻き込まれちゃった!?全員参加のフィナーレ!?
一拍――
それが、合図だった。
誰かの手が鳴る。乾いた音が、客席の闇に落ちる。
次の瞬間、まるで堰を切ったように拍手が広がった。前列から、二階席へ。通路を越え、天井へと跳ね上がる。
「アンコール!」
「もう一度――!」
声が、声を呼ぶ。足踏みが床を震わせ、劇場そのものが目を覚ましたかのようだった。
幕の前に、再び光が集まる。ゆっくりと、静かに――幕が上がった。
そこに立っていたのは、セリアンだった。
深く一礼する。その仕草は控えめで、それでいて、確かにすべてを受け止めている。
拍手は、なおも止まらない。彼の名を呼ぶ声も、涙交じりの笑い声も、すべてが渦となって舞台へ注がれる。
セリアンは顔を上げ、客席を見渡した。驚いたように目を瞬かせ、それから、少し困ったように――それでも、柔らかく微笑む。
「……ありがとう」
たった一言。
けれど、その声に、再びどよめきが走った。
セリアンは胸に手を当て、そっと息を整える。もう一度、歌うために。
客席が静まり返る。期待と信頼が、音もなく満ちていく。
そして――アンコールの歌声が、今度は最初から、劇場を包み込んだ。
低く、深い。まるで夜そのものを練り上げたような声だった。
闇の波動が、音となって広がる。一人、また一人と、観客は静かな闇に包まれていく。恐怖ではない。拒絶でもない。それは、目を閉じてもいいと許される闇だった。
まるで、隣の聴衆が消えてしまったかのようだった。世界には、自分ひとりの空間だけが広がり、夢の中にいるような心地になる。
セリアンは竪琴に指をかける。弦をなぞる音が、闇に小さな亀裂を入れた。
次の瞬間――光が溢れ出す。
旋律は軽やかに跳ね、高音が天へと伸びていく。澄み切った音は、星のようにきらめきながら客席に降り注いだ。
(……きれい……)
ため息が、あちこちで零れる。
けれど、圧倒するような輝きではない。セリアンは声を落とし、囁くように歌う。その微かな息遣いが、世界の輪郭をやさしく描き直していく。
闇と光。
低音と高音。
叫びと囁き。
すべてが重なり合い、ひとつの世界になる。
観客は、誰一人として動けなかった。
ただ、その世界の中に立ち尽くし――セリアンの歌が、完全なかたちになる、その瞬間を待っていた。
そして。
呆然とした空気を切り裂くように、幕が――すとん、と下りた。
「……え?」
一拍の沈黙。
「えっ!? お、終わっちゃったの!?」
「す、すごい……! 素晴らしいわー!」
次の瞬間、割れるような拍手が劇場を揺らした。歓声、口笛、床を踏み鳴らす音。アンコールの声が、四方八方から湧き上がる。
「アンコール!」
「もう一度!」
熱は冷めるどころか、さらに高まっていく。
――ダブルアンコールだ。
幕の向こうで、セリアンが振り返る。そして、いつものあの笑顔で――
「みんな、行くよ!」
明るく、弾む声。
「せっかくだし、みんなでフィナーレを楽しもう!」
……え。
思わず、周囲を見回す。みんな、同じように目を丸くしていた。
打ち合わせも。
練習も。
――何も、してないんだけど……。
それでも、幕の向こうから聞こえる拍手と呼び声は止まらない。
逃げ場はない。
顔を見合わせ、僕たちは苦笑した。
――どうやら、最後までセリアンに振り回されるらしい。
「これ、鳴らすのどうかな?」
舞台袖でルミアが差し出したのは、駄菓子屋で見かける、音の鳴るラムネだった。振るたびに、軽やかな音がころん、と弾む。
「いいじゃん!」
「ルミアも出ましょう!」
そう言った瞬間――
「はい、確保」
「逃がさないからな」
ツバネとタリクに、左右から脇をがっちり掴まれた。
「ちょ、ちょっと――!」
抵抗する間もなく、引きずられるように、セリアンと一緒に――みんなで舞台へ上がる。
眩しい照明。どっと湧き上がる歓声。
ミラさんが、にやりと笑った。そして、祭りにぴったりの軽快な曲調で、共鳴器を奏ではじめた。
それに応えるように、セリアンが歌い出した。
自然と、体が揺れる。
――間奏。
セリアンとミラさんが、ちらりとこちらを見る。
(……合いの手、今だよ!)
アイコンタクト。合図だ。
僕は息を吸い、フエを吹いた。高く、明るい音が、音楽に混ざる。
「……っ!」
た、楽しい!
気づけば、僕もカゲミも、みんなも笑っていた。緊張なんて、どこかへ消えている。みんなで音を重ねるたびに、舞台と客席の境目が溶けていく。
ラストサビの前。ミラさんが、くるりと観客のほうを向き、踊るように手を振って合図した。
立ち上がる観客。
手拍子。
足踏み。
笑い声。
そして――
最後は、みんなで。
歌も、音も、笑顔もひとつになって、フィナーレは、楽しく、賑やかに終わった。
「っ!あやうく光の世界へ渡ってしまうところだった……まだ、我が芸術は完成していないというのにっ!」
支配人クロムは、胸元を押さえながら大げさに息をついた。いつもの芝居がかった身振りも、今はどこか切羽詰まっている。
「……ずいぶんと大人しくなったんだな、支配人」
低く落ち着いた声が、柱の影から滑り出すように響いた。
クロムの肩が、ぴくりと揺れる。
「な、何を言うのです。私の仕掛けに抜かりなどありませんとも」
早口で言い繕いながら、彼は耳元のイヤーカフにそっと指を添えた。
「このイヤーカフに誓いましょう。すべては……計算どおりです」
だが、その視線は一瞬、影の奥を探るように泳いだ。
少し――ほんの少しだけ、焦った支配人クロムであった。
舞台がすべて終わっても、ロビーの熱は冷めなかった。
「ねえ、あの高音……」
「最後のところ、光が見えた気がしない?」
「アンコール、まさかあんなことになるなんて……」
感想は尽きず、あちこちで声が重なる。
「……決めた。一生、推す」
誰かの真剣な宣言に、周囲がくすりと笑った。
拍手も、歌声も、もう聞こえないはずなのに――
耳の奥では、まだセリアンの旋律が鳴っている。
ロビーを満たしているのは、興奮と余韻と、
そして、生まれたばかりの“推し”の話題だった。




