108 見つけちゃった!無意識のハモり!?
僕たちは、街並みを見渡せる高台へ向かうことにした。石段を上った先には小さな広場があり、眼下にはミラソムの街がひらけている。
昼の街は、人と声と匂いが入り混じっていた。屋台の呼び声、食器の触れ合う音、子どもたちの笑い声。それらが風に乗って、高台までやわらかく届いてくる。
「ここは……ざわめきはあるけど、落ち着いてるね」
僕は広場を見回しながら、ほっと息をついた。
「街の中心よりは静かだね。人の流れも、ここで一度ゆるむ」
ミラさんがそう言って――ふっと口角を上げた。その表情を見た瞬間、嫌な予感が胸をよぎる。
「……変装して街を歩いてたら、見つけるのは難しいかもね」
肩をすくめる仕草が、やけに楽しそうだ。
「ま、こっちから誘えばいいんだけど」
「え?」
聞き返す間もなかった。
ミラさんは、すっと息を吸い――歌いはじめた。澄んだ声が、高台の空気を震わせる。音は風に乗り、坂道を下り、街のざわめきの上へと広がっていった。
屋台の呼び声が、ひとつ、またひとつと途切れる。人々が足を止め、見上げる。
「……うわ、始まった……」
思わず、声が漏れた。
高台の広場は、あっという間に“舞台”になっていた。下の通りからも人が集まり、見上げる視線が増えていく。
「これ、完全に目立ってるよね……?」
「うん。でもね」
ミラさんは歌いながら、ちらりとこちらを見る。
「この歌に、反応しない歌い手はいない」
胸が、どくんと鳴った。
――セリアン。
君がどこにいても、この声を聞いたら……。
きっと、無意識に歌ってしまう。
ミラさんの歌は、高台から街へと注ぎ込むように広がっていった。人の声も、足音も、食器の音も包み込みながら、決して埋もれない。芯のある旋律。
そのときだった。
――ひとつ、音が重なった。
「……え?」
最初は、気のせいかと思った。けれど次の瞬間、はっきりと聞こえた。ミラさんの旋律に、ぴたりと寄り添う、もうひとつの声。少し低く、静かで――それでいて、確かに強い。
「……ハモってる?」
タリクが小さく呟く。
広場の縁、石壁の影。黒い外套の男が、壁にもたれかかるように立っていた。顔は伏せられ、視線は地面へ。
けれど――声だけは、迷いなく歌っている。
「……っ」
息をのむ。
「セリアン……だ!」
間違えるはずがなかった。彼はまだ、自分が歌っていることすら自覚していない。
僕とカゲミは、顔を見合わせ――一斉に走り出した。
「無意識に歌っちまうんだな。吟遊詩人って」
ツバネが、どこか複雑そうに笑う。
ミラさんの旋律が高く跳ねると、セリアンの声は自然と下へ回り込み、和音を支えた。
――竪琴の音が加わる。これは、伴奏だ。
前へ出るでもなく、主張するでもなく。 ただ、歌を“成立させる音”だけを、正確に置いていく。
高台も、街も、ゆっくりと息を潜めていった。人々は理由も分からぬまま、耳を澄ませている。
「……あの子、やっぱりやっちゃったね」
ミラさんは歌いながら、くすりと笑った。――最初から分かっていたような、笑み。
旋律が終わりへ向かう。ミラさんが最後の音を伸ばし、セリアンの声がそっと受け止める。
――そして、音がほどけた。
一拍の静寂。
次の瞬間、拍手と歓声が、高台と街の両方から弾けた。
「……え?」
その音に、セリアンはようやく我に返ったらしい。はっと顔を上げ、周囲を見回し――見上げる観衆と、取り囲まれた自分に気づく。
「な、なに……? え、俺……?」
その声に、僕は一歩前へ出た。
「見つけた」
セリアンが、ゆっくりとこちらを見る。目が合った瞬間、凍ったように固まった。
「あ……」
黒い外套の下で、彼の喉が小さく鳴った。――噂の“闇の吟遊詩人”は、こうしてあっさり捕獲されたのだった。
拍手は、なかなか止まなかった。歓声、口笛、足踏み。昼の街が、そのまま即席の劇場になったみたいだった。
「すごい……!今の、即興だよね?」
「二人組だったの!?」
「さっきの低音、鳥肌立ったんだけど!」
ざわめく声の渦の中で、セリアンは完全に固まっていた。外套の影に隠れるように、肩をすくめている。
「……俺、逃げたほうが……」
「無理だよ」
僕は小声で即答して昼飯を渡した。「もう“捕まってる”し、お腹すいたでしょ」
「うん……朝食べたけど、お腹ペコペコさ」
そのとき。
「――みなさん、ありがとう」
すっと一歩前に出て、ミラさんが手を上げた。不思議と、その仕草だけで場が静まる。
「こんな賑やかな街角で歌えるなんて、幸せだね」
穏やかな笑み。けれど、目は――完全に“決めにいっている”。ミラさんは、ちらりとセリアンを見た。
「今の伴奏……素敵だったよ」
「え、ちょ、師匠……!?」
セリアンの制止を、さらっと無視して、ミラさんは聴衆へ向き直る。
「せっかくだから、ひとつお知らせをしようかな」
人々が息をのむ気配が、肌に伝わる。
「私と――」
一拍、間。
「――弟子で」
ざわっ、と空気が揺れた。
「歌劇をやります」
「――――え?」
声にならない声が、あちこちから漏れる。
「歌劇!?」
「弟子って、あの人!?」
「さっきの二人で!?」
セリアンの顔色が、目に見えて悪くなる。
「う、歌劇って……!?聞いてない……!」
「今、決めたからね」
ミラさんは、さらりと言った。
そして、胸に手を当てて続ける。
「場所は――ちゃんとした劇場で」
「お、おい!!」
「日取りも近いうちに」
聴衆のざわめきは、もう歓声に変わっていた。
「本物の舞台!?」
「チケットあるの!?」
「絶対行く!!」
ミラさんは満足そうに頷く。
「詳細は、記録師協会から告知が出るよ」
――完全に逃げ道を塞ぐ一言。
セリアンは、ゆっくりと僕を見る。
「……なあ」
「うん」
「俺、今――人生の分岐点に立ってないか……?」
「立ってるね。しかも、全力疾走で押されてる」
カゲミが、肩をすくめて笑った。
「おめでとう、闇の吟遊詩人。主演決定だ」
「主演!?俺、伴奏側だったよな!?」
ミラさんはいたずらが成功した子供のような顔で、にっこり。
「大丈夫。主旋律も、影も――両方できるでしょ?」
その一言に、セリアンは言葉を失った。
――こうして。
昼の街角での即興演奏は、いつの間にか“劇場公演決定”という、とんでもない結末を迎えたのだった。
その日からだった。
屋台で昼食を買い、自然と高台へ向かう人の流れが、目に見えて増えはじめたのは。
「とりあえず、あそこで食べない?」
「うん、見晴らしいいし」
そんな軽い理由で、紙包みを手に坂を上る人たち。
昼になると、高台の広場には腰を下ろす影がぽつぽつと増え、いつの間にか――それが当たり前の光景になっていた。
次の日には、噂を聞きつけたらしい近くの村の人たちまでやってくる。
「昨日、ここで歌があったんだって?」
「偶然だったらしいよ」
「えー、見たかったなあ」
観光、というほど大げさじゃない。
買い出しのついで、用事の帰り、ちょっとした寄り道。
けれど、足は自然と高台へ向かう。
屋台も、それに気づいた。
「今日は高台行きが多いね」
「包み、しっかり閉じとこう」
「歌、またあるのかな」
期待しすぎない程度の、ゆるやかな高揚。
それが街の昼に、静かに混じっていく。
広場の隅では、そんな人たちの会話が、ひそひそと交わされていた。
「あの二人ってさ」
「昨日の?」
「うん、歌ってた人たち」
声を落とし、でも頬は緩んでいる。
「……お師匠さまとお弟子さまなんでしょ」
「聞いた」
「はあぁ……」
一拍の間。
「推せる」
その一言に、周りがくすっと笑う。
「分かる」
「分かるわ」
「関係性が良すぎる」
誰かが名前を知っているわけでもない。正体を探ろうとする人も、ほとんどいない。
ただ――
昨日、あの場所で耳にした音と、並んだ姿が、心地よく残っているだけ。
だから今日も、人は屋台で昼食を買い、高台へ向かう。
「また、何かあるかもね」
「なくても、まあいいよ。見逃すよりは!」
そんな曖昧な期待を抱えながら。
静かだった高台の広場は、今日もほどよくにぎわっていた。




