113 すっきりしちゃった!?ツバネの葛藤!?
しばらく、沈黙が続いていた。
誰もが言葉を探しているようで、けれど口を開けば何かが壊れてしまいそうで――ツバネだけが、うつむいたまま拳を握りしめていた。
やがて、重い空気を引き裂くように、ツバネが低く息を吐く。
「……今まで黙ってて、すまん」
擦り切れたような声だった。いつものぶっきらぼうさはなく、ただ事実だけを差し出す響き。
「神殿でな……兄者が――リ・ノートリアのクルヴが、尾行していた」
「偵察だ。俺たちの動きを、ずっと」
一瞬、空気が凍りつく。
「ツバネ……」
呼びかける声に、ツバネは歯を食いしばった。
「原始の淀みに襲われている間も……」
拳が、わずかに震える。
「助けに来られたはずなんだ。なのに――」
言葉が詰まり、吐き捨てるように、
「……くそっ!」
その一言に、後悔も怒りも、自分への嫌悪も、すべてが滲んでいた。
沈黙を破ったのは、リウラだった。
「ツバネ……」
彼女は一歩、前に出る。背筋を伸ばし、胸を張る。その姿は、凛とした精霊のものだった。
「どうか……自分を責めないで」
声は穏やかだったが、確かに震えている。
「よく、話してくださいましたわ」
光を宿した瞳が、うっすらと潤む。
「黙っていたままでもよかった。けれど、あなたは選んだ」
まっすぐにツバネを見る。
「それは――勇気ですわ」
ツバネは何も言えなかった。ただ、強く握っていた拳を、ゆっくりとほどいていく。
罪を告白した重さと、それを受け止められた温度が、その場に、静かに残っていた。
「……お互い、兄貴って重いね」
肩をすくめて、僕は苦笑する。
「ははっ」
「笑えるかっ」
即座に返ってきた声は、少し強くて――
「……ふふっ」
ツバネの喉から、抑えきれなかったような笑いがこぼれた。本当に、ほんの一瞬だけ。張りつめていた空気が、ふっと緩む。胸の奥に溜まっていた重たいものが、少しだけ軽くなった気がした。
――少しだけ、笑えた。
「セオト」
ツバネは一歩前に出て、深く息を吸う。その背筋は、剣を抜くときと同じくらい、まっすぐだった。
「拙者は――記録師として」
一つ。
「メリフル村の村長として」
二つ。
「そして、お前の友として」
言葉を重ねるたび、決意が形を持っていく。
「たとえ兄と袂を分かつことになろうとも――」
迷いなく僕の目をまっすぐ見た。
「拙者は、お前と共にいる。ここで誓う」
静まり返った空間に、その言葉が深く落ちる。
「……ありがとう、ツバネ」
胸の奥が、じんと熱くなる。
「でも……まだ、なんだ」
小さく首を振る。
「カナエさんも、僕の兄も……“疑うことがある”だけだから」
否定じゃない。断罪でもない。ただ、今はまだ、線を引かないという選択。
「僕は――ツバネも、みんなも、信じてる」
視線を巡らせ、はっきりと言う。
「だから……」
その先の言葉は、まだ言葉にならない。けれど、誰もが分かっていた。これは迷いじゃない。壊さないための、強さだということを。
「すっきりしたかい、ツバネ?」
ミラがにこりと笑って言った。いつもの調子で、けれど目はきちんとツバネを見ている。
「顔つきが、ずいぶん良くなったよ。溜めこむのは、よくなかったからね」
「師匠……言い方!」
セリアンがすかさず突っ込む。
「なんだい?」
ミラはきょとんと首を傾げる。
「何か、いけなかった?」
「いや、そうじゃなくて……!」
言葉に詰まるセリアンをよそに、場の空気は少しだけ緩んでいた。
ツバネは苦笑して、肩をすくめた。
「……否定はできん。胸のつかえは、確かに下りた」
「それなら、上出来だ」
ミラは満足そうにうなずいた。手を叩いて、話題を切り替える。
「ひとまずさ。セリアンの劇場デビューを、みんなで成功させようじゃないか」
「……あっ!」
「そうだった、それ!」
重たい空気が、ぱっと弾ける。
「まずはそれだ!」
セリアンは勢いよく立ち上がった。
「クロム・リーフと会わなくちゃいけないんだ!」
目的が言葉になると、不思議と足元が定まる。それぞれが抱えている問題は、何一つ解決していない。けれど――今は前を向ける。
こうして一行は、次の舞台へと踏み出した。
クロム・リーフが劇場の支配人になったのは、偶然ではない。たとえファントムとなってもなお、彼は――筋金入りの、クセの強い芸術家だった。
当時の劇場は、正直に言って瀕死だった。古びた建物。まばらな客席。演目は散漫で、魔導設備は時代遅れ。維持するだけで精一杯で、「劇場」という名前だけが、かろうじて残っている場所だった。
そこへ、汐真に連れられて現れたのが、クロム・リーフだ。
彼は最初、何も言わなかった。客席の最後列に腰を下ろし、背もたれに身を預け、ただ――舞台を見つめていた。
役者の声。照明の揺れ。音のズレ。そのすべてを、逃がさない目で。幕が下り、拍手もまばらに終わった、そのときだった。
「……構造が甘い」
低く、はっきりとした声。それが、クロム・リーフが初めて口にした言葉だった。周囲が振り返るのも構わず、彼は続ける。
「もっと耽美であるべきだ」
指先が、空中でゆっくりと弧を描く。
「物語とはね、嵐の中でも帆を畳まない小舟の中に置かれた――ラブレターなんだよ」
一瞬の沈黙。
「……足りない」
吐き捨てるように、しかしどこか楽しげに。
「足りない、足りない!」
役者の動線。照明の当て方。音響の“間”。彼は淡々と、しかし容赦なく指摘していった。まるで舞台を“壊す”のではなく――“解体”して、もう一度組み直すかのように。
反発はあった。当然だ。名も知らぬ男に、魂を込めた舞台を否定されたのだから。
だが。
ひとつだけ。たったひとつだけ、彼の助言を取り入れた夜。劇場の空気が、変わった。観客は息を呑み、拍手は止まらず、誰も席を立とうとしなかった。
それが、始まりだった。
クロム・リーフは、舞台に“関わる者”になり、やがて――劇場そのものを、ひとつの作品として扱うようになる。
そして気づけば。彼は支配人の席に、当然のように座っていた。
――幕は、もう上がってしまったのだから。
今夜もミラソムの空には、季節外れの雪が、静かに舞っていた。
「……降ってるよね?」
三人衆が通りを見上げて、ぽつりと言う。
「降ってるね」
「この雪って誰が降らせてるんだろ?」
「すごいね、この雪降らせるなんて!」
ラボチルの窓辺で、いつもの面々が、なんとなく集まっていた。
「劇場の方向から、冷気が来てない?」
「……あー!!」
「クロム・リーフ支配人、最近“感情が高ぶると気温下がる”って噂、聞いた!」
みんなで、苦笑まじりに肩をすくめる。
「それか、協会長のシオマさんじゃない?」
「愛が重すぎて、空冷してる説」
「やめて、気象兵器扱い」
声が飛ぶ。
「ツバネの“胸のつかえ”が下りた反動とか!?」
「葛藤が昇華して、結晶化した!?」
「それ、寒すぎない!?」
窓の外。
街灯に照らされた雪は、音もなく、やさしく落ちていく。
「ねえ!雪食べにいこうよ!」
「いいね!お腹いっぱい食べたいー!」
「それは、お腹こわすね!」
少しの沈黙。そして、同時に小さな笑い。
ミラソムの夜は、今日もやさしい。
――みるん・きくん・はなすん、三人衆の推理は、まだ続いている。




