114 協力しちゃった!セリアンの劇場デビュー!?
――セリアンの、劇場デビュー当日。
開演前から、劇場内は妙ににぎやかだった。
「この飴、美味しい!」
「見て見て、このきなこ棒――当たりでしたー!」
ロビーの一角に設けられた物販コーナーでは、ルミアが元気よく声を張り上げている。しずく堂から取り寄せた駄菓子が所狭しと並び、子どもも大人も、自然と足を止めていた。
「いらっしゃいませー! 甘いのも、渋いのもありますよー!」
ロビーに、明るい声が弾んだ。
「……初めて食べるのに、懐かしい味だ」
「やった、当たりでもう一本!」
「お菓子もいいけど……それ以上に、売って下さる方がとても素敵で……」
最後の一言は小さかったが、やけに真剣だった。おっと。どうやら、ルミアにもじわじわと人気に火がつきはじめているらしい。
駄菓子を手にした観客たちの表情は、自然と緩んでいた。肩の力が抜け、口元がほころび、視線がやさしくなる。劇場に来たはずなのに。気がつけば、どこかの町の祭りに迷い込んだような気分だ。
その隣では、別のテーブルが静かな熱を帯びていた。
「初版を買えるなんて……本当に来てよかったです」
一冊の本を胸に抱え、感慨深そうに息を吐く観客。それは、長らく忘れ去られていたスイタンの歌集だった。
兄さんに相談し、記録師協会に出版室を立ち上げてもらい、ようやく復活したものだった。
ページをめくれば、セリアンの解釈注が添えられ、巻末には、ささやかな直筆サインまで入っている。資料としても、記念品としても、これ以上ない一冊だ。
「……セリアン様の直筆……っ!」
声を潜めきれない驚きが、あちこちから漏れる。
「こんな歌集、見たことないぞ」
「これ……大発見なんじゃないか!?」
ページをめくる指が止まらない。熱のこもった視線が、紙の上を行き来している。
そんな声が、次々と耳に飛び込んでくる。予想以上の反応だった。用意していた初版は、気づけばすでに半分以上が売れている。
――ちゃんと、届いている。
僕たちでアイデアを持ち寄り、悩んで、準備してきた。セリアンの解釈。スイタンの言葉。形にするための工夫。そして、ルミアが快く引き受けてくれた協力。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。まずは――上々の滑り出しだ。
ふと、客席を見渡す。
紫を基調とした装飾、古い魔導照明、癖の強い彫刻。好みが分かれそうな空間なのに、誰一人、退屈そうな顔はしていない。
「この劇場、変だけど……目が離せない」
「全部、意味がありそうでさ」
観客たちは、それぞれの楽しみ方で開演の時を待っていた。甘い匂いと紙の匂い。ざわめきと、期待の沈黙。やがて、場内に、低く澄んだ音が響く。
――開演五分前。
舞台裏は不思議な静けさに包まれていた。
セリアンの足元。魔導円の外側で、ミラが膝をつき、記録師用の共鳴器に手を置いている。弦でも鍵盤でもない、古い楽器だ。
「緊張してるかい?」
軽い調子で問いかけながら、ミラは一音、空気を震わせる。
「……してます」
「いいね。緊張は、音を澄ませる」
そのそばで、スイタンが静かに見守っていた。
「楽しみにしてる。セリアンと、僕の歌」
「うん。スイタンを、ちゃんと世界に届けるよ」
――幕が、上がる。
最初に鳴ったのは、ミラの伴奏だった。
低く、ゆっくり。心臓の鼓動に近いリズム。
そこへ、ミラのコーラスが重なる。言葉にならない声が、「ここに世界がある」と告げるように広がっていく。
照明が落ち、観客席が闇に沈む。次の瞬間、舞台中央だけが、月光のような淡い光に照らされた。
そこに立っていたのは、セリアンだった。
装飾は最小限。背景も抑えられている。
だが、空間そのものが「聴くため」に整えられているのが分かる。息を吸う音さえ、舞台の一部になるような静けさ。
――クロム・リーフの演出だ。
(余計なものは、削ぎ落とせ)
リハーサルで、彼はそう言った。
(君の声はね、飾ると死ぬ。だから舞台は、君を守る“器”でいい)
セリアンは、ゆっくりと息を吸う。喉ではなく、胸の奥、さらに深い場所で。
そして――歌い出した。
最初の一音は、小さかった。だが確かに、水面に落ちた雫のように、波紋を広げていく。
彼の歌は、叫ばない。観客に訴えかけるのではなく、自分自身の記録を、そっと差し出す歌だった。
失ったもの。
迷ったこと。
信じきれなかった夜。
歌詞は抽象的で、物語は語られない。それでも誰もが、不思議と「自分の話だ」と思ってしまう。
照明が、わずかに変わる。セリアンの影が、舞台の床に長く伸びる。クロムは、その影を消さなかった。
(影はね、嘘をつかない)
(君が歩いてきた証だ)
照明は最低限。影の中で、禁書ホンホンが“禁じられた記述”を、照明に変えて淡く瞬いていた。 ホンホンのページが、ぱらりとめくれる。文字が、光になる。
――消された記録。
――語られなかった感情。
――残してはいけないとされた心。
それらが、舞台の壁に、波紋のように浮かび上がる。
セリアンの声は、次第に強さを帯びていく。けれど、それは力ではない。覚悟の重さだった。
――ここに立っている。
――歌っている。
――それだけで、もう逃げていない。
最後のフレーズ。彼は、一瞬だけ目を閉じた。
音が、消える。
拍手は、すぐには起きなかった。
誰もが、息を忘れていた。その沈黙すら、演目の一部のようで――
やがて、ひとつ。またひとつ。
静かで、深い拍手が、波のように広がっていく。
幕が下りる直前。照明が一瞬だけ、客席を照らした。
そこには、涙をぬぐう者、微笑む者、ただ呆然と立ち尽くす者。誰一人として、「観ただけ」の顔をしていなかった。
袖で見ていたクロム・リーフは、腕を組んだまま、小さく頷く。
「……上出来だよ」
それだけ言って、彼はもう舞台を見ていなかった。作品は、観客の中で生き始めている。
セリアンは、幕の裏で、胸に手を当てる。まだ鼓動が、早い。
――確かに、歌った。
スイタンは、少し照れたように視線を逸らす。
「……光と闇が、共鳴してた。僕を、ちゃんと歌ってくれてありがとう」
その夜、ミラソムの劇場は、ひとつの“記録”を、観客全員で共有したのだった。
ロビーにいた俺の耳にセリアンの歌声が届いた。
――じーん、とする。
キュリシアに来て、ミラソムまで来てよかったな。
俺も旅をはじめようかな……
――ルミア。




