103 しょんぼりしちゃった!?ツバネの思考迷路!?
ラボチルの片隅。珈琲色の灯りがテーブルを照らし、湯気の立つ料理がいい香りを漂わせる。
――はずなのに。
「……ツバネ、どうしたの?」
僕たちが食事をはじめても、ツバネはスプーンを持ったまま、視線を宙にさまよわせていた。まるで、霧の中をひとりで歩いているみたいだった。
「食欲ないみたいだね? 大丈夫?」
声をかけるとツバネは、はっと瞬きをした。
「……え。あ、すまん。なんか……うまく言えないな」
返事はしてくれるけれど、その声はどこか遠い。いつものキレのある反応じゃない。
タリクが、ツバネの皿を覗き込みながら眉をひそめた。
「おいツバネ、お前が飯ぼーっと前にしてんの珍しいぞ。腹でも痛いのか?」
「……違う。たぶん……頭のほう?」
ツバネは言葉を探すように、胸のあたりをぎゅっとつかんだ。
「今日さ、兄者に会ったあと……いろいろ考えすぎたのかもしれない。あの“淀み”の影の力とか、協会の再編とか……。考えたくないのに、勝手に浮かんでくるんだ」
タリクが一瞬だけ真顔になった。
「……またひとりで背負ってるだろ、お前」
「背負ってるつもりは……ただ、整理できてなくて」
食器を指で軽く叩くそのリズムには、落ち着かない焦りが混じっていた。
僕はツバネの前にラボチル特製の、まだ温かい青沼カルデア粥を置き直した。
「無理して食べなくてもいいよ。温かいものの匂いだけでも、少しは落ちつくから」
ツバネはゆっくり顔を上げ、弱い光を宿した瞳で僕を見る。
「……ありがとう。少し……楽になる気がする」
小さく息をつき、ツバネはようやくスプーンを握りなおした。ほんの一口、ためらいながらすくう。その横顔は――強がりを脱ぎ捨てた、誰にも見せていない表情だった。
ツバネがゆっくり粥を口に運んでいるあいだ、カゲミはそわそわと落ち着かず、横目でリウラにひそめ声をかけた。
「……なあ、リウラ。なんか知ってるか?」
「わかりませんわ。でも――神殿に向かう頃から、ツバネの眉間のしわが深いですわ。考えごとしている時の顔ですわね」
「ふぅん……。腹痛だったら長いなって思ったんだけど」
カゲミが真面目にうなると、リウラはぷるぷる首を振った。
「多分、ハライタではありませんわ!あの眉間のは“思考迷路に迷い込んだ時”のしわですわ!」
「……めんどくさそうだな」
「ええ。ツバネって、ひとつ考え始めると深追いする性格ですもの」
カゲミは腕を組んで、ため息をついた。
「だからって、飯も忘れるほどかよ……重症だな」
その声音には、呆れ半分――心配半分。リウラはツバネの横顔を見て、ふっと表情を和らげた。
「でも、今はセオトとカゲミがいますもの。きっと、少しずつ解けていきますわ。あの人は……ひとりで背負う癖があるだけですわ」
ちょうどその時、店の奥で冒険者グループがわいわい盛り上がり始めた。テーブルを叩く音、笑い声、酒杯のぶつかる音――賑やかな空気が広がる。
「見ろよ、この報酬! あの鉤爪、やっぱ高く売れたな!」
「へへっ、当分遊んで暮らせるぜ!」
「明日は別の魔窟に行くか?稼ぎ時だぞ!」
金貨の触れ合う音、はしゃぐ声、勢いよく椅子が引きずられる音――店の空気が少し熱くなる。その賑やかさを眺めながら、僕は手元のカップを静かに揺らした。魔物の素材、か……。
狩るのが当たり前。
でも僕は知っている――ササメみたいに優しくて臆病な魔物。カルマみたいに泣きじゃくる魔物。
強いから敵なのでも、角があるから悪なのでもない。ただ生きているだけの存在だって、たくさんいる。
(……敵じゃない魔物だって、いるのにな)
胸の奥がきゅっと締めつけられた。その時、カゲミがストローを噛みながらぼそり。
「……セオト、お前も考えすぎてんだろ」
「うん。ちょっとね」
「オレはさ。魔物も人間も、生きてりゃ色々あるんだと思うけど……お前がそう思うのは、悪くねぇよ」
珍しく素直な言い方に、僕は思わず苦笑した。
そして――カウンター奥が急に慌ただしくなる。店員さんたちが腕いっぱいに料理を抱え、慌てて動き回り始めた。
影うつしのサンド、青沼のカルデア粥、蒸しスパイス魚包み。湯気がふわりと立ちのぼり、店中が一層いい匂いに包まれる。
「はいっ、この籠も持って! 落とさないでよ!」
「わ、わかってますって!!」
どうやら二人がかりで、どこかへ配達に出るらしい。その量はまるで宴会前みたいだ。。
「どこに運ぶんだろ?出来立てを持ってきてもらえるのもいいよね!」
「そうだなぁ。研究塔もあるし、協会も来たしな」
ミラさんも興味津々で、身を乗り出してくる。
「聞いてみようかな!」
「うん、私も気になる!」
裏口へ向かおうとする店員さんに声をかける。
「すみませーん! それ、どこに運ぶんですか?」
振り返った店員さんは、腕をぷるぷるさせながら、ちょっと誇らしげに笑った。
「これですか?えっと……“特別配達”ですよ!」
「特別配達?」
僕とカゲミが同時に首を傾げる。
「はいっ。ラボチルの裏メニューを、記録師協会の“お偉いさん”にお届けするんです!なんでも、今夜はずっと詰めっぱなしで、まともに食事してないとかで……」
「詰めっぱなし……?」
「もしかして、その“お偉いさん”って――」
「ええ。新しい協会長さんですよ。名前は……確か、シオマさん?」
「汐真兄さん!? 食べてなかったの!?」
思わず大声が出てしまい、店内の数人がビクッとした。店員さんは慌てて手を振る。
「い、いや、倒れてはいませんよ! でも、かなり疲れてるらしくて……。だから、放っておけなくて総動員で用意したんです!」
「……なるほどな。そりゃ届けに行くわけだ」
「ええ。普段は配達なんてしないんですけどね」
僕は抱えられた料理を見て、拳をぎゅっと握った。
「僕たちも一緒に行っていいですか?兄さんがちゃんと食べてるか、顔を見たいんだ」
店員さんは驚いたが、すぐににっこり笑った。
「もちろんです!むしろ助かります!荷物も多いですし……それに、身内の顔を見れば、きっと食が進むと思いますから!」
ミラさんが手を叩いた。
「決まりだね! じゃあ、みんなで協会長の夜食を届けに行こう!」
夜のラボチルに、ちょっとした“救援ミッション”の空気が満ちていった。
翌日。
ミラソムの市場で、魚売りのおばちゃんが甲高い声で誰かに言っていた。
「昨日ね、噂の吟遊詩人見たのよ。影からふっと出てきてねぇ」
「影から!?そんなの嘘だろ」
「ほんとだよ!ほら、“闇優し系の吟遊詩人が出没”って、町中で大騒ぎさ」
隣の八百屋の兄ちゃんも大きくうなずく。
「俺のとこにも来たって客が言ってたぞ。
黒衣で、目が優しくて、声が低くて……って、みんな同じこと言ってる」
「しかも影をまとって歩くんだってさ」
「へぇ……それ、ちょっと見てみたいね」
――そんな会話が、町のあちこちでくすぶっていた。
そしてとどめの噂が、子どもたちの間で広がる。
「ねぇねぇ、影の詩人はね、人が困ってるとふわって現れるんだって!」
「しかも歌うと、影が静かになるんだー!」
「かっこいい……!」
噂はどんどん盛られ、ついには――
「影の守り神が現れたらしいぞ」
「吟遊詩人姿の影の使い……」
完全に別の存在に進化していた。
そんな噂がひっそり流れる中、当の本人はというと――
町外れの影の中で、ひとり肩を落としていた。
「……なんだいこれは。僕はただ影を調べていただけなのに……」
けれど、どこか困りながらも微笑んでいる。
「まあ……嫌いじゃないけどね。こういうのも」
影がゆらりと揺れた。
セリアンは音もなく次の調査地点へ歩き出す。




